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  焦ったのは、勿論執事長だ。口を開けなさいと僕の口端に指をねじ入れてきたが、僕は構わず口に入れた印綬を呑み込んだ。ごくりと音を立てて呑み込めたから喉に引っ掛かりことはなかった。なかったがあの大きさの異物が幽門を通って、十二指腸に向かうことはない。下手をすれば、胃に支障がでる。 だからか、執事長は慌てて僕の胃に拳を当てると思いっきりついてきた。腹部の急激な圧迫で僕は呑み込んでしまった印綬を吐きだしてしまう。食道をなんなく通ったのだから、吐きだすときもなんなく通ってでてくる。ソレが悔しくって、僕は床に転げ落ちた印綬を掴んでもういち度呑み込もうとした。 口に印綬を含んだ瞬間げほげほと咳がでて、息がままならなくなってしまう。いまさら、嘔吐の負荷がくるなんてと思いながらも、僕は必死に呑み込もうとする。喉と口の中は吐きだした胃酸で焼きただれて、ヒリヒリとしていた。 たぶん今度印綬を呑み込めば、窒息してしまうかもしれない。だけど、コレを呑み込まなければ雪梅は僕を棄ててしまうかもしれなかった。 耳奥に残る雪梅の声がさらに僕を追い詰める。もう二度目はないよという雪梅の冷たい視線の中で、僕はふいに笑ってみせた。ソレは、コレが最後でもイイという、僕なりの表明だったのかもしれない。いや、もう棄てられるのはうんざりだと哄笑していたのかもしれない。 虚ろんだ心を映したように、僕の瞳もだんだんと虚ろんでいた。生を映さなくなった僕の瞳に息を呑む音がわずかに聞こえたと思ったら、誰かに腕を掴まれていた。 「れい、私が悪かったから!もう試したりなんかしないから、私のことろに戻ってきておくれ!」 同時に、ぎゅーっと力強く抱きしめられて僕は雪梅にキスをされていた。そして、熱く甘い舌が僕の中に割り入ってきて口の中にある印綬と僕の舌を舐めあげる。 僕は印綬を呑み込むことを忘れて、雪梅に舌を突きだしていた。どこまでも愚かなんだろうと僕自身でも思っているのに、舌を突きだしたとたん、印綬がホロリと口から溢れ落ちて床に転がったことに安堵している僕自身がいた。 コレでもう僕の命を脅かすモノなどないのに、雪梅はキスを止めようとはしなかった。逆に、もっと深くキスをして僕の舌を吸いあげるから、僕は戸惑って目をみ開く。 双眸に映る雪梅の姿はいまにも泣きそうで、僕は必死に雪梅の首にしがみついた。 「ああ、ゴメンよ。本当にゴメンよ。愚かな私を許しておくれ」 雪梅はなん度もそう謝って僕に許しを乞う。僕はそんな雪梅が可愛そうでなん度も頷いた。だから、雪梅の口端がゆっくりとあがっていることももうどうでもよくなっていた。 「……っか、…すき……、………あいしてる………」 端からみたらどんだけ馬鹿なんだろうと思うかもしれない。だけど、好きになってしまったらソレはもう仕方がない。どんな形であれ、愛されたいと思ってしまうのだから。 「ああ、れい、私もだよ。だから、私だけをみて私だけに溺れておくれ」 雪梅はそういって、口端を引きあげる。そして、僕じゃない僕をずっと愛でるのだろう。  

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