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「おや、梓乃ちゃん。ぼーっとしてどうしたよ」
学校に着くなり、彰人が俺の額を小突いてきた。ぼーっとしている、と自覚していた俺は、苦笑いを返すしかない。
朝、自分でセットしたアラームで再び覚醒した俺は、半分夢の中で見ていた智駿さんの様子を思い返し――頭が真っ白になった。智駿さんが昨日から様子がおかしかった理由に、気付いたのだ。
智駿さんがくれた、リードディフューザー。それに対して俺が言った、『同じ部屋に住んでいたら一個ですむのにな』という言葉。無意識に、あまりにも無意識に、俺は智駿さんに「同棲したい」と言ってしまっていたのだ。
もし――同棲ができるのなら、とうにしている。同棲がおかしい歳でもないのだから。けれど、しないのは……周りの目を、恐れているからだ。そういった問題に正面からぶつかっていって、傷付くのが、俺は怖かった。そして、智駿さんはそんな俺の気持ちをきっと見抜いていた。だから智駿さんから同棲を提案してくることはなかったし、俺から誘うこともなかった。
そんな風に、逃避をしていた俺からあんな形で「同棲したい」という気持ちを伝えられてしまったら。智駿さんは困っただろう。きっと、悩んだに違いない。……あの表情の真意は、わからないけれど。
俺は、罪悪感とは違うけれど、自分の甘さに少しショックを受けていたのだ。そのことばかりを考えて、彰人に指摘されるまでに。
「そういえば梓乃ちゃん、今日は智駿さんと一緒だった?」
「なんで?」
「智駿さんと一緒だった日の梓乃ちゃん、匂いがね、違うから。これ智駿さんの匂いなの?」
「匂い? ああ、リードディフューザーもらったんだ。智駿さんと同じやつ」
「へえ! この匂い、結構好きだなあ。俺も同じやつ欲しい」
「……ええー……同じブランドでもいいから違う匂いにしよ? 彰人と同じ匂いとかなんかやだ」
「ひどい言い草!」
今時、同性同士だからとそう騒がれることはないだろう。俺が怖いのはきっと、「変化」だ。なあなあと生きてきた俺は、自分が大きく変わることが怖い。
周りの人に対して、劣等感を抱くことがある。例えば、今目の前にいる彰人。彼は、俺の友達ではあるけれど、俺とは全く違うタイプの人間だ。自分が変わっていくことを楽しめる人。なにごとにも積極的に進める人。それから、智駿さんも。たくさんの人と関わって、世界を見て、そして今を選択して。そんな彼らを見ていると、俺の人生ってなんだったんだろう――そんなことを、考えてしまう。
今までは、そんな自分を変えたいとは、思っていなかった。ただ、俺はこういう人間なんだと悟っていた。けれど……ぽろっと智駿さんに言ってしまった、心の奥底にしまいこんでいた本心。それを、このままにしておいていいのだろうか。今が居心地いいというのは、間違いないことなのだけれど。
「梓乃ちゃん、変じゃない? 惚けてる。いいことあった?」
「……いいことがあったように見える?」
「みえるみえる! 妄想でもしてんの?」
「してないから」
……俺は、悩んでいるのだろうか。そう思っていたけれど、彰人に指摘されて、「あれ?」と思う。はたから見るといいことがあったように見えるらしい。
ああそうだ、悩んでいるわけではない。どうすれば俺たちがもっと幸せになれるのか、迷っているだけ。
「ゆっくり、考えてみます……」
「え? なにが?」
焦ることでもないか。
ただ俺は、あの智駿さんの表情に動揺しすぎていたのだ。
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