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愛を取り戻せ③:俺の気持ちとアナタの気持ち

 会社を出てからひたすらお見合い会場である料亭に向かって、宮本は必死に駆けだした。  信号に当たらなければギリギリ間に合う計算だが、1本でも当たってしまうとプラス40秒ほど加算されるので確実に間に合わなくなってしまうことが分かるだけに、死ぬ気で猛ダッシュした。 「あ~もぅ変な意地を張らずに残業を早めに切り上げて、さっさと向かえばよかった……」  泣きそうな衝動に駆られながら懸命に走っていると、ポケットの中のスマホがぶるぶる震えて着信を知らせる。息を切らしてディスプレイを見ると兄貴からだった。 「もしもし兄貴っ。俺、今すっごく忙しいから、用事ならあとで――」 「江藤ちんのお見合いする場所に向かってるんだろ? おまえ、どこ走ってるんだ?」 (息を切らしながら会話してるから、走っているのがバレたのか?) 「えっと会社を出て、目の前の通りを料亭に向かってる」 「やっぱり。出足の悪いおまえらしいな。そのまま走ってろ、すぐに捕まえてやるから」  こっちの返事も聞かずに、一方的に切られたライン。捕まえてやるってもしかして……。 「俺が残業することを見越して、わざわざこっちに向かってくれていたとか?」    目の前の信号が無情にも赤になり苛立ちながら立ち止まったら、すぐ後方から派手なクラクションが鳴り響いた。 「っ……兄貴っ!」 「早く乗れって、急げ!!」  四菱ふそうのデコトラが傍に横付けし、兄貴が窓から顔を出して乗るように急かす。  トラックの前を通って助手席によいしょっと乗り込み、シートベルトをした途端に、後ろから押されるような急加速で発進させた。  車内に流れる音楽は、峠で走り屋をしてる青年を主人公にしたアニメで使われている劇中歌が大音量で流れていて、さながら峠を攻める気分に浸っているのか、んもぅ口では言えないスピードを出していた。 「兄貴っ、スピード出し過ぎだって」 「おまえが、ちんたらしてるのが悪いからだろ。分かったよ」  渋々、スピードを落としてくれたのだが――突然右折をして、狭い路地へと入っていく。 「ちょっ、どこに向かってんだ?」 「俺の知ってる抜け道を使う。スピードが出せないのなら、この方法じゃなきゃ間に合わないだろうから」  住宅街の狭い路地だって何のその、対向車が来ようともスピードは一定のまま、手足のようにトラックを操ってうまく走り抜けてくれる。 「すげー、すげーな。尊敬する!」  宮本が感嘆の声をあげると兄貴は照れくさそうに、鼻の頭をぽりぽり掻いた。 「コイツは俺の相棒だからな。大事に使ってる以上はぶつけないようにしないと」 「俺、兄貴が何かピンチだったら絶対に助けてやるから」 「おまえに助けられているようじゃ、きっとピンチのままだ」  なぁんて掛け合いをしてる間に、料亭の前に到着した。  ちょうど中から江藤が出てくる。店の目の前に横付けされたデコトラに、唖然とした表情を浮かべた。 「俺の大切な友達を、どうかよろしく頼むぞ」  シートベルトを外した瞬間、兄貴から告げられた言葉にニッコリとほほ笑んでみせた。 「分かったよ。大事にして絶対に離してやんねぇから!」  ドアを開けて決意表明すべく大きな声で言い放ち、バタンと勢いよく閉めた途端にエンジンを盛大にふかして、デコトラは走り去った。  まるで西部劇の決闘シーンのように砂埃が舞う中で江藤と向き合うと、後方から誰かが近づいてくるのが目に留まった。大きな花の模様をあしらった艶やかな振袖を着ている、長い髪を結い上げた顔の小さい女性が近づいてくる。  そんな彼女が江藤に視線を合わせて並んだ様子は、本当にお似合いのカップルだった。 「お知り合いですの? 江藤さん」  宮本と江藤を交互に見やって、不思議そうな顔をして訊ねた。 「ええ……。俺の部下なんです」  いつも使っている俺様という言葉をを封印してえらく真面目な表情を作りこんでから、女性に向かって丁寧に頭を下げた。 「申し訳ありません、笹原さん。このお話、なかったことにしていただけませんか?」 「どうなさったの? いきなり……」  面食らったのは女性だけではない。こんなに低姿勢な江藤さんを見るのは、生まれて初めてだった。 「今ここに来てる部下は仕事の全然できない、とてもバカなヤツなんです。コイツが何とか一人前に仕事ができるように日々指導をしているのですが、まったくもって成果が上がりません。仕事ができないコイツも悪いんですが、俺自身も正直できた人間ではなく、貴女にふさわしくないと思うんです!」  言うなり江藤はその場に居住まいを正して座り込むと、大きな躰を小さくして土下座した。 「ちょっ、江藤さん何やって……」  あまりの姿に宮本が声をかけると、江藤はちょっとだけ頭をあげて、余計なことを言うなと言わんばかりに、すっげぇ怖い顔で睨んできた。 「……江藤さん、土下座なんてそのようなことを、部下の前でするものではないですわ。お立ちください」  女性はひどく困惑した面持ちでしゃがみ込み、目の前にある肩を右手で優しくたたいた。諭すようなその言葉に江藤は頭を上げて、渋々立ち上がる。 「江藤さんが最初からわたくしとお見合いする気がないことくらい、ひと目で分っておりました。ですからそんな風にご自分を卑下して、断らないでください」 「あ……」  固まった江藤を見ていて宮本はあることに気がついた。土下座して汚れてしまった足元の前にしゃがみ込んで、スラックスについた土ぼこりを払ってやる。 「おい、おまえはそんなことをしなくても」 「ダメな部下は部下なりに、目のついたところから仕事をするんだよ。黙って胸を張っていてくれ」  そんなやり取りを見て、女性がクスクス笑った。 「江藤さんがきちんとなさっているから、部下の方も見習っているのでしょうね。素敵だと思います」 「あ、はぁ、まぁ……」 「でもこのお話がなくなってしまうのは、本当に残念ですわ。ご縁があって、こうしてお逢いできたというのに」  寂しげなほほ笑みを残して、ひとりで料亭の中へと戻って行く。江藤はその後ろ姿を切なげな表情で眺めて、もう一度頭を下げた。宮本自身も何となくいたたまれなくなって、思わず一緒に頭を下げてしまった。  数秒後に頭を上げると、江藤が呆れたまなざしで見上げてくる。 「何でおまえまで頭を下げてんだ。俺様のことなのに」 「江藤さんのことだからだよ。部下の俺が支えないとダメだろうって思ったし。まだ足元が汚れてる」  他にもブツブツ言いながら宮本は屈んですねの部分をバシバシたたくと、首根っこをぐいっと掴まれた。 「おまえ、汚れを払うと言いながらちゃっかり俺様をたたいてる。絶対に! 日頃の恨みを込めてるだろ?」 「そんなの込めてないって。あるとしたら愛情くらいしかないし……」  さらっと宮本が気持ちを表現した途端に、江藤はうっと言葉を詰まらせて頬をぶわっと赤らめた。 (江藤さんってば飲んだくれて記憶がないと言いながら、どうして顔を赤くしているのやら) 「俺、会社に戻ります。まだ仕事が途中なので」  きっちり一礼してその場を去ろうとしたら、江藤が腕を掴んで引き留めた。 「俺様も戻る。上司として当然だろ」 「えっ!? 別に戻らなくてもいいって。帰ってほしい」 「何だよ……。何か、やましいことでもあるのか?」  別にそんなモノはない。だけど気持ち的に今は微妙なんだ。お見合いを壊してしまったという事実が、ちくちくと胸を痛ませているから。 「ほら、さっさと帰って、仕事を終わらせるぞ」  躊躇している宮本の手を無理やりつなぐと、引っ張るように会社の方に向かって歩きだした。江藤に掴まれている左手が、熱を持ったのは言うまでもなく―― 「……江藤さん」  宮本の問いかけを無視して、何事もなかったかのようにずんずん進んでいく。しょうがないので、お節介な上司に身を委ねることにしたのだった。

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