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  ソレから数日が過ぎようとしていたある日、僕は雷梅からこう宣告された。ソレは医師という立場からとしても、身内の立場からとしてもとても残酷な知らせだった。 「黎くん、残念なことだけど、前のような生活は送れないかもしれない」 そう、僕の身体は長い間眠っていたせいで筋肉が殆ど衰弱しているらしいのだ。その後遺症というモノもあって、身体の殆どが感覚がなく感触もない。だからといって、コレからずっと寝たっきりというワケでもなかった。 リハビリをすれば、衰えた筋肉を鍛えることができるらしいのだ。だが、筋肉のリハビリで起きあがれるようにはなれるらしいのだが、立ち上がったり歩いたりすることはもうできないかもしれないとはっきりといわれてしまった。 ソレを聞いて多少のショックはあったが、目が覚めてから下半身の感覚や下腹部辺りの感覚がないことからそうなんだろうとうすうす感じていたから、塞ぎ込むまでは至らなかった。ソレに、隠されるよりもこうはっきりといってくれて助かったと思っている。淡い期待は必要ないと思っているからだ。 ソレに、前のような生活を送れたからといって、僕にはなんのメッリトもない。なんたって、僕はいっ生買われた人間で、買った人間の所有物でしかないのだから。 そう思った瞬間、僕はだれの所有物なんだろうとふと考えてしまった。いや、ソレよりも雷梅のことをどうして身内だと思ったのかが不思議だった。だって、雷梅は施設の兄弟でもなんでもない。まったくの他人である。そんな雷梅とどうして僕は身内になったんだろう?と首を傾げた。 「どうかした?」 気分でも悪くなったかい?と僕の頬に優しく触れる雷梅はとても心地イイ。だけど、踏みだせれないざわざわとしたモノがソコにあって、物凄く気持ち悪い感覚に陥る。聞きたいのに、どうしてもソレが言葉にだせないでいた。 「大丈夫、少し疲れたみたい。少し寝たらよくなると思う」 僕は雷梅にそういって、話を切った。考えても仕方がないというのもあったが、違う言葉ならこうもすらすらと前にでることにいささか不安めいたことがあったからだろう。 「そうだね。少し話すのが長くなってしまったようだから」 雷梅は僕のいわんとすることが解っているのか、歯切れが悪くそう同意した。そして、雷梅が病室をでていくのとタイミングをあわしたように、天夢と執事長とあの男が病室に入ってきた。 「かあさま、おはよう。きょうはおねぼうさんじゃないね♪」 跳び跳ねるうさぎのように僕に抱きついてくる天夢は、颯爽と僕にキスをする。まだまだ親に甘えたい時期だから、親である僕にこうやって甘えるのは普通のことだと思った。そんな天夢のことを僕も我が子だと自覚してきたらしく、彼のひとつひとつの行動が可愛くって仕方がなかった。 病院からお家に帰るのが嫌だとか、執事長は厳しいから嫌いだとか、とうさまはかあさまばかりだから寂しいとか、早く退院していっ緒に暮らそうとか、もう本当に僕のことが大好きで堪らないという天夢が愛しくって堪らない。だから、くるくると表情がかわる天夢のことをずっとみていたいと思ってしまうのだった。 「ふふっ、おはよう、天夢。だって、早く天夢の顔をみたいでしょう」 僕がそういうのは、天夢の笑顔がみたいからだ。ソレに、素直に僕の身体のことを雷梅が説明にきたといえば、執事長も壁際に立っているあの男もあまりよく思わない顔をするからだ。執事長はともかくあの男がなぜそんな顔をするのか、僕にはまったく理解できなかった。 「───わあっ、かあさま、だいすき♪ぼくもはやくかあさまのかおをみたかったよ」 天夢はソレはもう嬉しそうに僕に抱きつく。裏表のない率直な感情は、僕の心をほわほわさせる。そんな天夢にぎゅーと抱きしめられて、なんどもキスをされると心がくすぐったかった。僕もこんな可愛い天夢をぎゅーと抱きしめたくって、雷梅がいっていたように早くリハビリを始めようと思った。 僕と天夢がこんなふうに仲良くするのを壁際にいるあの男は気に入らないらしい。いつも必ず絶対に眉根を深く潜めるからだ。そんなに気に入らないなら病室からでていけばイイのにと思いながら、僕は天夢がいっ生懸命話す言葉に耳を傾ける。なのに、執事長はこういうのだ。 「天夢様、黎様がお疲れになられます。ほどほどになさられて朝食の準備をなさいませ」 と。確かに僕は疲れているけど、天夢のことをないがしろにするほど疲れてはいなかった。逆に、天夢が僕に話しかけてくるほど、元気になっていくような感じがする。 「え!まだそんなにじかんたってないよ?」 「天夢様」 執事長が物凄く怖い顔をするのは、ココで朝食を食べるからだ。だが、天夢は僕をみてもうすこしいいでしょうという顔をする。僕もそんな可愛い天夢を手放したくなくって、彼のいいなりになる。 「清、僕ももう少しこうしていたい」 「駄目です。朝食はきちんと取らないと大きくなれませんよ。ほら、黎様から離れてください」 執事長はさらに怖い顔でそういう。しかし、ソレらはぜんぶ僕をすり抜けて、天夢だけに向けられた言葉になっている。僕と直接話したがらないのは、執事長が僕のことを嫌っているからだろう。でき損ないの僕に構う暇はないのだ。 そうこうしているうちに、僕の朝食を配膳してくれる看護師が病室に入ってきた。ココ数日で僕の食事にも変化があった。流動食からお粥など僕でも咀嚼できる柔らかい食事に変わってきた。 「黎くん、今日も残さずにぜんぶ食べようね♪」 看護師がそういうのは、僕がまだ歳いかぬ子供みたいな体型をしているからだろう。そんな看護師は僕の隣で持ってきた朝食を広げる天夢をみて、美味しそうなサンドイッチねと声をかけていた。 天夢は天夢で執事長の手作りともいえるソレを手に持ち、看護師に自慢気にみせると「きょうはぼくもてつだったんだよ」というのだ。多分、切った野菜やベーコン、ゆでたまごをパンに挟んだだけだろうけど、僕は天夢が作っただろうそのサンドイッチが食べたくなった。 「僕、そっちがイイ」 看護師が匙に掬ったお粥を僕の口に運ぼうとしたのを突っぱねて、天夢が持っているサンドイッチを顎を使って指し示した。 「あら、ソレは困ったわ」 看護師が匙を引いてそういうが、まったく困った顔をしていなかった。執事長に中身がなんなのかを訊ねて、僕でも咀嚼できそうなサンドイッチを選んでいたから。多分、僕がちゃんと咀嚼できて呑み込めるモノなら、食べるモノに規制はないのだろう。 看護師は潰したゆでたまごと細く刻んだキュウリが挟まったサンドイッチを選んで、僕が食べやすいようにナイフでひとくちサイズに切り分けると、フォークに刺して僕の口に運ぶ。 僕はあーんと口を大きく開けてソレを頬張った。天夢と看護師が僕の顔を覗き込んできて、どう?という顔をする。 「………ん、……んすい……」 咀嚼するのに必死で味はよく解らないけど、天夢が作ったというならなんでも美味しく感じられた。天夢も看護師も嬉しそうで、僕も嬉しく感じた。 「天夢様、スープでございます」 カップに注がれたスープを執事長が天夢だけに渡すから、僕も欲しいと看護師をみる。まだ口にサンドイッチが入っていて、上手く喋れないのだ。 「ソレじゃ、ごっくんできたら天夢くんからひとくちだけ貰おうか」 僕は口の中のモノをなかなか呑み込めないから看護師がそういうのだと思っていたら、天夢が匙を握って僕に食べさせようとした。天夢が僕に食べさせてくれたのは、コレが初めてだった。 すると、僕は看護師がいわんとしたことが解って、急いで口の中のモノをごっくんと呑み込んだ。あーんと大きく口を開けて、僕は溢れないように匙を口の中に含む。看護師と違って要領が悪い分僕がカバーしないといけない。コレをひたすら繰り返すとなれば、僕は口に含むだけで疲れてしまうだろう。看護師の言葉には、残りは看護師が食べさせてくれるという意味が含まれていたのだ。 「天夢、美味しい」 流動食に近いから呑み込むのは、さほど時間はかからなかった。  

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