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一週間。それは長いようで短かった。智駿さんに会えない日々を悶々と過ごしていれば不意に智駿さんから軽い調子で「明日家に行ってもいい(^^)?」と連絡がきた。色々と考え事をしていた俺は、智駿さんに会いづらいような、でもすぐに会いたいような……そんな地に足がつかないような気持ちで、智駿さんと会うことになった。
別に喧嘩をしたというわけでも後ろめたいことがあるわけでもないので、結局はるんるんとした気持ちで俺は智駿さんを迎える。
「こんばんは、梓乃くん」
「こっ、こんばんは」
夜の8時頃、智駿さんは俺の家に来た。いかにも忙しい仕事を終えてきたという風貌の、若干ハイになっている様子で。仕事モードが抜けきっていなくて、妙にびしっとしている。
これは、相当忙しかっただろうな……そう思って、俺は玄関先でぱっと腕を広げてみた。そうすれば智駿さんは一瞬きょとんとしたけれど、ふへ、と笑って俺に抱き着いてくる。
「梓乃くんー……疲れたよー……」
「お疲れ様です、智駿さん。ゆっくり休んでください。お風呂にしますか、それともごはん?」
「んー……ごはん」
「はい、りょうかいです!」
智駿さんからほんのり焼き菓子の匂いがして、思わず俺は笑ってしまう。もう一度心のなかで「お疲れ様でした」と言って、智駿さんのほっぺたにキスをした。
「……梓乃くんの部屋からも僕の部屋と同じ匂いがして、自分の家に帰ってきたような気分」
「俺がいるところが智駿さんの家ですよー」
「うん」
ずし、と智駿さんが体重をかけてきて、思わず俺はよろけてしまう。相当お疲れのようで、随分と甘えたになってしまっている。これはたぶん、今日はごはん食べてお風呂入った瞬間に爆睡するだろうなあと、苦笑いしてしまった。
「すぐできるので待っててくださいね」
「はい」
「……智駿さん疲れてますね……」
引っ張るようにして智駿さんをソファまで連れて行って、そこに寝てもらう。ぼすん、と倒れるようにしてソファに寝転がった智駿さんは、放っておいたら眠ってしまいそうだ。
キッチンへ行って、急いでご飯をつくる。智駿さんが寝る前に、作らねば。
仕込みはしておいたので、ほんの数分で出来上がる。つくるのは、唐揚げだ。智駿さんの食の好みは女性に近くて、俺ほどがっつりと食べるわけではない。でも鳥の唐揚げは好きらしく、よく食べているのを見る。ただ、俺が作ってあげたことはない。実家にいた時は時々唐揚げを作っていたので作れないことはないけれど、智駿さんの家では片づけが面倒くさいので振る舞ったことはないのだ。……ということで、今日初めて俺の手造りの唐揚げを食べてもらうことになる。
漬けておいた鶏もも肉を出して、油で揚げていく。じゅー、と美味しそうな音がし始めて、生姜の利いた醤油のいい匂いが部屋にたちこめた。ソファの方からごそっと音がしたので顔をあげてみれば、智駿さんが顔をあげてこっちを見ている。そして物珍しそうな表情をしながらキッチンまで近づいてきた。
「か、唐揚げ! 梓乃くん、作れるの?」
「実家で作ってましたからね」
「僕、揚げ物は作ろうって気になれなくてほとんど作ったことないんだ。……わあ、すごい、おいしそう」
「あんまり覗いちゃだめですよ、危ないから」
「あ、すみません」
「……」
油が跳ねたら危険だと、智駿さんにやんわり注意すると、智駿さんはすごすごとまたソファに戻っていった。……あとでマッサージでもしてあげようか。あれは相当キテるぞ。
唐揚げを作り終えて、あとはあらかじめ千切りにしておいたキャベツと一緒に皿に盛りつけする。あと、こちらも先に焚いておいたごはんと、作っておいた味噌汁。それらを盛り付けて、お膳に乗せてテーブルまで運んだ。
「わあ、……わあああ……」
「たんまりとお食べください、智駿さん!」
智駿さんは体を起こすと、覇気のない目でへろーんとしながら嬉しそうに笑った。ぐったりな様子の智駿さんを見ているとこっちが辛くなってくるけれど、こんなに喜んでもらえると唐揚げを作ってよかったな、と思う。
「いただきます」
智駿さんは手を合わせて早々に、迷うことなく唐揚げに手を伸ばした。智駿さんにはじめて唐揚げを食べてもらうということで、俺は思わずその様子をじっと見つめてしまう。
さく、といい音を立てて、唐揚げは智駿さんの口の中に入っていった。少し大きめサイズの唐揚げは一口で食べきることができなくて、智駿さんは半分を噛みちぎり、咀嚼する。箸には唐揚げの肉汁がわずかに伝っていて、二口目を今か今かと待ち望んでいるようだ。一口目を飲み込むと、そのまま二口目を丸ごと口に入れて、今度は白米も一緒にかっ食らう。少し熱かったのか、智駿さんは口に手を当てていたけれど、そのまま唐揚げと白米を一緒にほおばって、ごくりと呑みこんだ。
「うわ、すごい、美味い」
「……、」
美味い、ときたか!
いつもなら「おいしい」と言いそうなところを、「美味い」と!
なんだか嬉しくなって、俺は自分が食べるのも忘れてまじまじと智駿さんが食べる様子を見つめてしまう。智駿さんはそんな俺の視線には気付いていなくて、ぱくぱくと唐揚げを食べ続けた。
「――ごちそうさま!」
結局智駿さんは「美味い」とか「美味しい」とか、その類の言葉以外を発さず最後まで食べてしまった。いつもならゆっくりおしゃべりしながら食べるところだけど……相当お腹がすいていたのか、美味しいって思ってもらえたのか。ぺかっと笑っているところを見ると、後者なのかもしれない。ともかく嬉しくて、俺は照れてしまって「おそまつさまです……」ともそもそと言うことしかできなかった。
「梓乃くん、すっごく唐揚げ上手なんだね! 本当に美味しかった!」
「ありがとうございます、なんだかすごく嬉しいです」
「うん、本当に美味しい。最高」
「そ、そんなにですか? ふふ、じゃあまた今度作ってあげますね」
疲れているのかきらきらしているのかわからない目でまっすぐに見つめられて「美味しい」を連呼されて、さすがに恥ずかしくなった俺は、食器を片付けるという言い訳のもと智駿さんの前から逃げた。千切りキャベツの一本も残さず完食された皿を見て、思わずにやけてしまう。
「ちょっと休んだらお風呂に入ってくださいね。お湯もちゃんと溜めておいたので」
「溜めておいてくれたの? わあー……嬉しいなあ。今日はシャワーだけじゃ疲れがとれなそうで……」
いつもなら一緒に片づけをしてくれる智駿さんだけど、今日はその気力がないのかぽふんとまた寝転がってしまった。そうしているとそこで寝ちゃいますよ!といっそお風呂に引っ張っていこうと思ったけれど、食べてすぐのお風呂もあまりよくないかなと、思いとどまる。
皿を洗いながら、考える。こういうのっていいなあ……と。主夫になりたいというわけではなく、疲れているときに恋人が家にいて、思いっきり甘えることができる。そして俺はそんな恋人を思いっきり甘やかす。そんな関係が、いいなあと思ったのだ。
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