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第3話 Hush-a-bye

「寺の仕事はほとんど父と兄がやっていまして、俺はもっぱら保育園にいるんです。それに20代は海外で宗教学の勉強をしていて、日本にいませんでしたし。帰国後、当時経営難だった保育園を多言語対応の園として建て直しを図ろうとしていた時に、英語の出来る学生ボランティアを募って、敦士くんに出会いました。」 「リョウエイという発音が英語圏の人には難しいから、永さんとか永先生とか呼ばれてて、だから、俺もそう呼ぶようになっちゃった。」  敦士が補足した。敦士も英語が得意だから、そんなボランティアをしたのだろう。とはいえ、俺には寝耳に水の情報ばかりだ。大学生の頃の敦士は、反抗的な態度もしなくなっていたし、親子関係は穏やかで悪くなかったと思うが、思い返せば彼にどういう友達がいて、どんな大学生活を送ってるのか、そういったことは一切聞いた覚えがない。ボランティアに行ったことも知らなかった。男親と息子の関係なんてそんなものだと思うけれど、こうなってみると、俺には言うに言えなかった日々があったのかもしれない。だが、その頃から敦士の笑顔が増えたのも事実だ。それはもしや、この青年のおかげなのか。 「お父さんも永と呼んでください。……で、お父さんとはまだいろいろとお話ししなければならないとは思うのですが、まずはこうなった以上、最低限の赤ちゃん用品は揃えないといけないと思います。いかがでしょうか。」 「うん、しょうだな。わるいが、おねがいしゅる。じちゅは、さっきからはらがへってちかたがない。」 「父さん!」  敦士が声を上げた。彼氏にみっともない親父を見せるのが恥ずかしいのだろうが、俺にもどうしようもないのだ。腹が減って、泣きわめきたい衝動を、なんとか理性で押し殺している現在だ。 「じゃあ、俺は一通りのものを買ってくるから、敦士はここでお父さんと一緒にいてあげて。湯沸かしポットはある?」 「ああ、ある。」 「そうしたら、めいっぱいお湯を沸かしておいて。」  永は敦士に俺を預けると、部屋を出て行った。 「えいは、なんちゃいだ? おまえよりとちうえにみえる。」 「31歳。先週誕生日だった。」  先週末の土日、敦士は学生時代の友人と一泊旅行に行くと言って出て行った。俺は疑いもせずに送り出したが、きっとそれは永と過ごしたのだろう。  俺がそう察したことを、敦士もまた察したようだ。 「ごめんね、父さん。」 「なにが。」 「俺の相手が、こども好きの女性じゃなくて。」 「……。」 「俺より年上の男で。結婚もできないし、孫の顔も見せられなくて。」 「あちゅち。」 「ん?」 「もういちど、しぇんめんじょにちゅれていってくれ。」  敦士は洗面所に向かう。さっきと同じく、2人で鏡を見た。 「これがまごのかおだ。じいじとおやじによくにた、かわいいまごだ。」  俺を抱く敦士の腕にぎゅっと力が込められた。 「えいがもどってきたら、ちゃんにんで、ちゃしんをとろう。かじょくちゃちんだ。いちゅもとにもどってちまうかわからんからな、いまのうちに。」  ますます敦士の腕に力が入り、痛いぐらいだった。赤ん坊の本能でまた泣きだしそうだったが、父親としての威厳で、なんとか泣かないでやった。泣いたのは敦士のほうだった。 「ありがとう、父さん。」  やがて、両手いっぱいの荷物を抱えて、永が戻ってきた。 「紙おむつ。おしりふき。粉ミルク。哺乳瓶。ベビーフード。ベビー服。」永がひとつひとつ説明してくれる。「当座はこんなもので足りると思うけど。」永はちらちらと俺を見ながら思案した。「あ、そうだ、布団も要るな。園にお昼寝布団はあるけど、ここまで持ってくるか……。ああ、そうか、いっそ敦士とお父さんのほうがうちに来てくれればいいんだ。」  いいアイディアだと言わんばかりに手を打つ永だったけれど、そこまで甘えていいものだろうか。どんなタイミングで元の姿に戻るのか分かったものではないし、最悪な想像をすれば、一生戻れないかもしれないのだ。敦士はともかく、こんな特殊事情で、これ以上永に迷惑をかけるわけにはいかなかった。  そんなことを考えていると、敦士が言った。 「永、呼び出しちゃった俺が言うのもなんだけど、今日、保育園の仕事はどうなってるの?」 「それは大丈夫だよ。園長ってさ、案外外に出る仕事が多いんだ。役所に行って補助金の申請したり、地域の人に挨拶回りしたり。だから俺がいなくてもちゃんと回ってる。」 「えい、えんちょうなんだ? しゅごいな、そのわかしゃで。」 「家業の一部を継がせてもらっただけですよ。俺の力じゃない。」 「でも、こどもが減って閉園間際だった保育園を、インターナショナル園として復活させたのは永の手腕でしょ。今、希望者多くてなかなか入れないって噂だよ。」 「仏様のお導きです。」  永は茶目っ気たっぷりに笑い、合掌した。 「……あちゅちでいいんれしゅか。」  俺はその敦士の腕に抱かれながら、永に問うた。 「じぶんのむしゅこだから、あちゅちのことはかわいい。やしゃちくて、がんばりやの、だいじなむしゅこれしゅ。でも、きみにはもっと、ふしゃわちいひとが……。」 「そうかもしれませんね。でも、今のところ敦士くんより自分にふさわしい人には出会えてないです。一生を共にするなら、敦士くんがいい。」  永はきっぱりとそう言った。 「……って、まだ敦士には言ってなかったんだけど。」  永は俺の頭上を見つめた。その先には敦士の顔があるのだろうし、そして敦士は今懸命に涙をこらえているはずだった。俺を抱く腕がかすかに震えているから。さっき俺の前では泣いた敦士が、恋人の前では泣かないのかと思うと、それもまたいじらしい。  しかし。 「あちゅち。でも、おれが、このままだったらどうしゅる。これじゃかいちゃにもいけない。ほかのもんだいなら、なんとちてでもおまえをおうえんしゅるが、このじょうきょうでは、おまえをたよらないわけにはいかない。」 「そう……そうだよね。」  敦士がうなだれた。 「永。ありがとう。すごく嬉しい。俺も同じ気持ちだから。……でも、今、父さんが言った通りで。」 「何が問題なんだ?」  永は両手を広げて、抱っこさせろという仕草をした。敦士の腕から、永の腕へと、俺は移動する。 「2人で育てればいいじゃないか。頭はお父さんなんだから、いろいろ教えてももらえるだろう? 赤ん坊ってさ、何が一番大変って意思の疎通なんだよ。でも、お父さん、お腹が空いたとかおしっことか言えるじゃない。こんな楽な赤ちゃんいないぞ?」永は俺を高く抱き上げた。「敦士にそっくりだな。こどもが生めたら、きっとこんな感じだったはずだよね。」それからまた胸に抱く。「なあ、これってすごいことだよ。男同士で家族を作りたくても、なかなか至難の業だろう? なのに、俺たち、いっぺんに手に入れられる。頼りになる親も、おまえによく似た、可愛い子も。しかも、最高にクレバーなおしゃべり赤ちゃん。」  永は敦士の腕に俺を返した。そして俺の鼻の頭をちょんと優しくつついた。 「うちに来てくれれば、ママも近くにいるよ、敦士。」  俺の顔を見つめながら、でも、その言葉は敦士に向けた言葉だった。 「お父さん。元の姿に戻りたいと思うし、俺もそう願ってます。でも、もしそうならなくても、幸せにはなれると思うんです、敦士くんと、お父さんと、そしてお母さんと、俺。そうは思っていただけませんか。」 「……えい。」 「はい。」 「いっちょにちゃちんをとってくれないか。」 「写真?」 「ああ、それは……。」  敦士が洗面所での会話を永に伝えた。永は快く了承してくれた。

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