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「いやぁ、正直彼のこと、僕は苦手で」  部屋に入るなり、智駿さんはそんなことを言ってきた。智駿さんの態度で察していたことではあったけれど、はっきりと言われると驚く。だって、智駿さんが人を苦手だって言うのはあまりないように思えたからだ。白柳さんみたいに嫌いだ嫌いだと言いながらも仲のいいというわけでもなく、新見さんのことは本当に「苦手」らしい。 「悪い人とかじゃないよ。専門時代に色々あったから」 「あ……智駿さんと同じ専門だったんですね」 「うん。専門時代にね、僕は彼にライバル視されてて。僕は自分と他人の作品を比べること自体に興味なかったから特にライバルって思ってなかったんだけど、それがまた彼は気に食わなかったみたいで」 「ああー……」  たしかに智駿さんと新見さんはあまり考えが合わなそうだ。田舎の個人営業のケーキ屋のパティシエと高級ホテルのパティシエだと目指しているものも違う気がする。 「僕の通っていた専門学校では、毎年校内でコンテストが開かれるんだ。それで僕は新見に勝って、新見は僕のことを評価してくれるようになったんだけど、僕が地元で小さい店を開くって言ったら怒っちゃってね」 「怒る?」 「俺に勝ったのになんで狭い世界に閉じこもるんだって」  ああ……これは、俺とは違う世界の話だ、そう感じた。  智駿さんのしたいことを否定されているということには怒りを覚えるけれど、でもそれは平凡な俺の考えであって単純に考えていい話ではない。自分は世界に羽ばたきたいと思っているのに、そんな自分に勝ったライバルは田舎から出ようとしない。新見さんからすればものすごく複雑な気持ちなんだと思う。 「僕も若かったからね、彼と言い争ったりもしたんだ。酷いことも言ったかな」 「そう、なんですね……」 「彼はただ、プライドが高かったんだ。悪い意味でじゃないよ。パティシエとしての誇りが彼は強かった。パティシエってさ、職人だから。自分の腕に絶対的な自信を持っていて、そして他人に負けたくない、勝ちたいって気持ちがあって当然なんだ」  そして智駿さんも、俺とは遠い世界にいる人なのかな、そう思う。もちろん恋人として誰よりも近いところにいるけれど、パティシエとしては俺の知らない部分がありすぎる。俺は智駿さんが自分のパティシエとしてのあり方をどう思っているのか、まだまだ知らない。 「僕は今、こう彼のことを話しているでしょ。でも昔はそんな風に彼のことを受け入れられなかった。自分の未来も不安だったし、何より彼が羨ましかったんだ」 「……」 「僕は田舎の小さな店を営んでいた祖父に憧れてパティシエになった。その想いだけは曲げたくなくて、でも新見をみていると自分も大きな世界に行きたいって思ったりして。たくさんの人に認められて輝いている新見が眩しかった」  そう話す智駿さんは、さっき新見さんと話していたときと同じ表情をしていた。上手い言葉をかけられない自分が、悔しい。まだまだ俺は、幼すぎた。世界を知らなすぎた。 「僕は今も新見が苦手って言ったでしょ。僕たちはそれぞれ大人になって、自分の道に自信を持ったからお互いを否定したりしない。それでも僕は……まだ少し、新見が羨ましい」  適当に生きてきて、人との争いとかを避けてきた。何かを突き詰めたことなんて、なかった。智駿さんの話を聞いていると、そんな自分が恥ずかしくなってくる。20年も生きてきて、俺は何をしていたんだろうって。  だから、何も言えなかったんだと思う。こんな自分が、智駿さんみたいに厳しい世界の前に立っていた人に何かを言ってはいけないような気がした。 「……いこっか。今の新見を早くみたいんだ。きっと彼は、今の僕よりもずっと上手なんだろうなあ」  智駿さんの、迷いを感じる声。常に戦いのある世界にいる人間は否応なしに成長していくだろう。自分が田舎にいる間に変わっていった彼を羨むような智駿さんの声色が辛かった。自分の決めたことに後悔はないのに、それでも羨んでしまう自分が嫌だって、そんな声だった。

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