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第6話
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そうすけとの新しい生活が始まった。
そうすけは、さとりがそうすけのために役に立ちたいと思って失敗してしまったことを、ちゃんとわかってくれていた。その気持ちを認めた上で、さとりができる「役割」をくれた。
一緒に暮らし始めた最初の日、そうすけはなぜさとりが失敗してしまったのか、その原因と正しいやり方を、ひとつひとつ丁寧に教えてくれた。
「いいか、さと。世の中に洗剤は山のようにあってな、洗うものによって使い分けるんだ」
さとりはきょとんとした。
洗うものによって使い分けるの・・・・・・?
さとりは、ぱちぱちまばたきをした。そうすけは「ちょっとこっちへおいで」と、さとりを洗面所へ連れていった。
「まずはこれ。これが洗濯物を洗うときに使う洗剤」
そうすけは棚にしまってある容器をいくつか取り出すと、さとりの前に並べた。
「洗濯洗剤と、柔軟剤な」
「せんたく洗剤と、じゅうなん剤・・・・・・」
「そ。洗濯洗剤で服についた汚れを落として、柔軟剤は・・・・・・、んー、そうだな、まあ仕上げのようなものだな。ふんわりと仕上げたいってときに使うけど、洗剤だけでも汚れは落ちる。それから・・・・・・」
そうすけは、ガラガラっと浴室のドアを開けると、この間さとりが間違えて使ってしまったボトルも洗剤の横に並べた。
「これは、この間さとりが間違えて使ったやつだな。これも確かに汚れは落ちるけど、基本髪の毛に洗うもので、洋服には使わない」
「しゃんぷー・・・・・・。つかわない・・・・・・」
同じような形状のものがたくさん目の前に並んで、さとりはくらくらした。果たしてちゃんと覚えられるだろうか。
その間にも、そうすけはボトルを手にとって、あれこれと説明をしている。
「洋服を洗うのは、せんたく洗剤だけ。髪を洗うやつはつかわない・・・・・・」
緊張と不安が、さとりの胸の中で渦巻いている。
二度と同じ失敗をしてはいけない。失敗したら、今度こそうすけに嫌われてしまうかもしれない・・・・・・。そうすけもおいらのこと、できそこないだって、思うかもしれない。
ちゃんと覚えなきゃとさとりが焦るほど、頭の中は真っ白になって、目の前の色とりどりのボトルがぐるぐると回る。
「ーー・・・・・・と。さと!」
さとりは、はっとした。気がつけば、そうすけの瞳が心配そうにさとりの顔をのぞき込んでいる。
『いきなり固まってどうした?』
「さと?」
『大丈夫か?』
そうすけの声が耳から落ちてきた瞬間、さとりはぶわっと胸の中がいっぱいになった。
「そ、そうすけ! おいらちゃんと覚えるから! こないだみたいな失敗はもうしない! 髪の毛洗うやつも、使ったりしないから!」
「・・・・・・さと?」
そうすけが不思議そうな顔をしている。ちゃんと説明しなきゃと思うのに、のどの奥に詰まったみたいに、言葉がうまく出てこない。
「・・・・・・失敗してもいいんだよ」
そうすけの手が慰めるように、さとりの髪に触れる。さとりはびくっとした。
「誰だって、初めからすべてが完璧にできるわけじゃない。ひとつひとつ失敗をして、みんな覚えていくんだよ。俺だって、さとが一生懸命やって、間違ったことなら怒らない」
それからそうすけは少しだけ考えると、
「・・・・・・たぶんな」
とつけ加えた。
そうすけが笑う。大丈夫か? と訊かれて、さとりはうなずいた。だいじょうぶだ、もう頭の中は真っ白じゃない。目の前にあるたくさんのボトルだって、ぐるぐる回っていない。
さとりが落ち着いたのに気がついて、そうすけは「よしっ」と呟いた。
「とりあえずは、実際に一緒にやってみるか」
そうすけは、洗濯かごに入った洋服を取り出した。
「まずこれな。洋服は、色物と白系のものはわける。そうしないと、他の洋服に色がついちゃうことがあるんだよ」
子どもに言い聞かせるように、そうすけはさとりにゆっくりと説明してくれる。絶対に失敗しちゃいけない、ちゃんと覚えなきゃ、という焦りの気持ちがなくなったら、さっきとは違って、そうすけの説明がするりとさとりの頭の中に入ってきた。
洋服は、色物と白系のものはわける。そうしないと、ほかの洋服に色がついちゃう。
さとりは心の中で、そうすけが教えてくれたことを繰り返し、頭の中にたたき込む。
「それからな、洗濯機に洋服を入れる前に、かならずポケットの中身を確かめろ。何か入っていることがあるからな」
洋服を入れる前には、ポケットの中身を確かめる。
そこでそうすけは、青色のボトルを手に取った。
「ほら、ここに洗たく用洗剤って書いてあるだろ? もし、どれが洗濯洗剤かわからなったら、読めばいい」
そうすけが指したところには何かの文字が書いてあったけれど、人間の文字が読めないさとりには何て書いてあるのかわからなかった。代わりにさとりはそうすけがいま手に持っているボトルをじっと見た。ほかのボトルと見比べて、形状や色の違いを記憶する。よし、覚えた。
さとりがこくりとうなずいたのを見て、そうすけはボトルの中身を小さなキャップで量って、洗濯機の投入口に入れた。
「あとはコースを選んで、・・・・・・まあ、とりあえずは標準でいいかな。蓋を閉めて、スタートを押す」
そうすけが、ピ、とスイッチを押すと、洗濯機が正常な動作を始めたので、さとりは思わず「わー!」と歓声を上げた。
そうすけ、すごい、すごい!
さとりがきらきらした目でじっと見ると、そうすけは少しだけ恥ずかしそうだった。
「・・・・・・や、そこまで褒めてもらえるものでもないんだがな・・・・・・」
照れくさそうにしながら、「ほら、次」とさとりをリビングへ促す。
それから、そうすけは食器の洗い方と掃除機のかけ方をさとりに教えてくれた。
ソファに並んで、休憩する。さとりはもちろん「わずかに色のついたおいしい水」で、そうすけが手に持っているのは、例の「ビール」というやつだ。プシュ、と音がして、そうすけがおいしそうに「ビール」を飲んでいる。
大丈夫だろうか? あんなに苦かったら、そうすけの口の中がおかしくなっちゃわないかな?
さとりがドキドキしながら横目で見ていると、視線を感じたのか、そうすけが振り返った。ニヤリと笑ったそうすけに、飲むか? と訊かれ、さとりは慌ててぷるぷると頭を振った。そうすけは、ふはっ、と吹き出した。何がおかしいのか、口元を右手の甲で押さえ、クックと笑っている。なぜか笑われている気がしたけれど、そうすけがうれしいなら、さとりもうれしい。
にこにこしながらさとりが色のついたおいしいお水を飲んでいると、そうすけはふっと動きを止めた。急に真面目な顔でじっと見つめられて、さとりはどきっとした。
こいつはどこからきたんだろうな。いままでどうやって暮らしてきたんだろう? いったいどうやって・・・・・・。
隣から伝わってくるそうすけの思念に答えることができず、さとりはうつむく。
いつのまにか、窓の外は夕暮れだった。どこからかおいしそうな匂いが漂ってくる。くう~っ、とさとりのお腹の虫がなった。さとりはお腹を押さえた。すりすりと手でお腹のあたりをさする。お腹の音を聞かれて、恥ずかしいという感覚がさとりにはない。
さとりは妖怪だから、食べなくても死んだりはしない。でも、人間と同じようにちゃんとお腹が空くから、不思議だなあと思う。
再び、さとりのお腹の虫が、くううう~~~っと鳴った。今度はものすごい大音量だ。
さとりは首をかしげると、再びすりすりとお腹を撫でた。
そのとき、ぶっ、と隣で吹き出す音がした。何だろうと思ってさとりが振り向くと、そうすけが苦しそうにお腹を抱えて笑いをこらえていた。
「・・・・・・おまえ、腹の虫が盛大に抗議しているぞ。メシ寄越せって」
そうすけは目尻に滲んだ涙を指でこすった。
「とりあえず何か食べにいくか」
そう言って、そうすけはソファから立ち上がった。
いままでさとりが着ていた服は洗濯してしまったので、さとりはそうすけの洋服を借りることになった。クローゼットの前でそうすけは、うーん・・・・・・と難しそうな顔でうなると、ごくシンプルな白いTシャツとデニムをさとりの前に出した。
「これ着てみな」
夕べパジャマ代わりに借りていた洋服を脱いで、そうすけが用意してくれた服を手にとる。頭からすっぽりとTシャツをかぶって、デニムを穿いた。
「・・・・・・うーん。やっぱでかいけど、まあいっか。いまが夏でよかったな」
そうすけはぶつぶつと何かを呟きながら、さとりのズボンの裾をぐるぐるに巻き上げてくれた。
「・・・・・・次の休みはまず買い物だな。こいつが着られる服を何枚か買わないと・・・・・・」
さとりは首をかしげた。そうすけが何を言っているのかはわからないけれど、そうすけと一緒に何かできることがうれしくてたまらなかった。いま、さとりはあんなにも会いたかったそうすけの側にいる。
さとりが黙ってにこにこしていると、そうすけは小さく呼吸を吐いた。それから、何か困っていることがあるかのように、くしゃりと頭の後ろをかいた。
「いくぞ」
しばらくして、ラーメンでいいかな、というそうすけの心の声が聞こえてきた。
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