71 / 130

9_番外編_久也さんが心から怒った日

その日、松本は久也と会う約束をしていた。 残業で遅くなるだろうから、それまで最寄りのファーストフードショップで待つつもりでいた。 大学でしばし時間を潰し、宵闇に外灯の明かりが際立ち始めた街を進んでいたら。 トートバッグの内ポケットに入れていたスマホが振動。 相手を確かめた松本は素早く電話に出る。 相手はもちろん久也だった。 意外と早く残業が片づいたそうで、今、松本が目指している目的地へ同じく向かっているという。 「俺もそこ向かってる途中なんで。店の前辺りで待ち合わせましょう」 わかった、と言って久也は通話を切った。 うそ、もう久也さんに会える。 平日の夜、こんな早めに会えるのって貴重だから、めちゃくちゃ嬉しい。 ていうか、向かってるってことはさ。 もしかしたら久也さんもこの辺歩いてるってことじゃない? 松本は通行人がチラ見するほどの動きぶりで周囲をきょろきょろ見渡し、本当に久也を発見すると飛び上がった……までには至らなかったものの、犬ならば尻尾をぶるぶる振るくらいのテンションとなった。 久也は車道を挟んだ向こう側の歩道を歩いていた。 さすがに声を上げるのは子供っぽくて躊躇する、が、今すぐにでも久也のそばへ行きたい松本は逸る気持ちを抑えられない。 電話するか。 そう思い至ってトートバッグを探ろうとした松本の視界に、すぐ先にある点滅中の横断歩道が飛び込んできた。 松本は迷わなかった。 彼は走った。 歩行者信号が赤となって、車道の信号が青に変わり、クラクションを思い切り鳴らされたが。 猛ダッシュで渡りきった。 渡りきった先には丁度久也が立っていた。 「ひ、久也さん……」 笑顔を浮かべた松本に久也は言い放つ。 「何をしているんだ、君は」 「久也さん、あの」 「子供でもあんな無茶な渡り方はしない」 「俺、すぐにでもそばに行きたくて」 「渡ろうとした時点ですでに赤だった」 「次まで待てないと思って」 「君はもう大人だろう!」 久也は通行人がチラ見するほどの大声を出した。 松本は思わず足を止めた。 そんな彼に視線を向けるでもなく、久也は、そのまま一人で歩道を前進していく。 ……俺、そんなにひどいことした? ……いやまぁ、一般的には確実にひどいですけど。 でも久也さん的には喜んでほしかったっていうか。 久也の背中がもうあんなに小さい。 松本は、今度は、マナーを心がけて走った。 「久也さん、ごめんなさい」 隣に追い着いた松本を久也はまだ見ようとしない。 いつになく厳しい表情をしている。 怒ってる、どう見てもすごく怒ってる。 松本は必死になって久也に話しかけた。 「本当にすみません、俺、赤信号なのに渡ったりして、非常識でしたよね、反省してます」 「……」 「つい気持ちが焦ったっていうか、本当、大人じゃなかったです」 二人は信号で立ち止まった。 松本の直向な視線の先で、久也は、車の走行音に掻き消えてしまいそうな小声で言う。 「心臓が止まるかと思った」 周囲に立つ通行人でさえ聞き取れなかった声は松本にだけ、届いた。 「久也さん、ごめんなさい」 松本は何度も囁く。 背広を脱がせて花柄のベッドに横たえた久也に覆いかぶさり、抱きしめて、口づけながら。 「もうあんな真似しません」 「……」 久也はまだ松本と視線を合わせようとしない。 彼の鼓膜にはまだ、鋭く鳴り響いたクラクションが、尾を引いている。 「ね、久也さん」 「……」 「俺のこと見て?」 松本は久也の頬を両手で挟み込んだ。 ずれた眼鏡もそのままに、軽薄な部屋の隅へ泳がせていた視線が、ゆっくりと移動していく。 やっと久也は松本を見た。 「俺、ちゃんとここにいますか、ら……」 視線を合わせるなり、久也は、松本にキスした。 触れ合うだけのキスだった。 調子に乗った松本がそれに色々と上乗せする。 「……ん……っ」 唇で唇を緩々と食む。 何度か開閉させては口腔の微熱を共有し、水音を行き来させる。 「……もうあんな無茶なこと、するんじゃない」 痕が残らないよう、襟元を寛がせ、首筋に軽い口づけを落としていたら耳元で注意された。 緩やかな腰のラインをなぞりながら松本は頷く。 「これからは青信号でも手を上げて渡りますから」 久也は呆れたように小さく笑った。 口づけが肌伝いに降下していき、スラックスと下着を脱がされて隆起に及ぶと、笑い声は抑えられた嬌声へと変わる。 「ぁ……っは、ぁ」 久也の前髪がはらりと乱れた。 片腕で顔を覆い、もう片方の手は股間に沈んだ松本の頭に添える。 松本は上下の唇で艶やかな先端を挟み込み、舌先をしつこく滑らせて、丹念に奉仕した。 滲み出た透明なカウパーを指の腹に掬うと、直接、後孔に塗りつける。 傷つけないよう、ぐっと中にまで捻り入れてみると、頭に添えられた久也の手に力が篭もった。 微かな痛みが走る。 嫌じゃない。 口に深くペニスを含みながら、指の抽挿を速めてみれば、ぎゅっと髪を掴まれた。 「あ……あ……」 ああ、もう無理。 この人と今すぐ繋がりたい。 上体を起こした松本は手早くTシャツやらハーフパンツを脱ぎ捨てて裸になると、ワイシャツやらネクタイを身につけたままの久也に覆いかぶさった。 汚れないよう大胆にワイシャツを捲り上げる。 久也は頬を紅潮させ、霞んだ眼差しとなって、自分に入ってこようとしている松本を見つめていた。 「久也さん、いれるね……」 回を重ねても尚、熱くきつい締めつけに出迎えられる。 肉の抵抗に逆らって奥までゆっくり進めていく。 上体を前に倒して、傍らに両肘を突くと、久也はぎこちなく肩に腕を回してきた。 キスされる。 予想通り、松本に自ら口づけてきた久也。 深く沈めたところで一端腰の動きを止めると、自身をきゅうきゅう締めつけてくる中に溺れながら、夢中で唇を重ね合った。 薄目がちに視線も繋げて、指と指も絡めて、恋人握りなんかして。 そうして徐々に腰を動かし始めた。 「……あっ」 久也は連ねていた舌尖を解いて仰け反った。 口元を淡く濡らして、切なげに目を閉じて、素直に揺さぶられる。 「……久也さん」 耳元で松本が囁きかけると、忙しげに瞬きし、潤んだ双眸を露にした。 「自分でしてみて……?」 松本は律動しながら久也の手を彼自身の熱源へと導き、そこで離す。 久也は言われた通りにした。 デスクワークで酷使した五指を添えると、松本との狭間で、音が立つまでにしごく。 「あ……ナカ、締まって……気持ちいいよ……」 松本は上体を起こしてピストンに集中した。 あられもない卑猥な音色と、真下で手淫に耽りながら突き揺さぶられる久也の姿に煽られる。 ああ、もういきそう。 「……ね、久也さん……」 「っ……?」 「俺のも……っ、一緒にしごいて?」 頻りに瞬きした久也はかろうじて頷いた。 松本はしばし連続して小刻みに深奥を突き、そして。 名残惜しいながらもずるりと引き抜くと、久也の薄赤く艶めくペニスに我が身を擦りつけた。 久也の掌に包まれて、共に、しごかれる。 「ああ……っいく……!!」 松本はぎゅっと目を瞑った。 次の瞬間、久也の腹には二人分の白濁が放たれた……。 その日の帰り。 「何をしているんだ、君は」 「え、言ったでしょ? 青信号でも渡るときは手を上げるって」 「目立つからやめてくれ!」

書籍の購入

ともだちにシェアしよう!