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 智駿さんと会うことになったのは、父さんと母さんの結婚記念日から数日経った、夜。今度こそ、智駿さんとしばらく会わないでいた時間を埋めようと、俺はちょっと気合をいれて赴いた。積もる話もあるので、まあ、どっちにしてもいつものように何も考えないで行くなんてことはできなかったのだけれど。  心地よい夜風が吹く、街も静まり始める時間。程よい涼しさが、心に清涼感をもたらしてくれる。そんな調度良い気候だったからだろうか、色々と考え事をしつつも緊張はしていない。  別に、重い話をしにいくというわけではないのだ。智駿さんと、これからも幸せに過ごしていくことができるようにするための話をするだけ。怖気づく必要なんてそもそもなくて、俺はただ、素直な気持ちで智駿さんに会えばいい。  今日はバイト帰りだ。智駿さんも仕事を終えて、家に帰っている頃だろう。街頭や建物の灯りでそれなりに明るい道を、俺はのんびりと歩いてゆく。この、駅を降りてから智駿さんの家に行くまでの道を歩いて行く時間が、俺は結構好きだ。今日は智駿さんと何を話そうかな、とか、智駿さんといちゃいちゃできるの楽しみだな、とか、その日その日によって考えていることは違うけれど、静かな道を騒ぐ心を抱えながら歩いて行くのは、なんとなく楽しい。 「こんばんは、智駿さん」 「梓乃くん。こんばんは」  智駿さんの部屋にたどり着いて、ようやく、智駿さんとの再開。小さなわくわくを抱えてここまで来たから、智駿さんの顔を見た瞬間に俺はふっと理由もなく笑ってしまった。幸せが溢れてしまったというところだと思う。だらしない笑顔になっただろう。  智駿さんも、嬉しそうに目を細めて俺を迎え入れてくれた。部屋の灯りが逆光になっていたけれど、そのせいで余計に智駿さんの表情に浮かぶ智駿さんの感情が感じ取れる。  ……智駿さん、キス、したそう。  俺は扉を閉めて、鍵をかけた。そして、玄関先に荷物を置く。そうすれば智駿さんがそわそわとしたように照れ笑いをしてきた。俺はそんな智駿さんが可愛く思えてしまって思わず吹き出してしまったけれど、俺も、智駿さんとキスをしたいのは一緒。智駿さんと距離を置いて、色々と悩んでいたわけだけど、結局その間考えていたのは智駿さんのこと。会えなかった時間は俺の中の智駿さんへの愛情を育ててしまったようで、俺は、こうして智駿さんを見つめると狂おしい気持ちになる。 「智駿さん。また、俺とこうして会ってくれますか?」 「もちろん」 「……智駿さん、勝手に逃げて、ごめんなさい。ずっと、智駿さんとこうしたかったです」  俺は靴を履いたまま、上がり框に立つ智駿さんに、キスをした。   背伸びをして、腕を智駿さんの背中にまわして。唇を重ねる、といった表現が合うような、静かなキスをした。お互いの唇を熱を徐々に溶け合わせてゆくような、優しいキス。唇から伝わる熱が静かに心臓に伝わって、そうすればようやく鼓動が早まりだす。ゆるやかな幸福感が体を満たしていって、つま先までふわふわと神経が智駿さんに奪われ始めたとき、ようやく唇を離した。 「……やっぱり、梓乃くんとのキス、好き」 「俺もです」 「なんだか「あ~」ってなるんだよね。すごく幸せな感じ」 「あ、それわかります。冬に暖かいお風呂に入った時のじわ~って感じ」 「それそれ~。何もかんがえられなくなって「あ~」ってなる感じ」 「ふふ、もう一回してもいいですか?」 「うん」  にへにへと笑っている智駿さん。ほっぺが崩れていますよ、なんて表情だ。きっと俺も、ずいぶんとだらしない顔をしているんだろうけれど、心が綻んでいるのだから仕方ない。こんな状況で、気持ちを引き締めるなんて、難しい。  もう一回、キスをする。今度はもっとくっつきたいから、俺は靴を脱いで玄関にあがった。ぎゅっと抱きつきながら、唇を押し付けるようなキスをする。  こうして、穏やかなキスをして。ゆるやかな甘い時間を智駿さんと過ごしていると、詩的な言い方をすれば、時が止まればいいのに、なんて思う。ずっと、何も変わらずこのまま永遠に二人でいられたらいいのにな、なんて。でも、それは叶わないからこそ、この甘さは心臓にずしんと重みがかかるんだと思う。きっと、本当に時が止まってしまえば、この一瞬の尊さを俺は知ることがないだろう。 「あがって、梓乃くん。久々だから、ゆっくりしよう」 「はい」  永遠ではない永遠。それを理解できるようになってきた俺は、智駿さんとの未来に一歩前進できたのかもしれない。  久々の、智駿さんの家。話さなくちゃいけないこともいっぱいあるけれど、俺は単純に、智駿さんとまたこうして二人で一緒にいられるのが嬉しかった。距離を置いたことは、きっと俺にとって間違いではなかったのかもしれないけれど、やっぱり俺は、智駿さんと離れてはいられないらしい。    俺は智駿さんに手を引かれ、部屋へ向かう。いつもよりも足取りの軽い智駿さんの後ろ姿を、愛おしく思った。

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