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第2話 Pain pain go away.

 敦士は笑顔を作ろうとしたが、うまくできないようだった。どうしてだろう。父親に彼女を紹介するのが恥ずかしいのだろうか。いや、今のこの状態を考えると、恥ずかしい以前にいろいろ乗り越えねばならない問題がありそうだが。 「いきなりこの状況を言ってもわけわかんないだろうから、友達の子を急に預かるはめになって困ってるって言っておいた。でも、ここに来たら本当のことを言うしかないよね。そんな風にしゃべる赤ん坊なんてありえないし。……けど、その前にね、父さん。」 「なんだ?」 「先に父さんに言わなくちゃならないことがある。いつかきちんと言おうとは思ってたんだ。まさか、こんな形で言うとは思ってなかったけど……。驚かないで、聞いてね。」 「……おれがあかんぼうになるより、おどろくこと?」 「かもしれない。」 「きこうじゃないか。」 「今から来てくれる……つまり、俺の恋人のことだけどね。」敦士はそこでコホンと咳をして、唾を飲みこみ、気合を入れ直すような表情を浮かべてから、言った。「男、なんだ。」 「……。」 「俺、ゲイなんだ。」 「……。」 「ごめん、父さ……うわぁっ。」  驚いた拍子に、俺はまたもや粗相をしてしまったようだった。敦士は慌てて俺を床に寝かせ、汚れたソファをタオルで必死にケアした。昔、俺も似たようなことをしたら、優子に「ソファより先に敦士を拭いてあげてよ」と怒られたっけ。敦士は後でシャワーでもすればきれいになるが、買ったばかりのソファは早くケアしないとシミができるじゃないか。そう思って優子を煩わしく思ったものだが、粗相をした当人になって初めて理解した。この股間の気持ち悪さったらない。  そうこうしているうちに、ドアホンが鳴った。  男でも保育士と言うからには、小柄で優しげなタイプかと思いきや、現れたのは、すらりとした長身の、敦士よりだいぶ年上に見える、落ち着いた青年だった。 「お邪魔します。」長身の彼は、床に転がされている俺にすぐに気付いたようだ。「敦士、この子? あれ、お尻汚れてる? おしりふき……なんてないよな。」そう言うが早いか、俺を抱きあげて、浴室に向かった。「すぐにきれいにしてあげないと、かぶれるから。赤ちゃんの肌は薄いし、デリケートなんだよ。」  言いながら、お湯の温度を確認して、俺のお尻を手早く洗ってくれる。テキパキと動く割に、その手は優しい。それに引き換え、敦士はただ呆然と立ち尽くすだけだった。こういったところがつまり、多くの乳幼児が父親よりも母親に懐く要因なのだろう。 「その友達ってのは、おむつも服も粉ミルクも準備しないで、おまえに押し付けて行ったのか?」タオルで俺を拭く。 「あ、ああ、それは、その……後で説明する。」 「こんな小さな子を預ける程の仲なら、おまえがお父さんと2人暮らしだってことも当然知っているんだろう? それで何も準備がないなんてありえない。……ところで、さらし……は、ないよな、ええと、手拭いはあるか。タオルじゃなくて、手拭い。きれいなやつ。」 「粗品でもらった手拭いなら、確かこのあたりに……あった。」 「まるきりの新品じゃなくて、洗ってあるのはあるか。」 「こういうのでいい?」  敦士が出してきたのは、彼が学生時代に体育祭か何かで一度だけ使った手拭いだ。一応洗濯はしてある。  青年はその手拭いを受け取ると、器用に折り畳み、おしめにした。それから新しいタオルも出して、俺をそっとくるむと、抱っこして背中をとんとんした。なんだか、ひどく安心する。 「あいやと。」  いかん、しゃべるのは敦士が事情を説明してからにしようと思っていたのに、つい声が出てしまった。それにしても、俺としては「ありがとう」と言ったつもりなのだが、赤ん坊は滑舌が悪くて困る。  とんとんする手が止まり、青年が「今ありがとうって言ったの、敦士?」と言った。彼にはきちんと真意が伝わっていたようだ。 「違う。……こっち来て。説明する。」 「それより、紙おむつや粉ミルクを。」 「それにも関係するから、まず、聞いて。」  敦士はリビングに青年を通し、さっき俺が粗相した箇所を外した場所に座るよう、促した。青年は俺を抱っこしたまま座る。敦士はその前の床にぺたりと座りこみ、青年に抱かれる、俺を見た。 「父さん、この人は(えい)。俺、今、この人と付き合ってる。もう、2年近くになるかな。」 「へ?」  永と呼ばれた青年の体がソファの上でピョンと飛び上がった。それでも俺をしっかりホールドしているところは、プロ意識のなせる業だろうか。 「あのね、永。永が今抱っこしてる、この赤ちゃん、俺の親父。」 「……。」 「なんて言っても、信じられないだろうけれど、本当なんだ。今朝起きたら、親父が赤ちゃんになってた。」 「しょうなんれしゅ。」  俺は懸命に振り返ろうとしたが、うまいこと真後ろが向けない。 「今……しゃべった?」 「はい、いましゃべったのは、あちゅちのちち、おおちゅきいわお、ごじゅうななちゃい、でしゅ。むしゅこがいちゅもおしぇわになっておりましゅ。このたびはいろいろごめんどうをおかけして、もうちわけない。」 「父さん、一気にしゃべるな。永がパニック起こしてる。」 「むりもない。われわれもめんくらっているところでしゅ。」 「あつ、敦士。これは一体なんだ? 腹話術?」 「そんな芸当できないよ。正真正銘、この赤ちゃんが、親父なの。原因は分からない。」 「病院に連れて行って、調べてもらうとか。」 「俺もそう考えたけど、親父が大事(おおごと)にしたくないって言ってる。急にこうなったってことは、また突然元に戻れるかも分かんないし。」 「誰かの悪戯の可能性は?」 「どういう悪戯だよ。……それに、それはないと思う。だって、この子、母さんのこと知ってた。」 「敦士のお母さんって、確か……。」 「うん。今日、ちょうど命日。」敦士は俺の手を優しく握った。「誰かの悪戯なら、母さんの悪戯かな。」 「しょれなら、あかんぼじゃなくて、かあしゃんのまんま、でてきてくれればいいのにな。」 「父さん……。」  心細そうな敦士の表情。大丈夫だから、と頭を撫でてやりたくなったが、ちっとも大丈夫ではない。それに今の小さな体では敦士に手を届かせることすらできない。  そう思っていたら、すうと頭上を影が通り過ぎた。永の腕だ。 「大丈夫。なんとかなる。」  永は敦士の頭を撫でた。 「ごめん、永。こんな妙なことに巻き込んじゃって。」  されるがままの敦士は、やけに幼く見えた。  永は敦士を撫でる手を戻し、改めて俺を抱っこした。かと思うと脇に両手を差し入れ、持ち上げて、180度回転させた。俺は永と向き合う姿勢となった。 「お父さん。」  永は真剣な眼差しで俺を見た。 「ご挨拶が遅くなり、申し訳ありません。俺は陸勝寺で僧侶、及び運営している保育園で保育士をしております、香山良永(かやま りょうえい)と申します。良い悪いの良いに永遠の永でりょうえいです。敦士くんとは4年前、ボランティア体験でうちの保育園で手伝いをしていただいた縁で知り合い……2年ほど前から、お付き合いをさせていただいております。」 「りくちょうじ……?」 「はい。」 「では……。」 「ええ、奥様の。」  陸勝寺は大槻家代々の墓があり、優子もそこに眠っている。しかし、墓参りや法事の時に永はいただろうか。いつも来られるのは俺と変わらない世代のご住職。時々その長男が代行することもあったが、永ではなかった。 「もうちわけないが、きみとはあったおぼえが……。」

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