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「おかえりなさーい!」
夜も遅くなってきたころ、ようやく父さんと母さんは帰ってきた。楽しいデートだったのか、二人共にこにこと笑顔と一緒に玄関をはいってきた。
俺の家では、結婚記念日のお祝いはわりと簡素なものになる。例年、感謝の言葉を言ってみたり、ちょっとしたプレゼントをあげてみたりと、その程度だ。だから、今日はいつもよりも少し豪華なお祝いになるかもしれない。
「お母さん、今日はいつもよりも綺麗だね!」
「ふふ、お化粧久々にがんばったの」
「うわ~乙女~!」
父さんと母さんを出迎えて、そして家族みんなでリビングへ。リビングにはブランシュ・ネージュで買ってきたケーキと、それからプレゼントが用意してある。
ケーキは、小さめのサイズのホールタルトだ。クリームチーズのムースによってつくられたシンプルなタルト……が元で、智駿さんがそれに特別なアレンジをしてくれたもの。ムースの上に、花びら状にカットした桃を敷き詰めて、まるで一輪の薔薇の用に仕立てる。桃は赤い果肉の品種を使用し、色合いを華やかに。仕上げに花束のラッピングペーパーをイメージさせるよう桃の周囲に生クリームを乗せて、金箔とハーブで飾り付け。……という、とりあえずすごく豪華なケーキを二人へのプレゼントとして用意することができた。智駿さん曰く「感謝の気持ちを込めた花束をイメージしてみたよ」だそうだ。
男の俺から見てもすごく綺麗で可愛いケーキ。箱を開けた瞬間の、母さんと紗千の反応はそれはそれはすごいものだった。
「なにこれっ、すごい!」
「お兄ちゃんの恋人さんがつくったの!?」
「え、梓乃の恋人? パティシエなの? ええっ、すごい!」
「紗千、その話は今はなし」
ぽろっと爆弾を落としてくる紗千と、ケーキのあまりの可愛らしさに嬉しさが爆発して紗千の言葉に上手く反応できていない母さん。そのまま紗千の言ったことは流していただけるとありがたい。
とにかく、智駿さんのつくったケーキは、紗千の誕生日のときもだったけれど、俺の家族にすごく受けがいい。
「なあに、わざわざ買ってきてくれたの? 梓乃のお付き合いしている人のお店に」
「ちょ、ちょっとまって、勝手に話を進めないで」
「うふふ、今度紹介してね。とにかくありがとう。本当に素敵」
存外、母さんはあっさり「俺の恋人の話」から引いてくれた。とにかくすぐにケーキが食べたいようだ。息子の恋人の話よりも興味をひいてしまう智駿さんのケーキ、恐るべし。しかし今はありがたい。
母さんほどではないけれど、父さんもなかなかにいい反応をしてくれた。「これ手作業でやったのか」なんてそんなことをまず聞いてくるのは父さんらしい。父さんは俺と味覚が似ていて、ケーキにそこまで関心を示すタイプの人間ではないけれど、このケーキは気に入ってくれたみたいで、黙々と味わって食べてくれていた。
俺の大切な家族に、俺の大切な人がつくったケーキを気に入ってもらえる。それは本当に誇らしくて、嬉しかった。本当に、今こうして俺の家族がケーキを食べているところを、智駿さんに見せたい。それが叶う日がくるのかはわからないけれど、俺のちょっとした夢になった。
「ねえねえ、私からもプレゼントあるんだよ!」
そして。
智駿さんのケーキを食べ終わり、今度は紗千がプレゼントを渡す番になった。どちらかといえば、紗千のプレゼントが今回のお祝いのメインかなって思う。紗千の用意したスクラップブックは、父さんと母さんが結婚したからこそ生まれた思い出たちをまとめたもの。結婚記念日のプレゼントに最適なものだろうから。
「まあ……」
母さんが、スクラップブックを受け取る。そして、横から父さんがそれを覗き込んでくる。
しばらく、紗千と俺はスクラップブックを眺める二人を見つめていた。一体どんな反応をしてくれるんだろう。
「なんだ、ずいぶん懐かしい写真がいっぱいじゃないか」
「ええ……」
「はあ~、いつのだこれは。紗千が小3のときか?」
「そうね……」
父さんはふむふむと頷きながら、写真一枚一枚にコメントを言っていた。父さんは口数が少ない方だから、写真を見てここまでしゃべるのは珍しいかもしれない。結構喜んでいるみたいだ。
……対して、母さん。口数がぐんとあがった父さんと相反して、なぜかしゃべらなくなってしまう。まさか気に入らないなんてことはないだろうから、どうしたんだろう……って俺がヒヤヒヤして見つめていれば。
「……もう。なあに、がんばってつくったのね。紗千」
……母さんは、泣いた。
「こんなに、二人共、大きくなっちゃって、……」
おお、なるほど。母さんはこういうものをみると泣くのか。なんて。予想外の反応に、俺はなぜか冷静になってしまう。なんというか、微笑ましい。泣いてしまった母さんに笑いながら抱きつく紗千も、微笑ましい。
「こんなに、小さかったのに……紗千、こんなに素敵なものを作れるうようになっちゃって……」
「へへ、すごいでしょ!」
「うん、うん、本当に……。それに、……なんかね、……もうちょっとで4人でいれなくなっちゃうから、写真みてるとなんかね、寂しくなってきちゃって……」
「4人でいれない?」
「梓乃、そのうち、家、でていくでしょ……? もう、結婚できる歳だし……」
「えっ、俺?」
ぼろぼろと泣く母さん。嬉し泣きばかりだと思っていた俺は、母さんに投げかけられた言葉にハッとしてしまった。まさか母さんの泣いている原因が俺だとは思っていなかったから、不意に反応できず、俺はきょとんとしてしまう。
「梓乃ももう、大人なんだもんね……大きくなったね……」
「え、ええ~、まだ結婚するとは決まってないし……」
「だって、付き合ってる人もいるんでしょ?」
「まあ、結婚はしないけどその人とはずっと付き合っていくかも」
「ほ、ほらぁ~! やっぱり梓乃、家でてっちゃう! わかってるんだけどね、寂しいんだけどね、そういう人ができるくらいに大人になったって思うとすごく感慨深くて……」
結婚……はどうだろうと思うけれど、俺もこの家でずっと住んでいくわけじゃない。寂しいと泣く母さんに、「大人になったね」なんて言われると、俺までちょっとうるっとしてしまう。
まあ……そうだ。俺は、母さんと父さんの知らないところで大人になっている。考えてみればもう成人してしまっていて、自分の家族をつくることもできる年齢だ。ここまで育ててくれた母さんと父さんに、俺は改めて感謝した。写真を見ると俺は本当にちっちゃい子どもだった時代があるわけで……この子どもが、今の俺のように恋人ができて幸せな日々を過ごすなんて、きっと想像できなかっただろう。
「えーと、あのお……うん。いままで育ててくれてありがとう」
「やだー、もう、そういうこと言わないでよ! 母さん泣いちゃう!」
「もう泣いてんじゃん……」
俺は前もって書いていた、ささやかすぎる言葉を連ねた手紙を母さんと父さんに渡した。二人は封筒をあけて、またそれぞれの反応を見せてくれる。父さんは照れたようににへにへと笑い出して、そして母さんはさらに号泣を始めてしまう。
俺は恥ずかしくなって、無意味に髪の毛をもしゃもしゃといじることしかできなかった。そして、思ったのだ。この家族に生まれてよかったと。この二人に育ててもらったのだから、俺は、幸せにならなくちゃいけないんだ、と。
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