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そう何ヶ月も日が空いたわけではないけれど、ブランシュ・ネージュに来るのもものすごく久々な気がした。なんだか、初めてブランシュ・ネージュに来た時のことを思い出す。目に見えないバリアがはってあるような、よくわからない入りづらさ。今の俺は心の中でごちゃごちゃと考えてしまっているから、智駿さんに会うのがちょっとだけ怖い。
どっちにしても、今は智駿さんは仕事中だから、込み入った話をするつもりはない。ちょっと顔を出して、謝って、そして今度家に行っていいですかって、それだけを聞いてくる。
俺はドキドキとしながら、扉に手をかけた。ごく、と生唾を飲む音が自分でも聞こえてくる。
悩んでいてもだめだ。とにかく、智駿さんと向き合う! 向き合うんだ、俺!
なかなか進まない足に喝をいれるように、俺は自分を奮い立たせた。そして、ぐ、と扉を押し込んで、開く。
「こ、こんにちは……!」
カランカランとベルの鳴るドアを開けて、俺が店内に入った瞬間だ。チャリーン、とコインの落ちた音がした。
「あら、大丈夫ですか?」
「あっ、いえ、すみません、手が滑って」
店内を覗いてみると、会計中の智駿さんとちょうど俺の母さんくらいの歳の女性のお客さん。どうやら智駿さんがお金を落としてしまった音らしい。
「あっ、梓乃くん! ちょっとまってね、ごめんね!」
智駿さんは優雅な仕草で落としたお金を拾って、作業を再開する。落ち着いたような態度をとっているけれど、顔が真っ赤で……「あ、」と俺は思う。突然俺が来たから、動揺させてしまったんだと思う。微妙に早口になっているし、いつもよりも無駄ににこやかだ。お仕事中にきたのはやっぱりまずかったなあ……と反省したが、ここまで動揺させておいてそのまま帰るのは逆に申し訳ない。
「あらあら、あの男の子、お兄さんのお知り合い?」
「あ、はい。親しいもので……」
「可愛らしい子ですねえ。おじゃましちゃ悪いから、私は早く帰るわ」
お客さんはほほほと上品に笑って、智駿さんからケーキを受け取った。そして、俺ににこっと笑顔を向けると、そのままお店を出て行ってしまう。
「あ、あのー……智駿さん。すみません、仕事中に……」
「えっ、い、いや、いいんだよ!? ごめんちょっとびっくりしちゃった」
やっぱり、よくないよなあ。個人営業だからといって仕事中に来るのはアウトだったよなあ。色々と考えてしまって、俺は落ち込んだ。これだから学生は……って感じでなんだかとても申し訳ない。言いたい言葉は色々あったのに、出だしから滑ってしまって、上手く言葉がでてこない。
とりあえず話をしやすいように、ショーケースに近づいていく。そうすれば智駿さんは――余計に、動揺しだした。ガタッ! と何やら音をたてる。足をどこかにぶつけたようだ。そしてあははと照れ笑いする智駿さんの顔は、やはり真っ赤。
……智駿さんの様子が、変だ。
「……智駿さん? どうかしましたか?」
「いやっ、心の準備ができていなくて!」
「心の準備?」
「いや、あのね、梓乃くんとしばらく会わなかったのって初めて、でしょ? だからさ、こう……ずっと、会いたいなあって思って過ごしていたんだ。だから、こう……突然来られるとね、あのね、……どうしたらいいのかわからなくて」
「……」
……不謹慎ながら俺が思ったことをはっきりと述べようと思う。
(――ち、智駿さん、可愛い!)
――今の状況にあるまじき煩悩。いやいやいやいや、となんとか掻き消そうと思ったけれど、ぎゅんぎゅんは止まらない。
そうだ、俺の方から「距離を置きたい」なんて一方的に言って、智駿さんに寂しい思いをさせた。しかも身勝手な理由だ。智駿さんに俺は酷いことをして、しかもまだそれについて謝罪もなにもしていないというのに……俺と久々に会うことを超喜んでいるらしい智駿さんをみてときめいてしまっている。
仕方ない、仕方ないことだ。大好きな人にそんな風に想われていたら、嬉しいのは当たり前。いや、そうだけど。まず俺は言わなくてはいけないことがある。
「――ち、智駿さん! すみませんでした!」
「えっ?」
まずは謝るべきだ。そして、ちゃんと会わないでいた間に考えていたことを、全て話すべきだ。そう思った。詳しい話は今は時間がとれないだろうから後にするとして、まず俺は智駿さんに誠意をもって謝らなくてはいけない。
……が、謝ったのはいいけれど。今までに出した俺なりの答えというものを、どう智駿さんに伝えたらいいのかわからない。あんまりにもはっきりしていなくて、不確かで、不透明。なんとなく、といった風に俺のなかで輪郭だけは見えていたのだけれど、それを言葉にするのは難しかった。だから、次の言葉が出てこなくて俺はどもってしまう。「えーと、」とか「そのー」とか、そんな言葉ばかりを繰り返していた。
「……梓乃くん」
「は、はい」
そんな俺に、智駿さんが声をかけてくる。
「悩みは、解決した?」
「あ、……」
智駿さんは、優しく微笑んでくれた。そんな智駿さんの表情に、余計に俺の頭の中は真っ白になる。
解決……してないわけではないのですが、したというわけでもなく、……こっちから距離を置いたわりにはまともな答えを出せていないからどう切り返せばいいのか。
「ふふ、まだはっきりとは言葉にできない感じかな?」
「うっ……」
「でも、きてくれたんだね、ありがとう」
「なっ……なんで、……ありがとうなんて、……俺、身勝手に距離を置いたりしたのに」
智駿さんは俺が完全にもやもやを解決できたわけではないと、お見通しらしい。それなのに、怒る様子もなければ呆れた様子もない。これでは本当に俺が智駿さんにただただ寂しい想いをさせてしまったみたいで、本当に申し訳なくなって、ただただ哀しくなった。
けれど、智駿さんは嬉しそうに笑うばかり。なんで、そんなに嬉しそうなんだろうって、俺は泣きたくなった。無意味に距離を置かれたことを、哀しいって智駿さんは思わないのだろうか……なんて。
「僕に相談し辛い悩みだったから、距離を置いたんでしょ? でも、結局梓乃くんは僕のところに来てくれた。一緒に悩ませてくれるの、嬉しいなあって、そう思って」
「……、」
俺は智駿さんに酷いことをしたと、その後悔に押しつぶされそうになっていた。そんな俺に智駿さんがかけてきた言葉。それは――俺を、一瞬で救う。そして、迷路の出口の近くでうろうろとしていた俺を、一気に外へ引っ張ってくれる。
――そうだ。俺は――……智駿さんと一緒に悩めばよかったんだ、と。
「梓乃くん?」
「……智駿さん」
「ん?」
「あの……一方的に距離を置いたことを謝りたいし、俺が何を悩んでいたのかも伝えないとだし……話したいこと、いっぱいあるんですけど、……時間もないから、これだけ、今言っていいですか」
「うん、なあに?」
「今突発的に浮かんできた言葉だから今言わないとって思ったんですけど、」
「うん」
「俺、智駿さんのこと好きになれてよかったです!」
「ええ、なあにそれ。僕もだよ?」
将来のこと、未来のこと、そのことを一緒に悩みたいと思える人。はじめこそは逃げたけど、考えてみれば智駿さんと一緒に悩むべきだったんだ、と自分のなかでストンと納得できる。
改めて、そういう人と恋人であることを、幸せだと思った。
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