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「あっ……すみません」
ちょっと俺もいじけちゃったからか、ぶすっとしてしまった。智駿さんがきょとんとしている顔を見て、俺は自分の発言を省みる。
でも、この気持ちはわかって欲しかったから訂正はしたくない。ここが秀でているとか値段がどうこうとかじゃなくて、俺はあの店が好きなんだってわかって欲しい。そして俺のほかにも同じことを思っている人は絶対にいるから、智駿さんにそういうところを理解して欲しい。
智駿さんは元々自分に自信がないわけじゃないし、お客さんの一人一人を大切にしているから現状に十分満足しているはず。ただ、自分の羨んだ道に進んで成功した人を目の前で見て心が揺らいでしまっているだけだ。
「……そういえば、梓乃くんが僕の店にきたきっかけって妹さんの誕生日だったっけ」
「……はい、俺の妹、すごく喜んでいて、」
「うん」
「あの日は、俺にとっても妹にとっても特別な日になって、」
「……うん」
智駿さんがふいっと俺から目を逸らして窓の外をみる。まだ夕方にはならない、けれど太陽が沈み始めた空。雲がふわふわと漂う青が、智駿さんの瞳の中できらきらとしている。
智駿さんは何かを考えているようだった。智駿さんの瞳の中の空が色を変えてゆく。
「梓乃くんの妹さんって、髪が長くて口元にほくろがある?」
「あれ? みせたことありましたっけ」
「ううん。「お兄ちゃんがこのお店で買ってきたケーキが美味しかった」って言って友達の誕生日ケーキを予約していった子の名字が、「織間」だったんだ」
「えっ、あいついつの間にブランシュネージュに!」
「うん……」
紗千のやつブランシュネージュに行ってたのか、と驚きつつ、また黙り込んでしまった智駿さんに不安を覚える。何か地雷を踏んでしまっただろうか……なんて俺が胸をキリキリとさせていると、智駿さんはぽそりとつぶやいた。
「誰かの思い出の一部になっているんだね、僕のつくったもの」
「……!」
さっきまでどんよりとしてた瞳が、柔らかく細められた。智駿さん……もしかして気付いてくれたかな。俺とか他の人たちがあの店のことが好きなんだってことに気付いてくれたかな。
「誰かにとっての特別な日っていう思い出のなかに僕の作品があって、そしてまた違う人の思い出のなかにって……すごいことだよね」
「そっ……そうですよ! 智駿さんのケーキでみんな笑顔になってるんだから!」
「……うん、そっか。そうだよね、」
智駿さんは困ったように笑って頭に手を当てる。やっと自分が変な迷路に迷い込んじゃっていたことに気付いたのかもしれない。智駿さんの迷いのようなものがふっと消えたような、そんな風にみえた。
「――おまたせしました」
そのとき、上から声がかけられる。ふと顔をあげれば、そこには新見さんがいた。
「あれ、パティシエ自ら」
「そうそう、丁度手が空いたから」
ウェイターさんじゃなくて、まさかの新見さん自らがケーキを持ってくる。自分の作品を見て欲しいって自信に満ちた彼の表情に俺はぎくりとする。せっかく智駿さんが立ち直りかけたというのに、こんなに成功している人オーラ全開の新見さんが現れたら……!なんて、俺は焦ったのだ。
「僕たちの頼んだこのオススメってさ、新見がコンテストで賞をとったときのやつのアレンジだよね」
「あれっ、智駿……よくわかるね」
「さすがにね、成功している同期のことはチェックしているよ」
でも、智駿さんは顔色を変えずに新見さんと話している。新見さんはといえば智駿さんの言葉を聞いて嬉しそうにはにかんでいる。過去にライバル視もされなかった智駿さんに、それなりに意識されているというのが嬉しいのかもしれない。見るからに仕事できますといった顔つきの新見さんは、常に誰かと戦って自分を高めていきたいタイプなのかな、って俺は思った。
ただ、新見さんは戦うのが好きでも人を蹴落とすことが好きではないらしい。過去に智駿さんにきついことを言ったこともあるらしいけれど、今智駿さんに褒められた新見さんは本当に純粋に喜んでいる。今、俺はおまえより有名なんだぞ、みたいな嫌味ったらしい笑顔ではない。
「いや、なんだかすごいね。自分の決めた道で成功しながらも、やっぱりお互いのことが気になっちゃう感じ」
「お互い?」
「俺も智駿が今どんな状況なのか知っているよ。この前智駿の住んでるところの地方誌でブランシュネージュが特集されていただろ。あとー……あそこらへんに住んでいる人たち、結構智駿の店知ってるんだね」
「え!?」
「いったんだよ、智駿の町。みんな口を揃えてあそこのお店は「なんかいい感じ」って言ってるんだ」
智駿さんがきょとんとして新見さんを見ている。智駿さんの動揺している姿は、あまりたくさん見られないからちょっとドキっとしてしまった。でも智駿さんが驚くのも仕方ないと思う。智駿さんの住んでいる町に、東京の一流のパティシエがわざわざくる理由なんて見つからない。あるとすれば――智駿さんの様子を見るために来た、それだけだから。
「自分の町で愛されるお店を目指したい、来る人を笑顔にしたい、みたいなこと智駿は言っていただろ。だいぶ夢に近づいているんだなあって俺は嫉妬したね。俺なんてまだまだなのに」
「僕は新見に嫉妬していたけどね。自分の道を見失いそうになるくらいには」
「智駿が?」
「ううん、大丈夫、新見が羨ましいって思っているのは変わらないけど、もう自分の道はちゃんと見えているよ」
ふ、と智駿さんは笑う。
――ああ、迷路から抜け出せたんだ。いつもの智駿さんに戻ったみたい。俺はホッとして、嬉しくなって、こっそりと笑う。そうすると智駿さんがちらりと俺のところを見て、優しげに微笑みかけてきた。
「いい恋人を持ったなあ」
「――えっ!?」
智駿さんの言葉に、俺は驚いた。なんでこの状況でそんなこと言われたの!?って。新見さんも、突然の惚気にぽかんとしている。
「何、急に惚気ちゃって」
「んー?」
にこにこしている智駿さんと、「ふーん」って顔をしている新見さん、二人に俺は見つめられて一人顔を赤くしていた。
「ちょっと迷いそうになったときに引っ張ってくれるって、最高の恋人でしょ?」
――そんなに、俺は特別なことを言っただろうか。難しいけれど、特別でもなんでもなかった言葉が、智駿さんは嬉しかったのかもしれない。
「ちょっと悔しいな。ライバルが取られちゃった気分」
「……新見みたいな奴がいるから、僕は成長できるんだよ」
「智駿も俺のことちゃんと意識してくれているっていうのは嬉しいね」
でも、智駿さんがすぐに立ち直れたのは、智駿さんが選んだ道が智駿さんにとって正しいものだったからだと思う。智駿さんはブランシュネージュっていうお店をつくることが運命だったのかもしれない。結局のところ、何かに迷った時に最後にそこから抜け出すのは自分自身。俺なんてそんなに褒められることはしていない。
「そうだね。お互いにライバルとしてがんばろうか」
曇りのない笑顔は、いつもの智駿さんのものだった。ああ、ほんとうに良かった。目の前でほんの少し成長した智駿さんは、かっこよくみえた。ますます智駿さんのことが好きになりそう、そう思って俺はにやけてしまった。
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