101 / 130

14-4

「久也さん」 「どうしたんだい、今日は結婚式だろう?」 「はい、今、地元にいて。会場のホテルに向かってる最中です」 「ああ、それで?」 「イルカが割れちゃって」 松本の口をついて出たのは話すつもりではなかったイルカ事件で。 「……イルカが割れた?」 「温泉旅行で買った硝子のイルカが割れちゃって」 「ああ、あれか」 「久也さん、大丈夫かなって、不安になって」 「……話の脈絡がわからない」 「割れちゃったイルカ、久也さんに見立ててたから、久也さんに何かあったのかなって、不安になって」 「……」 歩行者信号が赤になり、車が流れ出す。 松本は阿久津の隣で立ち止まった。 ホテルはもうすぐ目の前だ。 「……俺、馬鹿ですね」 「いいや、馬鹿じゃない」 「ホント?」 「……君は……しているよ」 久也の台詞が電源落ちを予告する警告音に遮られた。 「変な音が聞こえるぞ」 「電源がもうすぐ落ちそうなんです、あの、久也さん、今何て言いました?」 「え? 何だって?」 互いの声が警告音で聞き取れなくなる。 松本は電源の息絶えつつあるスマホを掴み直し、もう一度聞き直そうとした。 松本の意識はそこで落ちた。 ■□ 職場から近い冷房の効いた蕎麦処で一人昼食をとっていたら、スラックスのポケットに入れていた携帯が振動を始め、久也は箸を下ろした。 相手を確かめると目を見張らせて通話に出る。 「もしもし?」 「久也さん」 「どうしたんだい、今日は結婚式だろう?」 「はい、今、地元にいて。会場のホテルに向かってる最中です」 「ああ、それで?」 「イルカが割れちゃって」 久也は聞き間違いかと思った。 イルカが割れるとは、一体どういう現象だ……? 「……イルカが割れた?」 「温泉旅行で買った硝子のイルカが割れちゃって」 久也の脳裏に小さな硝子細工の可愛らしいイルカが浮かぶ。 松本からもらったそれは職場のデスク端にちょこんと置かれている。 デスクワークに疲れた時、相手先に無理難題を押しつけられた時、手にとって指先で撫でては気持ちを静めさせてもらっていた。 「ああ、あれか」 「久也さん、大丈夫かなって、不安になって」 「……話の脈絡がわからない」 「割れちゃったイルカ、久也さんに見立ててたから、久也さんに何かあったのかなって、不安になって」 冷風で冷えていたはずの久也の頬がさっと紅潮した。 角のテーブルでそっと俯き、つい微笑してしまいそうになる顔を周囲から隠す。 「……俺、馬鹿ですね」 「いいや、馬鹿じゃない」 「ホント?」 「イルカの君は私のデスクで元気にしているよ」 会話の最中に耳障りな警告音が鳴り出した。 微笑を薄めた久也はおもむろに顔を上げる。 「変な音が聞こえるぞ」 「電源がもうすぐ……です、あの、久也さん、今……」 「え? 何だって?」 その時だった。 尾を引く車の急ブレーキ音が鼓膜に突き刺さったのは。 直後、派手な衝撃音が間髪入れずに続く。 そして。 「まっ松本ぉぉぉぉ!?」 誰かが彼の名を叫んだのが聞こえた後に。 通話はぷつりと切れた。

書籍の購入

ともだちにシェアしよう!