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第4話

   微かな物音で、さとりは目を覚ました。そうすけを待っているうちに、いつの間にかソファで眠ってしまったらしい。部屋の中はまだ暗く、夜が明けていないことがわかる。 「悪い。起こしたか?」 「そうすけ!」  ハッと勢いよく上半身を起こしかけて、身体の上にかかっていた毛布が床に落ちた。手を伸ばして急いで毛布を拾う。さとりが起きていたときにはそんなものは何もなかったから、きっとそうすけがかけてくれたのだろう。指先に触れる柔らかな感触に、胸がぎゅっと切なくなった。 「まだ寝てていいぞ」  そう言うそうすけはどこかへ出かけるのか、腕時計をしめている。寝る前のリラックスした服装とは違って、きちんとした格好をしたそうすけは、さとりのほうをちらっと見てから、 『そうだ、こいつがいたんだった』  その存在にいま改めて気づいたようだった。 「・・・・・・そうすけは?」 「悪いけど、もう仕事にいかなきゃいけないんだ」 『まさか一緒に連れていくわけにもいかないし、このまま放っておくのもな。いくらその反応が見た目以上に幼いからって、実際は子どもではないし、ひとりで部屋に置いておくわけにもな・・・・・・』  どうやらさとりがそうすけの部屋にいては、困ることがあるらしい。  自分のことなら問題はなかった。そうすけが困るなら、いますぐにでもここから出ていけばいい。 「そうすけの言うように、子どもじゃないから大丈夫だよ。そうすけは「仕事」にいけばいい。おいらがここにいるのが問題なら、そうすけと一緒に出ればいい?」  にこにこと告げるさとりに、そうすけは一瞬変な顔をした。 『・・・・・・なんかいまの会話、変じゃなかったか? まるでこっちの考えていることがわかったみたいだ』  さとりは、ハッとした。  ハハッ、そんなことあるわけないかと自分の思いつきを軽く笑い飛ばしたそうすけの前で、さとりは青ざめた。無意識にそうすけの心の声に反応してしまったことに気づき、恐怖に身体が冷たくなる。  ーーあいつはね、人の考えを読む「覚」だよ。関わらないほうがいい。  ーーこちらが口に出さないこともすべて読みとってしまうなんて、ぞっとする子だねえ。いっそのことあの細い首を絞め殺してやろうか。  ーー小さな骨がポキ、と折れて、さぞやいい音をたてるだろうねえ。  ーーおお、嫌だ嫌だ。  ーー朝から嫌なものを見ちまったねえ。縁起が悪いったらないよ。  故郷の山にいたときに、妖怪仲間たちから何度も言われた言葉が脳裏に甦り、カタカタと身体が小さく震える。  かつて、もしも人の考えていることがわかったらどうするかというさとりの問いかけに、そうすけは笑って「便利だ」と言ってくれた。でも、それだって実際にさとりが「そう」だと知ったなら、果たして同じように答えてくれるだろうか。嫌いにならないでくれるだろうか。 「・・・・・・さと?」 『いったい急にどうしたんだ?』  たとえ誰に嫌われてもよかった。もともと、さとりのことを好きだなんて言ってくれる者は、どこにもいやしなかったのだから。嫌われるだけの理由があるのを、さとりは理解していた。  期待をすれば裏切られたとき、そのぶんだけつらくなる。だからさとりは自分の心を守るため、期待をしないよう、ささやかな希望さえ持たないよう、慎重に生きてきた。そうすけに会うまでは。 「お、おいらなんでもする。そうすけの言うことだったら、どんなことだって聞く。わがままなんて言わない。す、好きだなんて、言わないから」  さとりは震える手で、そうすけの腕をつかんだ。そうすけがぎょっとした顔をしているのを見て、ずきっと胸が痛む。 『いったいこいつは何を言ってるんだ・・・・・・?』  そうすけの不審の念が伝わってくるたびに、さとりは泣きたい気持ちでいっぱいになった。  そうすけに嫌われたと思うだけで怖かった。怖くて目の前が真っ暗になった気がした。  絶望が、さとりの胸を塞ぐ。全身にびっしょりと冷たい汗をかきながら、さとりが諦めかけたとき・・・・・・。 「ーーと。・・・・・・さと」  顔の前でパンッと両手をたたかれ、さとりはハッした。まだ小さく震える身体を、ふわりと毛布でくるまれる。 「しっかりしろ。さと」  自分をまっすぐに見るそうすけの瞳が視界に入ってきて、さとりはぼやけていた焦点が合った気がした。 『ーー大丈夫か・・・・・・?』  自分なんかを気遣ってくれる、昔と変わらないそうすけの瞳に、さとりの強ばっていた身体からふっと力が抜けた。ためらいながら、しっかりとうなずいたさとりを見て、そうすけもほっとしたような表情を浮かべた。 『とりあえず細かいことは帰ってからだな』 「これから俺は仕事に出かける。戻ってくるのは、早くても五時くらいだ。食べものは冷蔵庫に何かしら入っているから、好きに食べていい。俺が戻ってくるまでひとりにして大丈夫か?」 「えっ」  さとりはびっくりした。てっきり、そうすけは自分がここにいたら困ると思ったからだ。 「で、でもおいら・・・・・・」  ほんとにここにいていいの?  さとりの困惑する表情に、そうすけが諦めたような笑みを浮かべる。 「いいよ、いて。とりあえず、今後のことは帰ってから話し合おう」 『これで何か盗まれたりしたら、それは俺の見る目がなかったってことだ』  お、おいら、そんなことしないよ。そうすけのものを盗むだなんて。  慌てて反論しようとして、また同じ間違いを起こしそうなことに気がつき、さとりは両手で口元を覆う。  じわじわとうれしさが胸にこみ上げる。まだそうすけと一緒にいられることの喜びと、彼がここにいてもいいと言ってくれるのは、自分のことを信用してくれたからだと気がつき、泣きそうな気持ちになった。  さとりはきゅっと唇を噛みしめると、下を向いた。そうしていないと、本当に涙がこぼれてしまいそうだった。  そうすけが、さとりの頭にぽん、と手をのせた。 「じゃ、いくな」  そうすけは玄関に向かいかけると、何かに気がついたように戻ってきた。それからサイドテーブルのメモを取ると、ペンで走り書いてさとりの手に握らせた。 「これ、俺のケータイ番号。仕事の都合ですぐに出られないこともあるけど、着信があったことはわかるから、何かあったらかけてくるんだぞ」 『やばい。マジで遅れる』  今度こそ後ろを振り返らずに、そうすけは慌ただしく玄関から出ていった。 「けーたい番号・・・・・・」  さとりは手の中の紙をじっと見つめ、首をかしげた。メモは小さくて、さとりには読めない何かの文字が書いてある。  読めないけれど、そうすけがさとりのために書いてくれたもの。  さとりはメモを胸の前にもってくると、握り潰してしまわないよう、そっと抱きしめた。うふふ、うふふ、とソファの上でごろごろと転がる。  そうすけは、やっぱりそうすけだった。昔のまま、さとりがよく知る、やさしいままのそうすけだった。  それは奇跡のようなことだと、望まなくても周囲の人の心が読めてしまうさとりは知っている。 「おいらはそうすけのためになにができるかな」  ソファに寝ころんでそうすけの部屋の天井を見つめながら、さとりはぽつり呟いた。

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