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エピローグ
「さとり、用意はできたか?」
「あっ、待って。あと水筒にお茶を入れるだけ」
熱いお茶を水筒に入れて、蓋を閉める。電車の中で食べようと思って早起きして作った握り飯を容器につめて、さとりはリビングで待っていたそうすけに「お待たせ」と声をかけた。
「なあ、前に話していた白いふわふわの妖怪だっけ。それっていまもいるのか?」
「うん。きょうは天気がいいからひなたぼっこをしているみたい」
いってきます、と白いふわふわの妖怪に声をかけて、家を出る。
あの事件のあと、人間としての生を捨てたというそうすけには、いまのところ何の変化も見られない。とりあえずはようすを見ながらおいおい考えていこうと話し合って、いまはまだアナウンサー「荻上壮介」としての生活を続けている。
さとりとは違って、そうすけには友人も、大切な家族もいる。本当にあのときの選択はよかったのだろうかと、いまだ事あるごとにくよくよと思い悩み、いつか例え一緒にいられなくなる日がきたとしても、そのときはそうすけの幸せだけを願って身を引こうと、さとりは密かに決意していた。
きょうは遅くにとれたそうすけの夏休みを利用して、彼の祖母の墓参りへと出かけようという話だった。
季節外れのせいか、新幹線のシートはガラガラだった。用意しておいたお弁当とお茶で昼食をすませ、窓の外に流れる景色を眺める。駅からは、タクシーを使った。
金色の稲穂が実る田園の向こうに、懐かしい故郷の青々とした山々が見える。
夏とは明らかに違う秋の風が、さとりの額をふわりと撫でる。さとりは、まだ短い前髪に慣れないでいた。さとりが前髪を長く伸ばしていた理由を知ったそうすけに、「もう必要はないだろう」と切られたのだ。ぐんと広くなった視界はこれまで見えなかったものを、さとりに見せてくれるようだった。
「さとり。どうした?」
一緒に墓参りにはきたももの、そうすけから人間であることの将来を奪うことになってしまったさとりは、自分は彼の祖母の前で手を合わせる資格などないと思っていた。最初から霊園の入口付近で待っているつもりだったさとりを、水を汲んだ手桶を手に前を歩いていたそうすけが振り向き、名前を呼んだ。
「大丈夫だからおいで」
『ばーちゃんはお前を責めることなどしないよ』
さとりは唇をきゅっと噛みしめると、空いたもう片方の手で手招きするそうすけの元へと駆け寄った。
墓の前で礼をしてから、掃除をし、花立てに買ってきた花を生ける。点火した線香を手であおいで消してから静かに手を合わせるそうすけの横で、さとりも同じように手を合わせ、目を閉じた。
ーーそうすけのおばあちゃん。ごめんなさい。おいら、そうすけの一生を台無しにしてしまったかもしれないけど、そうすけのことが本当に本当に大好きです。いつか、もしそうすけがおいらと一緒にいることを後悔する日がきたら、そのときはすぐにいなくなるから、そのときまではどうか一緒にいさせてください。本当にごめんなさい。お願いします。
目を開けると、横にいるそうすけがやさしい目でさとりを見ていた。
「ずいぶん長い間話していたな」
何を話していたんだ? と聞かれ、本当のことが答えづらいさとりは、えへへとごまかしたように笑う。
「少しだけ散歩して帰ろう」
「うん」
ごく自然に自分に向けて差し伸べられた手を、さとりは取る。
ピーヒョロロロ・・・・・・。
ぐんと遠くなった薄青い空に、秋の雲が浮かんでいる。
さとり、と名前を呼ばれて、さとりはそうすけのほうを向いた。
「昔、子どもだったころ、お前に会えてよかったよ。約束を守れなくて、お前に寂しい思いをさせてしまったけど、お前が会いにきてくれてよかった。ありがとう」
「そ・・・・・・すけ?」
無意識のうちに離そうとした手を、けれどそうすけがきゅっと力を入れて引き止めた。
「お前さ、あれからずっと後悔してるだろ。・・・・・・いや違う、後悔とは違うのかな? この先、もし俺に何かあったら、すぐに身を引くつもりでいるだろう」
さとりは目を瞠る。まさかバレているなんて思わなかったのだ。
そのようすを見ていたそうすけが、意地の悪い笑みを浮かべる。
『ーーお前、自分で思っているよりもバレバレなんだよ』
わざと心の声で話しかけたのだろうか。驚いているさとりを見て、その瞳がふっと笑った。
「俺はお前に出会ったことも、お前を好きになったことも、これからのことだって、何ひとつ後悔なんかしていない。お前は? 俺と会って後悔してる?」
ふいに視界が滲んだ。さとりは慌てて目をこすると、ぶんぶんと頭を振った。それだけじゃ足りなくて、ぶつかるように、そうすけの身体に抱きつく。
「そうすけ。・・・・・・好き。大好き。離れるなんて、嫌だ。おいら・・・・・・、ずっとずっと、一緒にいたい・・・・・・」
そうすけがほっとしたように呼吸を吐いた。
『・・・・・・ようやく言ったか』
それから、まるで物わかりの悪いさとりを懲らしめるかのように、ぎゅうぎゅうと抱き返してくれる。
さとりの耳に、誰よりもやさしいその声が落ちてくる。
「好きだよ、さとり。・・・・・・これからもずっと一緒だ」
ピーヒョロロロ・・・・・・。
ふたりの上空を鳶が旋回する。そこにはいつもと変わらない平和な景色が広がっていた。
完
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