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  雪梅との行為が終わったのは会議が始まるほんのいち時間くらい前だった。会社には大遅刻だが、会議には間に合うだろうと僕は重たい身体を無理やりソファから起こした。 朝食を済ませて、シャワーを浴びてきた雪梅は起きあがった僕をみて、「れい、満足した?」と訊いてくる。 こういうスタイルになってからいつも性情の後にはそう僕に訊いてくる雪梅の考えは解らないが、あの場所でいた僕以外の他の兄弟たちが彼らの主たちにされていたこと(彼処では、生殺しとか不完全燃焼で終わることはしょっちゅうなのだ)と比べたら、僕にされている行為は物凄く満足ができているモノだった。というか、逆に僕の身体はもう雪梅のモノをでないと満足できないところまできていた。 だから、僕は雪梅とした後にくる執着に似たどろどろとした感情が僕の中にうまれるのが、嫌で嫌で仕方がなかった。どんどん雪梅だけを求める身体になって、雪梅じゃないと嫌だと我が儘をいうこの身体も憎くって仕方がなかった。 そう、雪梅との関係はそう長くは続かないのだ。雪梅との関係はコレから始まる僕の人生の第いっ郭でしかないのだから。 つまり、あの場所でいたモノは例外はなく、いつでもどこでも主に捨てられていつでもどこでも新しい主に買われるのだ。だから、僕もその場所で生まれたからそういう生き方しかできない。なのに、僕の身体も心も、頭までもが雪梅でないと嫌だといい始めている。いや、もういっているのだ。 雪梅がどんなふうにして僕を躾ているのか解らないけど、僕は雪梅に抱かれるたびに雪梅と身体が重ねるたびに雪梅の唇が触れるたびに、着実に雪梅から離れたくないという気持ちが大きく育っていた。そして日を追うごとに、僕は雪梅に捨てられて新しい主に買われることを酷く怯えるようになっていたのだ。 ソレを証言するかのように、雪梅と身体を重ねるごと僕の心はどんどん冷たくなって死んだように心が固く凍りつくようになっていた。だから次第に、雪梅とのセックスが怖いモノになって嫌だと思うようになっていた。 そんなある日のことだ。僕はとうとう我慢が出来なくなって、雪梅に捨てられるくらいならと雪梅の印綬を盗もうとしたことがあった。印綬がなければ僕は捨てられずに済むと思ったからだ。 だが、直ぐに執事長にみつかって物凄く叱られたのだ。仕事熱心なあの執事長のことだから雪梅にもその報告をしているとは思うのだが、僕はいまだにそのことについて雪梅からなんの叱りも受けてはいなかった。 いま思えば、その頃からいまのようなスタイルになってきたような気がする。 「ん?れい?」 ぼんやりとしている僕の下唇に、雪梅の細長い人差し指が押し当てられる。コレは、早く答えてという催促なんだろう。 僕は雪梅とのセックスが本当に満足で、気持ちイイモノなのかは、雪梅としかしたことがないからはっきりとは解らない。だけど、僕は確実に雪梅に溺れているから僕は頷いて、雪梅にキスをした。 「うん、満足………」 最後の方はもう雪梅に唇を吸われて言葉になっていなかったが、雪梅が機嫌を治してくれてよかったと雪梅の首に腕を廻して、僕はキスを深くする。舌を絡め取られるこのキスは好きだ。僕が求めているのではなく、雪梅に求められているようで僕の気分が物凄くよくなるから。 暫く雪梅に舌を貪られて、冷えた心がほんのわずかだが温かくなる。もっと僕を求めて。 そう思うと僕はいまの雪梅を離したくなくなっていた。そういうワケにはいかないと頭では解っているのに、そういう気持ちが前にでて僕は必死に雪梅にしがみついた。 だが、無情にも僕の口の中から離れていく。ソレから、その唇がゆっくりと動いた。 「れい、今日はれいに大事な話もあるからちゃんと遅れずにくるんだよ?」 大事な話って?と雪梅に訊くよりも先に、僕の心が凍りつく。ガタガタと身体までが震えて雪梅の言葉に僕が物凄く動揺していることは直ぐに解るハズなのに、雪梅はなにごともなかったように「れい、いってくるから」と僕の頬をひと撫ですると、執事長といっしょに出勤してしまった。 ゆいいつの移動手段である車のエンジンの音が遠ざかって、僕は我に返ったようにハッと息をすると悲鳴にように叫びだす。 「大事って………、大事な話って………なにっ!!」 雪梅がいった言葉の断片を繰り返して、僕は勢いよくソファから飛び降りた。いまさら、雪梅を追いかけて雪梅に追いつくハズがない。かといって、雪梅に追いついたとしても、僕は雪梅にどういうつもりなのだ。 『僕はもう要らない?』 『僕を捨てないで?』 そんなこと、主の雪梅にいってイイことなのだろうか?僕を捨てるのも買うのも主が決めることだ。買われた僕に意見をいう資格などあるハズない。ソレに、アソコにいた僕の兄弟たちがソレができていたなら、あの場所には戻ってきてないハズである。 「………落ちつけ………、まだ………」 僕は震える自分の身体を自分で抱きしめた。まだそうだと決まったワケではない、と。 そうだと、僕は雪梅の書斎に入って印綬がしまってあった金庫を探した。金庫は前にあった場所にあって、暗証番号も同じで直ぐに開いた。 ああよかったと僕は安堵する。執事長は雪梅に報告していなかったんだ、と。 だが、ソレも束の間のことだった。 「印綬………が、ない………」 証券や通帳、その他の印鑑などはあったが、肝心な印綬が見当たらなかった。他の場所も丹念に探したがみつからない。 「そ、ん………な………」 僕はその場に座り込んで、茫然としてしまう。僕もとうとう雪梅に捨てられる。そう思ったら、すべてが真っ白になっていた。 大抵の兄弟はいち年もしない内に戻ってきた。僕ももうすぐいち年がくる。そして、その兄弟たちは数日も経たない内に新しい主に買われて、またあの場所にいち年後に戻ってくるの繰り返しだった。 僕もその立場になってしまったんだと思うと、悲しくってボロボロと涙がでてきた。最初から解っていたことなのに。そう思っても、胸が苦しくって、またボロボロと涙がたくさん溢れだしていた。 「せっか………、せっか………、」 僕は声が枯れるまでそう雪梅を恋しがって、涙が枯渇するまで大きな声で泣き続けた。  

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