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智駿さんが連れて行ってくれたのは、少し入り組んだ道にあるおしゃれなレストランだった。こんなところに店があったのかとびっくりすると同時に、今まではいったことのない小洒落た雰囲気に俺はたじろいでしまう。彼女がいたときにデートで行ったのは、どちらかと言えば若い女の子が好みそうなふわっとした明るい雰囲気のお店だった。今、俺達が入ろうとしているのは、大人っぽい雰囲気のお店。中に入るとぴんと空気が張り詰めているというか、世界が違うというか、そんな感じがして息が詰まってしまう。
(……あ)
でも。俺を先導する智駿さんがいつもどおりだったから。いつものように柔らかい笑みを浮かべて俺の先を行ってくれたから、なんとなく安心する。きっとこの人とだったらどこまでも一緒にいけそうだな、なんて考えて、いやそこまでこの人とずっと一緒にいるわけじゃないし、と自分で自分に突っ込んでしまう。
「梓乃くん、緊張しているでしょ」
「えっ……えっと、」
「いいんだよ。恥ずかしがらなくても。いつもと違う雰囲気がまた料理に華を添えるからね」
「……」
席につくと、智駿さんは落ち着いた笑顔を浮かべて、俺にそう言ってくれた。慣れているんだなあ、と思った。かっこいいなあって。パティシエをやっているくらいだから、色んな美味しいものを食べたことがあるのだろう。小さなお店のなかで人当たりのいい笑顔を浮かべている彼、家で少しだらしない生活をしている彼……今、店内の暗いオレンジライトを浴びる智駿さんは、そんないつもの彼とは違う大人っぽさがある。しっとりとした、大人の色気。なぜか俺はどきどきとしてしまって、智駿さんと顔を合わせられなくなってしまった。
「梓乃くん」
「は、はい……!」
「あは、緊張しすぎ。どれ食べる? 僕のおごりだから好きなもの食べて」
「お、おごり……⁉ そんな……」
「誕生日、明日なんでしょ? プレゼントだと思って」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
智駿さんが差し出してくれたメニューを覗きこんでみる。値段をみて、ほっとした。さすがにいつも俺が行くような店よりは高いけれど、ドン引きするほどに高いというわけではない。メニューに目を通して行って、何がいいかな、と真剣に考え始めてみる。正直、ステーキが美味しそうだと思った。でもステーキはおごってもらうには少し高い。じゃあ、パスタはどうだろう。値段は比較的安いけれど……食べ方が一番気になる食べ物な気がした。女の子みたいにスプーンを使ってくるくると巻いて食べるのは女々しいような気がするけれど、だからといってすすって食べるのは……なんとなく智駿さんの前ではしたくなかった。食べ方を気にするなんて、それこそ女子か、なんて思ってしまうけれど……仕方ない。だって智駿さんが目の前にいるんだから、少しでも自分を良くみせたいじゃないか。
「じゃ、じゃあ……これで」
……結局俺が選んだのは、難しい名前をしたグラタンだった。メニューにのっているのはどれもこれも美味しそうだし、一度は食べてみたいって憧れるようなものだったけれど、正直今の俺は何を食べるか、ということをそんなに重要視していなかったと思う。智駿さんと一緒にごはんを食べれるってだけで、嬉しかったから。
なんでこんなに俺は、智駿さんと一緒にいることが嬉しいんだろう。さすがに、自分が浮かれてしまっていることを俺は自覚していた。智駿さんが大人として素敵だなって思っているからといって、ここまで一緒にいるだけでうきうきとしてしまうものなのだろうか。今までだって、尊敬している先輩と一緒にごはんを食べにいったりして、楽しかった記憶はいくらでもある。でも……それと、今の楽しさはどこか違うもののような気がした。……どこか、甘酸っぱいような。智駿さんと視線がぶつかるたびに、きゅ、と胸が痛くなる、不思議な楽しさ。
「あ――すごい、ですね」
うんうんと考えて、上の空で智駿さんと会話をして。そうしているうちに料理がやってきた。陶器の皿にはいった、ぐつぐつと熱そうなグラタンが俺の前にやってくる。智駿さんの前には、メニューをみたときにちょっと気になっていたステーキが。すごく美味しそうだ。いい匂いがしてきて、口の中が潤ってくる。
一緒にいただきますをして、俺はスプーンでグラタンをすくって口に運ぶ。
「……あつっ」
「ん?」
……思った以上に、グラタンは熱かった。思わず俺は口を手で抑えて、顔をしかめる。目元が熱くなってきて、うる、と視界が歪んだ。そうしてなんとかその一口を呑み込もうと頑張っていると、前の方から笑い声が聞こえてくる。
「……梓乃くん、猫舌?」
「えっ……そ、そんなこと」
「可愛いなあ」
「……か、かわいい、とか……」
智駿さんがくすくすと笑っている。からかわれているのかな、なんて思ったけれど「可愛い」って言われてどきっとしてしまった。潤んだ瞳をぬぐって視界を取り戻し、智駿さんを見て……俺は心臓が止まりそうになった。
「……っ」
智駿さんが、じっとこっちを見ていた。すごく、優しそうな顔で。俺の食べている様子を見て、微笑んでいる。
「お、美味しいですね、ここの料理!」
……その顔はヤバイ! まって、本当にまって。ドキドキがとまらなくなって、かあっと全身が熱くなってくる。
あれ? こんなこと、今まであったっけ。先輩とごはんを食べていてこんなこと一度でもあったっけ。ない。こんな風に、胸がきゅんきゅんとして締め付けられて、息が苦しくなったことなんて、一度もない。
「梓乃くん」
「はっ……はい……」
「梓乃くんが喜んでくれて、嬉しい」
「……はい……」
言葉がどんどん尻すぼみになってゆく。智駿さんの食事をしている様子がまた、かっこよくて。テレビでみるお手本のような綺麗な食べ方で、スマートにステーキを食べていくんだ。指先が綺麗でナイフとフォークを持つその手に目が釘付けになってしまうくらい。ドッ、ドッ、と心臓がうるさい。智駿さんを意識すると、頭がおかしくなってしまいそうになる。
――グラタンは、いつの間にか全部なくなっていた。無意識に手を動かして、口に運んで呑み込んでいたから、気付かないうちに完食していたのだ。意識が全部智駿さんに向いていた。料理に集中できなくて、グラタンの味を覚えていない。
……もったいないことをした。そうだと思う。せっかくいつもよりも少し高い料理を食べているのに、料理に集中できないなんて。
でも、後悔はしていなかった。智駿さんと一緒にご飯を食べられた……その事実が、俺のなかできらきらと輝いていて、まぶしかったから。
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