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オマケ小ネター水族館デートー
「可愛い」
平日の昼下がり、水族館にて。
久し振りに有休をとった久也は思わず声まで洩らして感嘆した。
青々とした照明の中、広く深い水槽の中で数頭のイルカが仲睦まじげに悠々と泳いでいる。
つぶらな瞳が愛らしい。
見ているだけで癒やされた。
「ほんと、可愛いですね」
久也の隣に立つ松本も頷いて同意する。
「久也さん、やっぱりイルカ好きなんですね」
「いや、特別好きというわけではないんだが。イルカが嫌いな人なんていないだろう?」
「あんまり聞いたことはないですね」
他の客に配慮し、イルカの水槽前がある程度空くまで後ろに控えていた久也は泳ぎ回る彼らを興味津々に目で追いかける。
「ほんと、可愛いです」
松本はキュートな海洋生物に夢中になっている久也を見下ろして紛うことなき惚気を口にした。
「一時間後にショーがあるみたいですよ」
「ここでこうして見られるだけで十分だ」
「このイルカとあのイルカ、ずっとじゃれ合ってますね、恋人同士かな」
「どうだろう」
「俺と久也さんみたいですね」
「……どうだかな」
「ほら、あんなにくっつき合って、ラブラブですよ」
「……千紘君、そんなに擦り寄らないでくれ」
イルカの水槽前で松本にじゃれつかれて眉根を寄せつつも、横にずれようとせず、他愛ないスキンシップに照れ笑いを浮かべていた久也だったが。
「違うよ! 恋人同士じゃないよ! お父さんのオーシャンと男の子のブルーだよ! 親子だよ!」
駆け寄ってきたかと思えば大きな声で説明してくれた親切なこどもに二人は揃って目を丸くさせた。
慌てた母親に手をとられて引っ張られていった彼に手を振って、久也は、松本に向き直る。
「だ、そうだ」
「大丈夫ですよ、久也さん」
「?」
「俺と久也さんはいくら何でも親子には見えません」
「一回りの年の差で親子関係に見られたら困り物だな」
「傍目にもれっきとした恋人同士ですよ」
「……それもそれで困る」
麻のテーラードジャケットにセットアップのズボン、ローファーを履いていた久也はぷいっと顔を背け、隣のペンギンゾーンへスタスタ移動してしまった。
だって、これ、紛れもないデートですし。
隙あらば手だって握りたいし。
なんならキスの一回くらい……って、さすがにそれは無理か。
「こっちのイルカはお母さんイルカだよ!」
親切なこどもに再び話しかけられて松本はしゃがみ込んだ。
「やっぱり一番可愛いのは久也さんイルカかなぁ」と、飽きずに惚気をかまし、逆にこどもの目をまぁるくさせたのだった。
「こら、千紘君……靴くらい脱がせてくれ」
自宅マンションに帰宅するなり、玄関で抱きついてきた松本に久也は呆れた。
「やです」
一回り年上の恋人を真正面からハグした松本はその肩に顔を埋め、呟いた。
「今日、久し振りのデートだったのに、デートじゃないみたいでした」
あれからというもの、周囲を過剰に意識してしまった久也に必要以上に距離をとられ、松本は不貞腐れていた。
「あれじゃあ友達ですらないです、赤の他人の距離感でした」
「すまない」
「久也さんは周囲を気にし過ぎです」
きれいめなシルエットで薄手のジップアップパーカーを腕捲りした松本の背中に、久也は、ぎこちなく両手を寄り添わせた。
「まだ慣れていないんだ」
一回り年下の恋人の腕の中で深く息を吸い込んだ。
「今からは……君の好きにしていいから」
ため息と共にそう告げれば。
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
がばりと抱き上げられて両足が宙に浮き、ぎょっとした。
「好きなだけ好きにさせてもらいます」
ニンマリと笑顔を浮かべている松本に、抱っこされた拍子に銀縁眼鏡がずれてしまった久也はキュッと唇を噛んだ。
「千紘君、君は……いじけていたのは演技か」
「いいえ? 正真正銘、いじけてましたよ? でも久也さんの今の言葉で大復活しました」
「あ、こら、まだ靴がっ」
「俺はちゃんと脱ぎましたから。久也さんはこのままベッドへ運ぶので、そこで脱がしてあげますね」
自分を抱っこして部屋を前進する現役大学生の胸に久也は遠慮がちにもたれかかった。
本当にすまない、千紘君。
君の言う通り、自意識過剰になっているみたいだ。
前よりも周囲の目が気になってそわそわしてしまう。
前は一緒にいられる時間が限られていたから、その分のめり込んで、他が見えなくなっていたらしい。
君と過ごす時間が増えた今だからこそ感じる不安。
邪険にしないで、向き合って、いつか折り合いをつけることができたら……。
「はい、靴、脱がせてあげましたよ?」
ベッドに横たえられた久也は両肘を突かせて半身を起こし、松本に尋ねた。
「で。その靴はどこへ置くんだ」
今すぐにでも久也に覆い被さりたい一心で靴を放り投げようとしていた松本はピタリと止まった。
「……久也さん、イジワル……」
ピンと立っていた尻尾を萎れさせてガッカリするワンコさながらな反応に、久也は、柔らかな笑みを零す。
「その辺に放り投げなさい」
しょ気ていたはずの松本は目を大きく見張らせた。
ベッドに仰向けになった久也に両腕を差し伸べられると、萎れさせていた尻尾を直立させて猛烈に喜ぶワンコさながらに、興奮した。
「千紘君、おいで……?」
はにかみながらも久也に求められると一切の躊躇なく身も心も差し出した。
放り投げられた靴は大きな弧を描いて床に落下したのだった。
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