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二度目になる、智駿さんの家。でも、一回目の時とは何かが違う。何が、って聞かれると答えられないけれど。
「どうぞ」
「おじゃまします……」
どきどきする。だって、さっき智駿さん。「したくないってことじゃない」って言っていた。あの状況で、それって、俺が間違っていなければ「エッチしたい」ってこと。ついでに言えば、「ラブホじゃなくて自分の家で」って。このまま俺、智駿さんに抱かれちゃうのかな。ぎゅってされて、女の子みたいにされて、俺はどうなるんだろう。いつ、どのタイミングで智駿さんがそうしたことをしてくるのか予測がつかない。突然キスされたり? 壁ドンってやつ? されたり? 抱きしめられたり? ああ、そんなことされたら俺、たぶん心臓が止まる。
好き、だなあ。俺、本当に智駿さんのことが好きみたいだ。
「梓乃くん」
「はっ、はい……あっ……」
不意に呼ばれて、俺はハッとする。ぼーっと妄想ばっかりしていて、意識がどこかへいっていた。覚醒した、その瞬間。俺は、妄想が現実になったのかと、息を呑む。
智駿さんが、俺の両頬に手を添えて顔を覗き込んできたのだ。顔に、影がかかって視界が暗くなる。智駿さんの顔が、すごく近い。
「ち、はやさん……?」
息ができない。くらくらする。智駿さん、何するの? もしかして、キスする? 俺はどうすればいい? 目を閉じればいい?
「梓乃くん。顔、赤いね」
「……はい……」
「可愛い」
「……智駿、さん……あのっ……」
「キスしたいくらい可愛い」
「……し、」
してください。キス、してください。
その言葉は、喉でつっかえて出てこない。あんまりにも心臓が高鳴るものだから、気持ち悪くなってきた。涙まで出そうになって、呼吸の間隔が短くなって。俺が何も言えないでいると、智駿さんがふっと微笑む。
「……そんな可愛い梓乃くんにね、プレゼントがあるんだよ」
「へっ?」
智駿さんはぱっと俺を解放すると、冷蔵庫に向かっていった。俺はといえば、腰が抜けてずるずると壁にもたれかかって座り込んでしまう。
智駿さん。のほほんとしているようで、ズルい大人だ。きっと俺の好意は気付いていて、そして焦らしているんだ。でも、そんな智駿さんに俺はひどいと思うこともなく。もっと、手のひらの上で転がされたいなんて思っている。もてあそばれて、焦らされて焦らされて、そして最後に食べられたい。大人の男の人に翻弄されたい。
変かな、なんて思うけれど、年上を好きになったのは初めてで、しかも男の人なんてもってのほかで、だからこんな風に受身な恋をしてしまっているのかもしれない。
「梓乃くん」
「はいっ……!」
「みて。これ、僕からのプレゼント」
「え、」
へた、と座り込んでいた俺の目の前に、いつの間にか智駿さんがしゃがみこんでいた。そんな智駿さんの手には、小さなケーキ。智駿さんのお店にはたしかなかったケーキで、そしてプレートにはチョコレートで「happybirthday SHINO」と書いてある。
「これ……」
「梓乃くんのために僕がつくったケーキ。世界でひとつだけだよ」
「……智駿さん」
……智駿さんが、俺のために作ってくれた。小さいけれどおしゃれで、すごく手の込んだデザインのケーキ。俺を家に呼びたかったのは、これを渡すためだったんだ。そう思うとなんだか嬉しくて……嬉しすぎて、視界がじわりと滲んできた。
「梓乃くん?」
「す、すみません……嬉しくて泣くとか、……こんな歳なのに……恥ずかしい」
「……梓乃くん」
ふ、と視界が暗くなる。その寸前に見えたのは、智駿さんの切羽詰まったような顔。その表情はなに、と思ったときには、唇に何かが触れていた。
「……泣くのは、ちょっと卑怯かな」
「えっ、あ、あの」
今、もしかして。
キスをされた。
それに気付いた瞬間、ぼわっと全身が熱くなる。夢じゃない。本当に智駿さんにキスをされた。毛穴という毛穴から汗が噴き出してくるような錯覚を覚える。俺が何も言えずに口をぱくぱくとしていると、智駿さんは苦笑しながら俺の手を持って立ち上がった。引っ張られるようにして俺もよろよろと立つ。
「……とりあえず、ケーキを食べようか。梓乃くん」
「……はい」
頭がふわふわとして足元が覚束ない。そんな俺を智駿さんは笑いながら手を引いてくれた。部屋の真ん中に置かれたテーブルにケーキを置くと、智駿さんがその前に座る。そして、自分の膝をぽんぽんと叩いた。
「え……」
「どうぞ。ここに座って」
「ここ、って……」
「ここ」
膝の上に座れということだろうか。智駿さんの上に座っている自分を想像して、かっと身体が熱くなった。でも、ためらいとかは生まれてこなくて、俺の足は素直に智駿さんのもとに向かってゆく。そして、ゆっくりと……そこに、座った。
「……」
「梓乃くん」
「……っ、はい」
「食べさせてあげる」
耳元で、ささやかれる。ぞくぞくとしてしまって、俺は思わず身をちぢこめた。智駿さんはそんな俺をみてくすくすと笑って、手をのばす。俺を抱きかかえる体勢を取りながらフォークをとって、そして少しケーキをすくった。外側が真っ白なそのケーキは内側に、赤いソースが入っていた。すくわれたところからとろりとそれが零れてきて、綺麗だ。
「これはホワイトショコラのケーキだよ。内側には、苺のソース。梓乃くんをイメージしてつくったんだけど」
「俺、こんなに可愛い印象あります?」
「うん。外面はさらっとしてるよね。今どきの気怠げな若者。でも内側はすごく可愛くて、愛おしい」
「愛おしい、って」
「ほんとうのこと」
甘ったるい口説き文句のような言葉に、くらくらする。っていうか、口説かれてる? 口説かれてるよな。俺はどうしたらいいんだろう。「好き」って言われたわけでもないから何も言えないし、でもそれらしい言葉を何も返さないのも……。ぐるぐると考えているうちに、智駿さんがケーキを俺の口元まで持ってきていた。俺は小さく口を開いて、ケーキをいざなう。入り込んできた一欠片のケーキはすうっと口のなかで溶けて消えていった。ふわりとした甘さが広がって、美味しい。俺にとってケーキはおしゃれで慣れないような味がするけれど、智駿さんのケーキはなんだか優しく身体に浸透していくような安心感がある。家庭的な味というわけではないし、都会の一等地にある店のケーキだと言っても違和感はないけれど、それでもそんな風に感じるのは、智駿さんの人柄のせいだろうか。
「……やっぱり、美味しいです。智駿さんのケーキ」
「ほんと? 嬉しいな」
「優しい味がする。あんまりケーキは詳しくないんですけど、智駿さんのケーキを食べると心がぽかぽかします」
「最高に嬉しい言葉だな。僕、人に喜んでもらいたくでケーキを作っているから、そう言ってもらえると本当に嬉しい」
智駿さんにとって、パティシエは天職なんじゃないかな。人を笑顔にしたい、そしてそれをできるくらいのお菓子作りの技術を持っていて。あんな辺鄙なところに店を構えてないでもっと人の多い都心なんかに進出しちゃえば有名になれるのに、と思うけれど、こうして智駿さんと触れ合っていると、あれでいいんだな、と思えてくる。お客さんのひとりひとりと話して、そしてそのお客さんの笑顔を自分の目でみて。俺の「美味しい」って言葉にこんなに嬉しそうにする智駿さんの笑顔は、ほんとうに素敵だから。
ゆっくりと、ケーキを食べ進めていく。小さなケーキだけれど、完食するまでに少し時間がかかった。この体勢にも原因はあるかもしれない。密着していて、ちょいちょい智駿さんがちょっかいをかけてくるから俺がみじろいで。じゃれてる、なんて表現が似合うようなことをしながらケーキを食べていたから、ケーキを食べるという行為以上に甘ったるい時間を過ごしたように感じる。もう胸のなかはいっぱいに満たされていて、幸福感に俺は沈んでいた。
「あ……梓乃くん。みて、時計」
「え?」
フォークを置いて、智駿さんがベッドサイドに置かれたデジタル時計を指さす。指示されるままに視線を移せば……23:59。日付が――変わる。
「ハッピーバースデー、梓乃くん」
「あっ……」
「僕が、梓乃くんの二十歳の誕生日を一番に祝った特別な人だね」
誕生日が、やってきた。
日付が変わった瞬間に、智駿さんの言葉に祝われる。すごくうれしくて俺は溢れだす笑顔をこらえきれず、面白いくらいにニヤけてしまった。
「智駿さん……」
俺はぽすんと智駿さんに背を預けて、頬を彼の胸元に寄せる。いい匂いがする。
「梓乃くん」
名前を呼ばれて顔をあげると、じっと智駿さんが俺の顔を覗きこんできた。息がかかりそうな距離。途端に鼓動がはやくなってゆく。
「梓乃くん。これから僕が何を言おうとしているか、わかる?」
「……なんと、なく」
「そう。じゃあ、聞いて欲しい」
する、と智駿さんの手が俺の頬を撫でた。どきどき、どきどきとばかみたいに心臓が高鳴って、息が苦しい。早く、早く言って、そう思うけれど智駿さんは優しく微笑んで大人な表情。かっこいい。智駿さん、かっこいい。智駿さん……
「好きだよ、梓乃くん」
「……俺も、すき、です……」
「……よかった」
待ち望んでいた、智駿さんの言葉。それは、俺のなかに溢れかえっていた想いを引き出した。ためらわずに返事をすれば、智駿さんが嬉しそうに笑う。
そして。
かぷ、と唇を奪われた。
「……んっ、」
さっきの、触れるだけのキスよりも長い。少しずつ熱が溶け合ってひとつになっていく感覚に、今俺たちはキスをしているのだと実感する。
「好き」って言われた。智駿さんに。どうしよう、嬉しくて嬉しくてたまらない。嘘みたいだ、なんて思う。だってただの店員と客として出逢って、突拍子もない展開で距離を縮めて、そして男同士なのに両想いになれたなんて。感動までしてしまって、目頭が熱くなってくる。
「あっ……ん、」
……それにしても、なんというか情熱的というか、そんなキスだ。何度も角度を変えて俺を翻弄するみたいに智駿さんは唇を重ねてくる。所謂草食系男子みたいな顔をしているくせに、……キス、上手だ。俺もそれなりに恋愛経験があってキスくらいはしたことがあるけれど、相手は女の子で俺はどちらかといえばリードする側だったから、こうしてリードされるキスは初めてだ。
「ん……」
いいかも、しれない。こうして受け身になって、相手に全部委ねるようなキスをするのも。軽く後頭部を掴まれて腰を支えられて、まるでこっちが女の子みたいな状態でキスをするのは、思った以上に気持ちいい。頭がぼーっとしてきて、ふわふわしてきて、それでも智駿さんが俺の唇を貪ってきて……どうにでもして、なんて気持ちになってくる。
「……ちはや、さん……」
「……」
ようやく開放されて智駿さんを見上げれば、智駿さんが色っぽい目で俺を見下ろしてきていた。俺は思わずはっと息を呑んでしまって、智駿さんはそんな俺にくすりと笑う。
「……梓乃くん、いつから僕のこと好きだった?」
「えっ……わかんない、です……なんか……いつのまにか……」
「僕と同じだね。僕は男の人を好きになったことはないんだけど……どうしてかな、梓乃くんとこういうことしたいって思うようになっちゃって」
「こういう、こと……」
「笑っている君をみていると幸せな気分になれるんだけど、なんかそれと同時に触れたいって思っちゃって」
ふ、と智駿さんが笑って、俺を抱きしめる。そして、俺の肩口に顔を埋めてきた。すごい密着感に、たまらずドキドキとしてしまう。
触れたい、って。なんだか妙にいやらしいような、俺が意識しすぎのような。でもさっきラブホを見たときに智駿さんは意味深なことを言ってきたし、智駿さんは俺とやりたいとか考えているのだろうか。触れたいってどこまで? そういうこともするってこと? ……いいけど。智駿さんとなら、そういうことしてもいいかもしれないけど。これから俺、抱かれるのかな。智駿さんにそういうことされるのかな……。
「梓乃くん」
「はっ……はい」
「……なんかいい匂いする。さっきよりも」
「えっ……? 気のせいじゃないですか?」
「そう?」
「あっ……」
く、と智駿さんが俺のうなじに顔を寄せる。「やっぱりいい匂い」、そう言われてドキッとした。
「……かわいいね、やっぱり」
「んっ……」
首筋に軽く口付けられて、いよいよ余計なことを考える余裕がなくなってくる。すごい。受け身になるとこんなになっちゃうのか。次に何をされるのかという期待で胸がいっぱいになって、ふわふわとしてくる。俺は気づけば智駿さんにくったりと体を預けて、目を閉じて、完全に全てを智駿さんに委ねていた。このまま食べられたいなあ、なんて思った。
「あ、そうだ」
「へっ?」
そうしていたら、智駿さんがぱっと体を離して言う。あれ、お預け? なんて俺が呆然としていると思いたったように智駿さんが笑う。
「梓乃くん、もう二十歳だよね。お酒飲む? 一応準備してあるんだけど」
「えっ?」
「あー、ほら、僕明日も早いから、飲むなら今かなあって」
「あっ……」
時計をみて、気付く。もう日付が変わってしまっていて、明日も早起きが必要な智駿さんはそろそろ寝なくてはいけない時間だ。これはやらしいことをしている場合じゃない。ちょっと残念だと思いつつ、俺はふるふると首を振る。
「いえ……智駿さん、そろそろ寝なきゃ。今度飲んでもいいですか?」
「そんなに気遣わなくても大丈夫だよ? でも、たしかに今度うちに来た時にゆっくり飲んだほうがいいかもね」
智駿さんはあっさりと俺を解放して、テーブルに乗った食器を片付け始めた。智駿さん、俺ほどムラムラしてない? 智駿さんが片付けている姿をみながら、思う。時間だから、とスパッと切り替えたあたり、分別があるというよりはそこまで興奮していなかったような気がする。ロールキャベツ系だと思ったらやっぱりキャベツか。智駿さんはあんまりがっつくタイプではないようだ。付き合ったら早くヤりたいって考えてしまう学生とは違うみたい。
「今度は僕のお店の定休日の前日に会おうか。やっぱり夜はゆっくりしたいもんね」
「……はい!」
あんまり俺が残念って顔をしていたからか、智駿さんはそう言ってくれた。今度会うときにはもうちょっと進むかな、と思いつつそう簡単にはいかないかという諦めも、少々。
智駿さんは、結構謎かもしれない。というより、俺が今まで付き合ってきた人たちとはタイプが違うから、何を考えているのかなかなかわからないのだ。年上というのもあるかもしれない。そんなにとんとんと進まないよな、となんとなく納得する。それに貞操観念云々という以前に俺たちは男同士なわけで、そういう点ではお互い「初めて」なわけだから、そういったことをするには多少の抵抗もあるだろう。わりとあっさり「抱かれてもいいかな」なんて思ってしまった俺のほうがもしかしたら珍しいパターンなわけで、智駿さんは男を好きになってもそこまで進みたいとは思っていないかもしれない。ラブホをみたときの発言はあくまで口説き文句なだけで、いざそういった状況に置かれたら智駿さんは怖気づいてしまうのかもしれない。
うんうんと考えて、気付いたときには智駿さんは片付けを終えていた。「そろそろ寝ようか」と微笑んできた彼をみて、ハッとする。
……俺、どんだけヤリたいの。
「おいで、梓乃くん」
「……っ、はい」
俺は、そんなに下半身はだらしなくないと思う。そりゃあ好きな人とは早くエッチしたいとか考えるけど、そんなに急いでヤリたいなんて思わない。それなのに、今こんなに心が急いでしまっているのは、相手が智駿さんだからだろうか。年上の落着きを持っていて、キスが上手で、俺をひっぱってくれる。受け身になる恋愛に、俺は期待を抱いているのかもしれない。
なんというか、食べられたいなあって、好きにされちゃいたいなあって。蹂躙されてしまいたいと思っている。女の子を相手にしたらまず抱かないような想いを抱いてしまっている。
布団に入って、腕枕をしてもらって、抱きしめられて。俺は自分についてちょっと嫌なことに気づいてしまった。
……俺もしかしたらМなんじゃ。
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