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オマケ小ネター梅雨の日おうちデート1/3ー
【お昼ごはんで乾杯】
週末の正午過ぎ、松本は久也の自宅マンションへお邪魔した。
「こんにちは、久也さ……めちゃくちゃいい匂いしますね」
「今、丁度お昼ごはんを作っていた」
ドアのロックを外して出迎えてくれた久也は「フライパンを火にかけているから」と、急ぎ足で玄関からキッチンへ戻って行った。
「めちゃくちゃおいしそうです」
ダイニングテーブルに並んだ料理に松本は目を輝かせる。
イカとエビとプチトマトのアヒージョ風炒め、アサリとアオサの和風スパゲティ、スライスされたフランスパンのトースト。
「午前中、買い物に行って、新鮮そうなイカとアサリが目に入ったから買ってきた。エビは冷凍物だが。どうぞ」
「いただきまーす」
「いただきます」
松本は食器棚から自分でとってきたグラスに白ワインを注ぎ、久也へ差し出した。
「どうぞ、久也さん」
「贅沢なお昼だな。家にある麦茶でもよかったのに」
「たまにはお昼からのんびり贅沢しましょう。まぁ、そこのコンビニで買ってきたワインですけどね」
甘やかな果実の香りが鼻先をふわりと掠める。
わざとらしく気取った風にグラスを掲げてみせた松本に久也は微笑した。
「乾杯、千紘君」
本日は実に梅雨らしく朝から雨降り、すでに掃除の済んだ静かな室内には雨音による単調なBGMが延々と奏でられていた。
「どれも全部おいしいです、大葉とか海苔とか細かく刻まれていて、すごいです」
「海苔は元から刻まれている刻み海苔だよ」
カーキのパーカーを腕捲りした現役大学生・松本の食べっぷりに三十代の久也は惚れ惚れする。
「そんなにお腹空いていたのかい」
「ぶっちゃけ、昨日の夜からロクなものしか食べていなくて」
「インターン、忙しいんだな」
「ボチボチです。大変ですけど興味ある業界だし、でも講義の課題もあるし、やっぱり忙しいんですかね、俺」
空になりそうだった松本のグラスにワインのおかわりを注いだ。
「ご苦労様、千紘君」
「久也さんこそ」
七分袖でオフホワイトのVネックシャツにコットンリネン素材のゆったりイージーパンツ、こざっぱりした部屋着姿の久也は向かい側で自分の手料理をパクパク食べる松本に尋ねてみた。
「合鍵、使わないのかい」
オートロック設備のない五階建てマンション。
訪問の際、松本は毎回チャイムを鳴らし、久也がドアのロックを外すのを待っていた。
「ごめんなさい、久也さんからしたら面倒くさいですよね」
フォークを使ってアサリの身を殻から器用に取り外す松本に久也は首を左右に振った。
「もしかしてなくしたのかい」
「そんなまさか。ちゃんとありますよ。久也さんイルカがちゃんと鍵のこと見守ってくれてます」
「……君こそ、面倒じゃないのかと思って。私を待つより自分で開けた方が早いだろう?」
「あの時間が好きなんです」
エアコンのドライを効かせて快適な室内。
時折、連続する雨音にマンション前を通過する車の走行音が紛れた。
「チャイムを押して、久也さんがドアを開けてくれるのを待つ、あの間。貴いっていうか、高まるっていうか」
アサリとプチトマトを口の中に一緒に放り込んで笑った松本に、久也は、赤面した。
「あれ。久也さん、酔っちゃいました?」
「フン」
【ペディキュア】
「今日は久也さんにプレゼントがあるんです」
後片付けを一人でてきぱき終えた松本にそう言われ、布張りのソファで休ませてもらっていた久也は途端に眉根を寄せた。
「もうストッキングは履かないぞ」
「やですねぇ、そんな人をストッキングフェチみたいに」
「履かない」
「違いますって」
ストッキング着用を頑なに嫌がる久也の意固地な様子に一先ずデレておいて、松本は、リュックから取り出した新品のソレを掲げてみせた。
「マニキュアです」
「……見てわかるが」
「久也さんの爪に塗らせてください」
久也は盛大にため息をついた。
「あ。色っぽいですね、今の。そうですね、手の指だと相当目立つから、足の指でいいです、譲歩してあげましょう」
「…………」
ペディキュアというのは何ともくすぐったいものだな。
「動いちゃだめですよ、久也さん」
ソファの前にしゃがみ込んだ松本に注意されて久也は渋々頷いた。
ソファに座る久也は床にあぐらをかく彼の膝に片方の足先を預けた状態にあった。
もう片方の足の爪先はすでに綺麗に仕上がっている。
落ち着いたマット感のある、派手じゃない、ほんのり淡いブルー。
滑らかな光沢で白い爪先によく映えていた。
「くすぐったい……」
背もたれに深く背中を沈め、いつになくお行儀の悪い座り方をしている久也の言葉に松本は小さく笑う。
伏し目がちな眼差しはいつになく真剣に見えた。
一本一本、丁寧に、皮膚にはみ出さないよう手元に集中している。
仕事をしているときもこんな風に神経を研ぎ澄ましているのだろうか。
興味深げにまじまじと眺めていたら急に松本が顔を上げ、久也は思わずどきっとした。
「終わりました」
「そうかい。自分から頼んだわけじゃないが、どうもありがとう」
「どういたしまして。やっぱりこの色、久也さんに合いますね。優しいブルー。水族館色」
「そんなネーミングのカラーは聞いたことがない」
「色んな種類があって迷ったんですけど、これにしてよかったです」
「……君はストッキングを買ったり、こういうアイテムを買ったり、女性向け商品の購入に随分と慣れているみたいだな」
発言した後に「しまったな」と思い至ったが、すでに後の祭りで。
「久也さん、それってヤキモチですか?」
満更でもなさそうな表情で問いかけてきた松本に久也は苦虫を噛み潰したような顔になって。
マニキュアが乾くよう、ふぅ、と爪先に息を吹きかけられると反射的に背筋をゾクゾクさせた。
「足のマッサージしてあげます」
「っ……くすぐったいから、いい」
「お店で、久也さんにどれを買おうかあれこれ考えるの、楽しかったですよ」
「……」
それなら私もわかるような気がする。
午前中、スーパーで買い物をしながら、自宅の食事に招いた時はお腹をぐーぐー鳴らしてやってくることもある君のことを思い出して、何回も笑いそうになった。
「う」
足の裏を親指でグリグリされて久也は首を竦めた。
「そこは、ちょっと痛い」
「えー。これってどこのツボかな」
「ッ……千紘君、そこはやめてくれ」
「じゃあ、この辺はどうです?」
「ッ……全然、駄目だ、そこはもっとやめてくれ」
「もー。久也さん、ほんっとう感じやすいですね、足」
「君がそんな風に強く触るから痛いんだッ、それだけの話だッ!」
ムキになってクッションを投げつければ松本は余裕でキャッチし、投げ返してきた。
自分自身もソファに乗り上がって久也に覆い被さる。
今日イチの密着に改めて心を躍らせて。
「千紘君……」
職場では飲み会だろうと花見だろうと、ワイシャツの第一ボタンまできっちり留めて堅いガードを誇る首元。
整髪料を適度に馴染ませてセットされた黒髪。
今はVネックで首元どころか鎖骨まで無防備に曝されて。
手つかずの髪は指を潜らせれば何の抵抗もなくサラリと自然に流れた。
「久也さんにペディキュアしていたら興奮しちゃいました」
「……困った子だな、君は」
「わぁ。何ですか、今の台詞。最高。もう一回お願いします」
「もう二度と言わないッ」
照れてそっぽを向いた久也の白い首筋を松本はガブリと甘噛みした。
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