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第3話

 コロコロコロ・・・・・・。どこからか、山りんごがさとりのほうに転がってきた。近くに山りんごの木はない。  ときどき、どこからともなくこんなふうに、果実がさとりのほうに転がってくることがあった。まるでさとりに食べて、と言っているかのように。果物は山りんごだったり、柿だったり、夏みかんだったり、そのときどきで違った。  さとりは、きょろきょろとあたりを見回した。ツヤツヤとして、おいしそうな山りんごだった。手に取ると、ぎっちりと実がつまっているのか、思ったよりも重い。  ピーヒョロロ・・・・・・。  上空を鳶が旋回した。  山から涼やかな風が(ふもと)に吹き抜ける。  さとりは実の表面を服の前でキュキュッとこすった。歯を立てると、爽やかな香りが鼻を抜けて、じわっと甘味が口の中に広がった。  うまい。うまい。  さとりの口元に笑みが広がる。  むしゃむしゃと丸ごと一個食べてしまい、満足をすると、再びどこからか、山りんごがコロコロコロ・・・・・・と、さとりのほうに転がってきた。さとりは首をかしげた。山りんごを拾って、この実はどこからきたのだろう不思議に思う。 『おお嫌だ、嫌だ。朝っぱらから縁起の悪いものを見てしまったよ』  ふいに聞こえてきた声に、さとりはひやりとした。冷たい手で心臓をぎゅっとつかまれたような気持ちになる。  妖狐は冷たい視線でさとりを一瞥すると、くるりと身を翻して野山を駆けていった。  ぽろりと、さとりの手から山りんごがこぼれ落ちる。さっきまであんなにうれしい気持ちでいっぱいだったのに、冷え冷えとしたものがさとりの胸に広がっていた。  おいらはどうして生きているんだろう。ただみんなから嫌われるだけなのに。いったい何のために・・・・・・。 「さとりのくせに随分と高尚なことを考えるもんだ」  涼やかな声に、さとりはハッとなった。いつの間にそこにいたのか、龍神が何を考えているのかわからない透明な瞳で、じっとさとりを見ている。  さとりはとっさにうつむいた。身体がさとりの意に反して、カタカタと小さく震えてしまう。  おそらく龍神は、さとりの考えていることなどすべてお見通しなのだろう。めったにその姿を目にすることのない龍神は、その場にいるだけで思わずひれ伏してしまいたくなるほどの、圧倒的な力を持っていた。たとえば龍神が眉を(ひそ)め、そうしようと思えば、この世界などたった一息で消えてしまうに違いなかった。妖怪の中でもとりわけ落ちこぼれのさとりにでさえ、それを察することができた。 「ただ生きる、それ以外に意味をもたせようとするなんて、お前はまるで人間のようだね」  さとりはハッとした。顔を上げると、龍神はいまにも立ち去りそうに思えた。そのとき、さっきさとりが落とした山りんごが目に入った。急いで山りんごを拾い、龍神に向かって差し出した。 「こ、これ、甘くてすごくおいしかった。龍神さまもよかったらどうぞ」  さとりが差し出した山りんごを、龍神が怪訝な顔でじっと眺める。沈黙が流れた。さとりの見間違いかもしれないけれど、龍神の瞳に何かの感情がちらりと浮かんで、消えたように感じた。 「あ、あの・・・・・・?」  さとりの背中に、冷や汗が伝う。地面を転がっていた山りんごなど、龍神には失礼だったかと肝を冷やしていたころ、すらりとした美しい指がさとりの手のひらから山りんごをつかんだ。呆気にとられたさとりの前で、龍神は山りんごに歯を立てた。  シャク、という音が聞こえた。 「ふん。まあまあだね」 「・・・・・・そ、そうですか?」  ひょっとしたら自分が食べた実のほうが甘かったのかと、さとりがおろおろするのを、龍神は湖の底のような透明な瞳で、じっと見ていた。 「・・・・・・お前は、昔いた誰かの姿を思い出させるよ」  ぽつりと声が聞こえた。  それは小さくて、うっかりすると聞き逃してしまうほどに小さな声だった。いつもは凛とした龍神の顔に、疲れたような表情が浮かんでいる気がして、さとりは心配になる。  ・・・・・・龍神さま? 「さとりー」  そのとき、数日前に会ったばかりの少年が、あぜ道の向こうから手を振っているのが見えた。 「そうすけ!」  さとりは飛び上がるほどに喜んだ。そうすけが自分のほうまでくるのが待ちきれず、手に何かビニール袋を下げた少年のもとへと駆け寄る。 「ばーちゃんがトウモロコシを茹でてくれたから一緒に食べよう。さとり、トウモロコシは好きか?」  そうすけが自分のためにトウモロコシを持ってきてくれた。わざわざ自分なんかのために。  さとりはこくこくとうなずいた。うれしい気持ちが胸の中でどうしたらいいかわからないくらいに膨れ上がって、地面をごろごろと転がり回りたいくらいだ。 『うふふ。さとり、喜んでる。かわいいな。やっぱりばーちゃんに茹でてもらってよかった。さとりにも食べさせてあげたかったんだ』 「よかった。こないださとりが教えてくれた川にいって食べよう」 「うん!」  そのとき、さとりは龍神をその場に残したまま、そうすけの元へときてしまったことに気がついた。慌てて振り返ると、さっきまで龍神がいたあたりには、食べかけの山りんごの実が地面に転がっていた。

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