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戸惑い 5

「まあ、呑め」  須藤は磁器のお猪口に酒を注ぎ、佑月へと差し出す。実は佑月は結構、酒類は好きで良く飲む方だ。だが、この男と酒を酌み交わすのはやはり遠慮したかった。  しかしこれも仕事。意固地になって拒むのも大人げない。自分の気持ちを鎮め、黙ってお猪口を受け取ると、須藤は満足そうに口角を上げ、自分で酒を注いだ。  (はな)から佑月に注いで貰えるとは思ってないようだ。酒が入れば、この妙な空気もマシになるかもと、そんな思いで酒に口をつけた。 (うわ……)  口に含む前はほんのりと香っていたものが、含むとややしっかりとした香りへと変わっていく。味わいは非常にクリアで引けもいい。日本酒はあまり飲まない方だが、口当たりが良く飲みやすいものだった。 「気に入ったようだな。お前に合う酒を選んだからな」 (俺に合う酒? なにそれ……今日が初めてなのに、大人の経験値とでも言うのか?)  そんなものに経験値などあるのかも疑問だったが、佑月は素直に頷いた。 「はい、とても美味しいです」 「そうか」  須藤はどこか嬉しそうに、運ばれてくる料理にはあまり手をつけず、酒をちびちびとやっている。  今はプライベートだと女将が言っていた。その言葉通り、今の須藤はあまりにも無防備で、うっかり親近感さえも湧いてきそうな気がした。もちろん親しくなる気なんてないが。だが、佑月にはずっと気になっている事があった。 「須藤さん……」 「なんだ?」  やや緊張した面持ちの佑月に、須藤は怪訝そうにお猪口を置いた。 「あの日……俺を拉致った時、なんで直ぐに解放したんですか?」 「なんだいきなり」  須藤は少し眉間にシワを寄せた。 「だって、あんたなら強引にでも奪えたはずだし。なのにわざわざ解放なんかして、意味が分からない」 「可笑しな事を言う奴だな。無傷で帰してやったんだ。普通は喜ぶ事だろうが」  確かに須藤の言う通りだ。それは佑月も分かっている。だが、高田と自分との扱いの差があまりにも違い過ぎて、戸惑うなという方が無理な話だった。  黙る佑月に、須藤は煙草に火を付けてから口を開いた。 「どのみち、直ぐにお前が依頼人と接触することは分かってた事だ。そして依頼人が放棄したと自分で確認出来れば、お前が持ってる理由など無くなるだろ?」  確かにそれも須藤の言う通りだ。そうなのだが、それではまるで佑月自身に配慮したように聞こえる。なぜ須藤のような男が、自分にそこまで気遣うような真似をするのか。益々もって分からなかった。 「ずいぶんと回りくどい事するんですね。解放してからどうせ俺を張らせてたんでしょ? 無駄な労力を使ってまで、あんたに何のメリットがあるんだ」 「メリット? 勿論そんなものはない。ただ俺がしたいように動いただけだ。それが無駄だったとも思ってない」  須藤は陶器の灰皿で煙草を消しながら、軽い口調でそう言うが。  メリットはないが、無駄ではない。  さっぱり意味が分からない。

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