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松本が選んだ二泊目の旅館は部屋食のプランとなっていた。 夕暮れ前にまた大浴場で一風呂浴びて、適度なお酒とおいしい食事を彼と二人きり客室で楽しむ。 なんて贅沢なひと時だろう。 それにしても彼の目線が胸元に集中しているように思えるのは気のせいだろうか? 「さっきからどこを見ているんだ?」 「え? あ、久也さん、グラスが空ですね」 「あ、すまない……」 瓶ビールを傾けられて久也は反射的にグラスを差し出す。 お酌をする間も松本の視線はちらちらと浴衣の合わせ目に……。 「……私に胸はないぞ」 「でも綺麗な薄ピンク色の乳首があるじゃないですか」 食事中になんてことを言うんだ。 湯で火照っていた頬をさらに赤くして久也はビールをちびりと飲む。 「どうします、ご飯食べたら、またお風呂行きますか?」 「どうしようかな」 「ここ、部屋のお風呂にも温泉と同じお湯を引いてるんですよ」 「そうなのか。じゃあ、ここで入ろうかな」 「一緒に入ります?」 何の悪気もなさそうに平然と笑顔で問いかけてくる。 そういえば彼はさっきからずっと笑っているような。 「ねぇ、久也さん」 「なんだ?」 「久也さんの浴衣姿、動画で撮影しても――」 「こら!」 食事を終えて片づけが済み、客室係に布団を敷いてもらう。 酔いを覚ますため、しばしのんびりしてから、久也は松本と一緒に部屋の内風呂に入った。 板敷きの浴室はなかなか広かった。 檜風呂には湯がなみなみと張られている。 全体的に木造で暖か味があり、檜の芳香に満ちていて、森林浴しているような心地よさがあった。 「気持ちいいですね」 「そうだな」 松本に背中からもたれる格好で湯船に浸かる。 以前、ビジネスホテルの狭い浴槽に二人で入ったときより余裕があった。 気持ち的にも、前回より、落ち着いている。 この木造の雰囲気のおかげだろうか。 いや、ただ単に、彼が不埒な真似に至ってこないからだろう。 久也の背後で松本も純粋に入浴を満喫しているようだ。 「静かですね」 「うん」 「ワニ、怖かったですね」 「ああ。餌やりがえらく迫力があったな」 「チキン丸ごとでしたもんね」 互いの声が浴室にゆっくりと響く。 眼鏡を外した久也は掌にお湯を掬ってみた。 少し濁っていて不透明だ。 「ねぇ、久也さん」 「うん」 「今、ちょっと天国みたいですよね」 「……そうだな」 久也はふふっと笑ってお湯を湯船に返した。 水面がゆらりと波打つ。 「こういうのも、全然、悪くないですね」 松本が話す度に些細な吐息が首筋に触れる。 「俺と久也さん、会うの、久し振りだったでしょ?」 「半月ぶりくらいかな」 「セックスはもっとしてないですよ」 「……」 「俺、今日こそはって、やる気満々だったんですけど」 「……」 このままゆっくりまったり過ごして終わるのもいいかもしれないですね。 「え?」 久也は思わず振り返った。 そこには、少年のように笑う、松本の顔が。 「久也さん、今、がっかりしました?」

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