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第14話
何か当てがあって部屋を出てきたわけではなかった。ただそうすけが自分の心の声をさとりに聞かれたくないと思っている以上、あのまま知らないふりをして、同じ部屋にいることはできなかった。
月明かりに指をかざしても、そうすけと自分をつなぐ糸はもう見えない。再会したときに切れてしまったからだ。それでもまだ見えない糸が伸びているようで、さとりは何度もそうすけの部屋があるほうを振り返ってしまう。
「気持ち悪いって思われなかっただけましだ」
本当はそう思いたかったのかもしれないけれど、そうすけはやさしいからさとりを傷つけないよう、考えられなかったのかもしれない。
そう思うと再び悲しい気持ちが戻ってきて、さとりはごし、と瞼をこすった。
『おお嫌だ。覚だ。なんでこんなところにいるのかね』
声がして振り返ると、妖狐が神社の鳥居の上に座っていた。
『あたしゃ昔からこのバケモノだけは虫酸が走ってねえ・・・・・・』
闇の中で、狐の目がぼうっと赤く光った。
コーン、という鳴き声で、たくさんの狐が集まってくる。ざわざわと、葉陰が揺れた。暗闇の中に光るいくつもの赤い目がさとりをじっと見つめている。狐の口元が、にいっと上がり、さとりはびくっとした。思わずその場で後ろにたたらを踏み、小石に躓いて尻餅をつく。
『さて、どうしてやろうかねえ・・・・・・』
や、や、やだ、いやだ・・・・・・。そうすけ・・・・・・っ!
恐怖にぶるぶると身体を振るわせたさとりがそうすけの名前を心の中で呼んだそのときーー、
「さとり!」
誰よりも聞きたいと思ったその声に名前を呼ばれ、振り向きざまいきなり抱きしめられる。
さとりはびっくりした。こんなに余裕をなくしたそうすけを見たのは初めてだったからだ。全身を汗で濡らしたそうすけの鼓動は速く、さとりはどきどきした。
『いきなり部屋から消えたからびっくりした。どこかへいってしまったかと思った。ひょっとしたらあいつのところへいったのかと・・・・・・』
「・・・・・・っ!」
まさかそうすけにそんな誤解を与えてしまうなんて考えなかった。確かに自分はあの場にいてはいけないと思ったけれど、それはいまだけの話で、黙って出てきたつもりはこれっぽっちもない。もちろんそうすけが望まなければ、自分はいつでも出るつもりだけれど、できればさとりは約束の期限が切れるそのときまで、少しでもそうすけの近くにいたかった。
「ご、ごめんね。おいらこれ以上そうすけに迷惑をかけちゃいけないって思って、でも、勝手にいなくなるつもりなんて全然なくて・・・・・・えっと、その・・・・・・」
たどたどしく自分の気持ちを伝えようとするさとりを、そうすけが急かすことなく待ってくれる。
自分を見つめるそうすけの目からは、厭う気持ちはこれっぽっちも伝わってこなかった。さとりは胸の中が堪えきれない感情でいっぱいになった。
「お、おいら、おいら・・・・・・」
胸の奥が震える。
ものすごく怖かった。
そうすけに再会するまで、もし再び会うことができたら自分なんか消えても構わないと思っていたけれど、そうすけに嫌われたら、ほかの妖怪たちと同じ目で見られたら、生きている意味なんてないとさとりは思った。
帰ろう、とそうすけが言う。
「で、でも・・・・・・」
さとりはためらった。本当は一緒に帰りたかった。そうすけと一緒に、安心できるあの部屋へ。でも、自分はまだどうやったらそうすけの心を読まずにいられるのかわからない。
「帰ろう、さとり。一緒に帰ろう」
うつむくさとりの頬に、そうすけの唇が軽く触れた。
一瞬何が起こったのかわからなかった。びっくりして、ぎょっとしたようにとっさに顔を上げたさとりの反対側の頬を、ようすを窺うようにしてじっと見ていたそうすけが再び口づける。
「”もしも相手の気持ちがわかったら、便利じゃないか”」
まばたきも忘れてそうすけの顔を見つめるさとりの瞳に、涙が盛り上がる。
「さとりが妖怪だっていいよ。気持ちを読みたいなら勝手に読め。一生懸命だけど不器用で、その表情に何も隠し事ができないお前のことが俺はもう他人だとは思えないんだよ。・・・・・・だから帰ろう、さとり。俺たちの家へ。一緒に帰ろう」
ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
さとりは泣いた。そうすけにしがみついて、声を上げて泣いた。これまで永く生きてきたけれど、こんなことが自分に起こるなんて想像もできなかった。
ーーもういい、もう充分すぎるくらいだ。
そうすけの腕の中で泣きながら、さとりは幸せだった。
鳥居の上からさとりを喰殺してやろうと見下ろしていた赤い目は、いつの間にか姿を消していた。
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