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「――おい、智駿」  「たからばこ」に行った日から、今日まで智駿とはほとんど絡んでいない。ほとんど絡まないで、時々ムカついたときには小競り合いをする……それが俺たちの関係だった。でも、今日はどうしてもこいつに言いたいことがある。 「おまえ、結局奈々と一ヶ月くらいしか続かなかったじゃん」 「……ああ、別れたの、知ってた?」 「あたりまえだろ!」  そう、智駿と奈々は結局別れてしまった。奈々は散々悩んで俺に相談してきたのに……結局智駿のあっさりとした態度に耐えられず別れを切り出してしまったらしい。悩ませるだけ悩ませた、そんな一ヶ月を奈々に提供した智駿には文句のひとつもいいたくなるものだ。放課後になって、いつものようにさっさと学校から帰ろうとしている智駿を、俺は捕まえる。 「あのな、おまえ恋人ってなんだかわかってる? 彼女に不安な想いさせてなに放っておいてるんだよ」 「え……僕は僕なりに優しくしたつもりだったんだけど」 「……おまえ、本当に奈々のこと好きだった?」 「……好き、だったよ。うん」  問い詰めれば智駿は自信なさげに俺から目をそらす。「好き」だなんて、嘘だ。俺はそう思う。だって、奈々と一緒にいるときの智駿は、あの「たからばこ」でみせた智駿とは違う。上っ面の、ふわふわとした笑顔しかみせていない。  智駿は逃げるようにして校門から出ていこうとした。俺は気づけば奴のことを追いかけていて、その手を掴んでしまう。 「大体さ、別れておいてそんな哀しむ素振りもみせないで……何が好きだっただよ。好きならちょっとくらい執着しろっての」 「……」  智駿は、俺の言葉を聞くなり鬱陶しそうに顔を歪めて、俺の手を軽く振りほどいた。そして、俺を無視するようにして歩き出してしまう。  俺は、間違ったことを言ったつもりはない。なにも、しつこく復縁を迫れとは言っていない、ただ恋人にもう少し夢中になってもいいんじゃないかな、そう思っただけだ。智駿が逃げようとしているのは……俺が図星をついてしまったからに違いない。 「おい、智駿……!」 「それならわからない」 「え……?」 「執着するのが恋だっていうなら、僕は恋なんて知らない」  ちらり、智駿が振り返る。その瞳はどんよりとしていて、俺は思わずぎょっとしてしまった。 「付き合った子のことは可愛いと思うし喜ばせてあげたいって思う、でも四六時中その子のことを考えたりしない。それでなにが悪いの、僕はその子のものじゃない」 「恋人になるってことはお互いがお互いの所有物になることだと思えっつーの!」 「……なにそれ。無理」 「はあ? おまえ真面目に恋愛する気ないだろ!」 「僕の「なか」に他人が入り込んでくるとか、無理。他人に心なんてあげたくない」 「心も何もかもを奪われるのが恋だよ! おまえは今まで恋なんてしてない!」  あんまりにも智駿が冷たいことを言うものだから、思わず俺は怒鳴ってしまった。校門からでてくる生徒たちに不思議そうな顔で見られて、堪らず智駿の手を再び掴んで走り出す。 「ちょっと……! 白柳、おまえ、なんなの!」 「うるさい、わからずや!」 「おまえにわかってもらう気ないから! 離せ!」 「このままじゃ腹の虫がおさまらないんだよ!」  苛立ち気な智駿を引いて、俺は近所の公園に飛び込んだ。そこでやっと手を離してやれば、智駿は「なにがしたいの」とでも言いたげに俺を睨んできた。そんな風に問われても、俺はきっと何も答えられないだろうけれど。衝動的にここまで智駿を連れてきてしまったのだから。 「帰っていい? どうせ僕と白柳じゃあ話合わないし」 「帰るんなら約束しろよ、もう女に手を出すな!」 「は? それをなんで白柳に言われなきゃいけないわけ? 白柳に決められる筋合いないけど」 「おまえがああやって女に手を出しまくると迷惑する奴がいるんだよ! 俺みたいに!」 「知らないね。僕は僕なりに恋愛してるつもりだから、口出ししないでくれる。いいでしょ、それなりに好きでそれなりに関係もってればそれだって」 「だからおまえのその恋愛観ズレてるんだっつーの!」  俺がここまでムキになっているのは、そのあんまりにもズレた智駿の恋愛観に不安を覚えたからだと思う。はじめこそは自分が好きだった奈々を弄ばれたこのに憤っていたけれど、智駿の考えを聞くうちに胸のなかがモヤモヤとしてきた。おまえ、そんな考えで今まで生きてきたの?って、心配ともなんとも言えない気持ちになってしまったのだ。 「……おまえが変なのさァ、そうやって何にも固執しないからでしょ。足が地面についていないから、ふわふわふわふわしちゃって宙に浮いちゃって」 「何言ってんの白柳。僕が宙に浮いてるってなに」 「浮世離れしてんだよ、おまえ。悪い意味でな!」 「……」  俺が気付いた答えを口にすれば、智駿はムスッとして俺を睨みつける。そうだ、智駿が人間らしくないなんて感じるのは、智駿が強い「好き」って気持ちを持たないでいるから。だから熱を感じない。浮いているように見える。 「好きなものなら、あるよ。僕はおじいちゃんの店が好き」 「……それは知ってる」 「あっそ。じゃあこの話は終わりで。僕がちゃんと好きなものもって、それに対して強い想いもってればいいんでしょ」 「……でも、おまえのその好きなもの、人じゃないじゃん」 「人である必要なくない?」 「……っ」  俺はとうとう、押し黙ってしまった。店が好きだと言われたら何も言い返せない。たしかに俺は何かを好きになれっていったーーなんで、それが人でなくてはいけないのかなんて、説明できない。例えば智駿が製菓に情熱をかけているならそれはそれでいいと思う。でもそれは……愛情とは違うから、智駿の浮遊感が変わるきっかけにはならない気がする。  そもそもなんで俺が智駿を変えようとしているのかなんて、自分でもわからないけれど。 「これ以上、そのわけのわからない話を僕にふらないでね」  俺と智駿なんてただの腐れ縁だし、好きか嫌いかでいえば嫌いだし。こんな風に深く入り込むような話をする必要なんて一切ない。それなのに……なぜか、勝手に意識が向いてしまう。  こちらに背を向けて、足早に去っていく智駿を、俺はただ見つめることしかできなかった。

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