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第7話

 そうすけの休みの日、さとりはそうすけと一緒に駅前の大型複合施設「ショッピングセンター」へと出かけた。なんでも、さとりには「着替え」というものが必要ならしい。  さとりはそうすけから借りたTシャツの裾を指で摘んだ。そうすけの洋服は、さとりのものよりもサイズが大きい。肩からずり下がりそうになる襟元を直しながら、さとりは内心「これでもいいのになあ・・・・・・」と思っていた。サイズの合わない洋服は、そうすけの存在を感じられてなんだかうれしくなる。でも、洋服が身体のサイズに合っていないのは、「みっともない」ことらしいのだ。さとりは、首から下げていたペンダント・トップにそっと指で触れた。紫水晶のペンダントは、さとり大事な宝物だ。  日曜日ともあって、駅前は人であふれていた。友だちと待ち合わせをしているらしい若者。小さな子ども連れの家族や、デート中のカップルたち。  こんなに多くの人間たちがいったいどこから沸いてくるんだろうと思うくらいに、街は大勢の人の思考が渦巻いている。 『あー、せっかくの休みに家族サービスなんて面倒くさいなあ・・・・・・。なんでわざわざ人混みに出なきゃいけないだよ・・・・・・。いいだろ、家でのんびり休んでいれば・・・・・・。あ~、昼にゴルフが見たかったんだよな~』 『きょうの初デート、めっちゃ緊張する~! あー、どうしよう、どうしよう。もう一回トイレいってこようかな~。メイク落ちてたらどうしよう・・・・・・』 『すっげー人だなあ。みんないったいどっから沸いてくるんだよ。って、俺もか。昼飯混んでっかな~。何か買ってうちで食べようか・・・・・・』  人間たちの考えていることを聞かないようにしようと思っていても、意思とは関係なく、心の声はさとりの耳に聞こえてきてしまう。 『あ~っ、暑いなあ~。なんか最近の気温、おかしくないか? ゲリラ豪雨とかってさ、何だよ、ゲリラって。ゴリラの仲間かよ。台風とかめっちゃ多いしさー、なんでこんなに暑いの? これが温暖化ってやつ? あー、早く秋にならないかな~』 『カラオケにマキも呼んじゃったけど、あの子空気読めないからうざいんだよねえ~。なんか変にマジメだしさ~。あー、なんか面倒くさくなってきちゃったな~。なんで休みにまであの子の顔見てなきゃなんないんだろう。ばっくれちゃおうかなあ・・・・・・』  さとりの額を、冷や汗が伝い落ちる。さとりはうつむいた。  まるでよどんだ空気が、風船になって大きく膨らんでいくようだった。人々のさまざまな悪意や感情を呑み込んで、風船はどんどん膨らんでいく。大きく大きく、限界まで膨らんだらいったいどうなるのだろうーー。  さとりは何度も生唾を飲み込みながら、こみ上げる吐き気を必死で抑えていた。くらりと目眩がしたのは、そのときだった。 「ーー・・・・・・さと」  パン・・・・・・ッ、弾けるように、突然目の前の空気が割れた。そんなもの見えるはずはないのに、さとりはそのとき清冽な空気の粒子が、きらきらと自分たちを包み込むような気がした。 『・・・・・・いったいどうしたんだ?』 「さと? どうした? 大丈夫か?」 「そーすけ・・・・・・」  そうすけの顔が視界に入ってきたとたん、さとりはふっと呼吸が楽になった。さとりの身体から力が抜け、その場に崩れ落ちそうになるのを、とっさにそうすけが支えてくれた。 『とりあえず座るところ・・・・・・どこか・・・・・・』 「おいで」  そうすけはきょろきょろと周囲のようすを窺うと、さとりの身体を背後から支えるようにして、人混みの中から連れ出してくれた。 「ほら、ここに座って」  ショッピングセンターとは反対側、遊具もなにもないような小さな公園のベンチに腰を下ろした。 「ちょっとだけ待ってて」  そうすけは、さとりに言いおいてどこかへ消えると、またすぐに戻ってきた。手には、さとりが好きな「色のついたおいしい水」。 「ほら、飲めるか?」  蓋を開けたペットボトルを差し出され、さとりはこくこくと水を飲んだ。少しだけ甘味のある冷たい水が、乾いたのどを伝い落ち、さとりの全身に広がる。  そのとき、「はー・・・・・・」と呼吸を吐く音が聞こえた。 『こいつ、顔色が紙みたいで・・・・・・』 「まじ焦った・・・・・・」  そうすけはさとりの隣にどさっと腰を下ろすと、思い直したように立ち上がった。それから公園の入り口にある自動販売機のところへいき、小さな缶を買って戻ってきた。再びベンチに腰を下ろすと、プルタブを引き上げ、一気に飲み干す。 「・・・・・・なあ、お前どっか悪いの?」 『初めて会ったときも、具合が悪そうにしてたよな』 「本当に病院とか・・・・・・」  さとりはぷるぷると頭を振った。  さとりの具合が悪くなるのは、病気でもなんでもなかった。ただ、その理由をそうすけには説明できない。  さとりの答えに、そうすけはじっと黙って何かを考えているようだった。伝わってくるのは、はっきりと答えないさとりに対する微かな苛立ちと、不安と、それから・・・・・・。中でも最も大きいのは、さとりの身体を心配する気持ちだった。 『こいつ、どこか具合が悪いんじゃないだろうか。たとえさとが嫌がったとしても、一度病院に連れていって、ちゃんと診てもらったほうがいいんじゃないか・・・・・・?』  さとりの胸の中に、あたたかな気持ちが広がる。それから、胸の奥がきゅっと切なくなるような、なぜだか泣きたくなるような気持ちも。  だから、さとりはほんの少しだけ、本当のことをそうすけに告げた。 「お、おいら、ちょっとだけ人混みが苦手みたい。だから、ほんとになんでもないの。どこも悪くないから、大丈夫」 「人混みが苦手・・・・・・?」 『本当にそれだけ・・・・・・?』  さとりがこくりとうなずくと、そうすけはほっとしたように身体から力を抜いた。 「そっか・・・・・・」  そうすけはベンチに寄りかかると、横目でさとりを見た。その目がやさしく細められる。  さとりはドキッとした。  あれ・・・・・・?  胸のあたりに手をのせて、心の中で首をかしげる。さとりは、ぱちぱちとまばたきをした。  なんだかおいら、お腹のあたりが変みたい・・・・・・?  気のせいか、頬のあたりも少しだけ熱い気がする。 「・・・・・・そしたら、どうすっかな。帰るかな」 「えっ」  立ち上がり、空き缶を捨てにいくそうすけに、さとりは慌てた。 「そ、そうすけ、お買い物は? これからお買い物にいくんでしょ?」 「は?」 『いやいや、いかないだろ』 「えっ! いかないの!?」  そうすけが一瞬、ん? なんかいまのおかしくなかったか? という表情になったのを、さとりは気にせず素通りしてしまった。 「いやいやいや」 『ねーだろ』 「ええ・・・・・・っ!」  お互いに微妙な表情になって、一瞬見つめ合う。 「いやだって、人混みが苦手なら無理だろう」 「そうすけとお買い物・・・・・・」  さとりはしょんぼりと肩を落とした。自分が人混みが苦手なせいで、そうすけと一緒にお買い物にいけなくなってしまった。 「えええ~~っ!」 『俺のせいかよ・・・・・・』  そんながっかりされても・・・・・・、というそうすけの困惑した思いが伝わってきて、さとりははっとなった。いけない、そうすけを困らせてしまう。 「だ、大丈夫! おいら、ぜんぜんガッカリなんかしてないぞ! そうすけとお買い物にいけなくったって、へっちゃらだ!」  そうすけに心配をかけまいと胸を張って答えたのに、そうすけが逆に腕を組んで考え込んでしまったので、さとりは困惑した。 「そ、そうすけ、ほんとにおいら・・・・・・」 「・・・・・・人がそこまで多くなければいいんだよな?」  やがて、顔を上げたそうすけの瞳は、いたずらを企んだ子どものようにきらきらと輝いていた。

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