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「……俺もね、一回、すごく悩んで立ち止まったことがあるんだよ。恋愛のことじゃないけど」 「……セラが?」 「人生の岐路に立ったときにね。今までみたいに人間らしさを捨てて楽に生きていくか、自分の足で険しい獣道を歩いて行く道を選ぶか。その選択肢が与えられた時、俺はすごく迷った。自分の人生を大きく変えることだったから」  味噌汁は、なめこと豆腐のシンプルなものだった。優しいいい匂いがする。「どうぞ」と言われて、俺はそれに口をつけた。  味は、どちらかと言えば濃い目。けれど、飲みやすい。体がほっとするような、懐かしい美味しさがある。 「ふふ、どう? そのお味噌汁」 「ん、おいしい。優しい味がする」 「よかった~! 俺、最近ようやくまともに火を使えるようになってさ! ねえ、20数年も生きているのに、俺、包丁も今まで持ったことなかったんだよね。やっと最近料理に挑戦し始めたんだ」  俺が味噌汁の感想を口にすると、セラは本当に嬉しそうに笑った。 「昔の俺なんて男の人を悦ばせることしか知らなかったんだけど、今は普通~のことをするのも楽しいって思えるんだ。はじめのうちは、色々苦労したんだけどね。でも、ガラッと人生が変わって、今はすごく生きるのが楽しい。あの時にすごく悩んだ結果がこれなんだって思うと、やっぱりあの選択肢はすごく大きかったんだなあって」  口の中に広がって、お腹の中で漂う味噌汁のぬくもり。味噌汁といえば俺の中でおふくろの味ってやつの代表格だったから、家庭料理といえばコレだし優しい料理といえばコレだった。それを、あまり詳しい事情は知らないけれど大変な人生を送ってきたらしいセラが作れるようになったっていうのは、きっと、彼にとってすごく大きいことなのかもしれない。彼の変化の象徴のようなものだと思う。  セラがそんな味噌汁を振る舞ってくれたのは、なんでだろう。そう考えて――ふと思う。俺の人生の岐路とは、いったい何か、と。 「……セラ。男の人と恋愛するのって、難しいことだと思う?」 「……。梓乃くんは? どう思うの?」 「……、思ってない、つもりだったんだけど……」  セラは、人生の岐路に立った時、迷ったのだという。俺も今、迷っている。だから俺は、今――人生の岐路に立っているのかもしれない。  そう考えると、俺が智駿さんと距離をとってしまっているのは――智駿さんが、俺の人生のなかで一番大きな存在であるから……なのかもしれない。 「今だけを見つめるなら、恋愛は誰が相手だってただ楽しいものかもしれない。今までの梓乃くんみたいにね。けれど――将来を考えたとき、それはそうでなくなると思うよ。特に君みたいな、普通の家庭で育った子は」 「……」 「俺はね、すでに世間から除け者にされているから、もうどんな相手と付き合おうが関係ないの。けれど君は、周りの人が普通の人たち。梓乃くんは優しいから、きっと周りの人も優しくて、梓乃くんがどんな人と付き合おうと受け入れてくれると思うよ。でも――君は確実に、少しずつ、苦しむことになる。はっきりいって、男同士で付き合うことは、難しいことなんだ」  軽率に、ずっと一緒にいようなんて言えない関係だからこそ、俺は選択することから逃げてしまったのかもしれない。将来を見据えた時、そこに智駿さんはいるのか――それを考えて、怖くなったのかもしれない。色々と理由をつけて智駿さんと距離をとっていたけれど、本当の理由は、それなのかもしれない。 「……俺、智駿さんと一緒にいることに、不安を……感じていたの、……かな。嫌だな、それは……」 「……梓乃くんが本当に智駿さんのことが好きだから、不安を覚えていたんでしょ。自己嫌悪する必要は全く無いよ」 「でも――俺は、智駿さんとずっと一緒にいるって、それを当たり前のように思っていたはずなのに――……!」  智駿さんとの未来が、怖くなった。不安を覚えていた。その事実に、俺はショックを受けた。ずっと、俺は智駿さんとの未来を絶対だと疑わなかったから。好きで、大好きで、だから絶対に離れることはないと、確信していたはずなのに。  セラは、好きだからこそ不安を覚えるって言う。でも、理由があったとしても智駿さんとの未来を疑ったという事実は変わりない。俺はそれが嫌でたまらなかった。 「それだけ、智駿さんって存在が君の中で大きくなってきた証拠だよ。君の人生を揺るがすほどにね。ただ幸せを願うだけじゃなくて、リアルな不安も一緒に考えることができるようになったら、それはただ君が智駿さんに本気で恋をしているってことだから。自分を責めることは、ないんじゃない」 「でも……」 「それに、その悩みは解決するどころかどんどん膨らんでいくと思うよ。今すぐにどうにかできる問題じゃないからね。だから、君がすべきことはなにか、わかる?」  永遠が絶対だと思っていたはずの、自分。そんな自分に失望した俺に、セラが優しく声をかけてくれる。  悩みは解決できない。それは、そうだ。男同士で付き合うことの難しさを、ちょっと誰かに相談したくらいで解決できるわけがない。じゃあ、今俺がすべきことはなにか。セラに問われたけれど、俺はわからず黙り込んでしまった。 「ちゃんと、智駿さんと向き合うこと。逃げてばっかりじゃあ何も変わらないからね」 「……、」 ――将来に不安を覚えて、智駿さんから逃げた。逃げてから、自分が本当に逃げた理由に気付いた。そんな俺が今すべきこと――それは、智駿さんから逃げないこと。俺の人生で一番大切な人と、向き合うことだ。  セラに言われて、俺はそれに気付いた。何も難しいことじゃないのに、ようやく気付けた。それくらいに、俺は智駿さんから逃げたかったのだと思う。 「智駿さんと仲直り? したからってすぐには梓乃くんのもやもやは解決しないと思うけど。長い目で見るべき問題だからさ」 「……うん、」  本当の、智駿さんとの未来を考えるのが、急に怖くなってきた。だから、セラの言葉に勢い良く頷くことはできなかったけれど、もう逃げようなんては思わない。セラはそんな俺の気持ちに気付いてくれたのか、にこっと笑ってくれた。 「やったね~! 梓乃くん! 梓乃くんも大人になった!」 「えっ、わっ、ちょっ!」  セラ、俺が思っていたよりもずっと色んな物を抱えていて、そして大人だ。そう思っていると、セラがぎゅっと抱きついてきた。女性物に似た香水の匂いが、ふっと鼻を掠める。俺はバランスを崩してそのまま床に倒れてしまって、セラから逃げることができなかった。  セラはじゃれあう猫のように、俺に抱きついてばたばたと動いている。ちゃっかり服の中に手をいれてこようとしたのは、相変わらずだ。ビッチなのは健在らしい。  俺はセラの猛攻を躱しながら、ふと智駿さんのことを考える。やっぱり、会いたいなあって、そう思う。 「セラ」 「はあい」 「……ありがと」  俺が本当に答えを出すのは、きっと当分先になる。けれど、そのヒントをくれた色んな人たちに、俺は心から感謝をしていた。

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