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過去の想い:愛をするということ4

***  会員制のゲイ・バー、アンビシャス。この店に顔を出すのはよほどの相談事がない限り、日曜にしていた。月曜日からはじまる仕事とプライベートのオンオフを分けるのに、ちょうどいいから。  店に通うようになるまではゲイであることに日々ストレスを感じ、心に鉛を抱えた状態で毎日を過ごした。ときには傷つき、死にたくなるくらいの衝動に駆られたこともある。  自分がおかしいと気がついたのは、周りの友達が女子の躰に興味を持ちはじめ、騒ぎだした頃だった。友達のひとりが、水着姿でポーズをとっているタレントのグラビアがたくさん載っている雑誌を、学校に持ってきたのをきっかけに、それぞれの好みのタイプで盛り上がったんだ。  胸の大きさや形、腰のくびれやお尻がどうのと互いに照れながらも楽しげに語っている目の前の光景に、自分も合わせなくてはと必死になった。女子の躰に興味はおろか、嫌悪していたことを知られたら、仲間外れにされると容易に想像がついた。 (同性の股間に顔を埋めて舐め合ったり、それ以上のことをしたいなんて絶対口にはできない)  だからこそ嫌いな部分を好きに変換して、誰よりも騒いでしまった。そのことを口にするたびに、見えない何かが確実に溜まっていくのを心の中に感じていた。  その輪の中にいる自分に酷く戸惑いを覚えたのを、今でもはっきりと記憶している。二面性のある性癖――その一方を隠すために、偽っている自分……。  いつかはバレてしまうかもしれないという現実を見据え、子どもながらに考えた。  自分を『俺様』という一人称を使って発することで、友達と距離をとろうと口にしてみた。自分の性癖がバレて嫌われるより、こっちのほうがまだマシだと思った。  唐突にはじまった『俺様』発言はそれなりの衝撃を与えたと、クラスメートから放たれる視線から感じとった。ただ発言するだけじゃなく、傍若無人な振る舞いを見て面白がって囃し立てるヤツがいたけど、時間が経過していくとともに、勝手に白けていって自然と離れていった。  そんな無謀なことをしたのにもかかわらず、クラスで浮いた自分を心配して、離れず傍にいてくれる友達もいた。かけられる優しさに支えられながら、それなりに楽しく過ごした学生時代。  高校生のときに同じクラスで、席が隣になったヤツに恋をした。  中学でバスケ部の主将をしていた高身長のソイツは、クラス委員を自ら担うくらいに面倒見のいいヤツだった。高校でも中学と同じ様に『俺様』を口にしている変な自分と接しても、みんなと分け隔てなく仲良くしてくれた。  笑うと目がなくなる人の良さそうな笑みを浮かべるソイツは、当然学年でも人気者だった。 (もっと傍にいたい。触れたいし触れ合いたい――)  そんな想いを胸に秘めてソイツを追いかけるように、バスケ部に入部した。  好きなヤツの傍に四六時中いられる幸せ。手を伸ばせば触れることのできる現状に、最初のうちは満足していた。だがソイツが女子と仲良くしている姿を垣間見るたびに、何とも言えない気持ちが胸にぶわっと広がっていった。  一番近くにいるのに一番遠いような自分の存在に嫌気が差したのが、大学受験間際だったろうか。3年間燻ぶり続けたソイツへの気持ちや、いろんなものが溜まりにたまって、心の中からどろどろと溢れてきてしまったんだ。  身を引き裂くようなその想いは、時間がたつほどに制御できなくなっていった。このままではいつかは自分が壊れてしまうと考えて、一大決心をした。  受験に合格すれば、学部は違うけど同じ大学に通うことになる。高校での関係を進展させるべく、思いきって告白しようと――  3月上旬にあった高校の卒業式。目に眩しい青空の下にある満開の桜が咲く校舎裏に、ソイツを呼び出した。  グラウンドの傍に咲き乱れた大きな桜の木を眺める端正な横顔を見ただけで、胸が熱くなる。自分からキスして、その綺麗な顔を歪ませてやりたいと思ってしまった。 「おまえが好きなんだ……」  桜の枝を揺らす強い風に気持ちを乗せるように、そっと告げてみる。  枝を揺らされた桜の木はたくさんの花びらを舞い散らす様子は、自分の応援しているように見えた。  そんな桜に視線を飛ばしていたソイツが首をゆっくりと動かして、自分をじっと見下してくる。  まるで犯罪者でも見るかのような軽蔑を含んだまなざしに、躰が一気に竦んでしまった。そんな目で見られたことがなかったからどうしていいか分からず、狼狽えながら視線を右往左往させるのが精一杯だった。 「俺が好きなんて、狂気の沙汰としか思えない」  とても静かに淡々とした口調で投げかけられた言葉は、青空に舞い上げられた桜の花びらが、ひらりひらりと音もなく自分に向かって落ちてきたときに告げられた。  目の前に降り注ぐ柔らかいピンク色を捉えたら、急に目頭が熱くなる。泣かないように奥歯を噛みしめたら、自然と唇が震えてしまった。それを抑えるべく両拳に力を入れたら、今度は躰全部が震えてくる。 「……江藤ちんがそういう趣味をしているんじゃないかって、実は密かに噂になっていたんだよ」 「なん、だって?」  絞り出すようにやっと口にすると、ソイツは眉間に深いしわを寄せて苦笑いを浮かべた。自分を見つめる瞳には、蔑んだ感じがありありと滲み出ていた。 「なんだってなんて愚問だな。クラスの中でもイケメンで頭が良くてスポーツもこなせるおまえに、憧れてるヤツが結構いたし、実際に告白されていたのも知ってる。女子からおまえのことで、相談を受けたこともあったんだぜ」 「…………」 「中には、かわいい女子もいたじゃないか。それなのに誰とも付き合わずに浮いた噂がひとつもないのは、やっぱりおかしいと思うだろ」 「そうか」  白い目で見続けられることに堪えられなくなり、がっくりと俯いて、足元に散らばる無数の桜の花びらを眺めた。 「俺の目の届かない校外で恋愛をしているのかなって考えたけど、携帯には女子の名前が全然なかったな」  告げられた言葉に躰中の血の気が、ザーッと引いていく。 「俺様の携帯を……勝手に見たの、か?」  顔を上げて疑問を投げかけたら、してやったりな表情で見つめてきた。  さっきまでの態度よりは話かけやすいけど、プライベートな部分に入り込まれた事実は、かなりショックだった。 「だって、俺よりもモテる秘密がそこに隠されてるかもしれないと思ったら、どうしても気になったんだ。調べた結果、モテる秘密は分からなかったけど、ゲイの可能性が出てきちゃったわけさ」 「友達だと思っていたのに。酷ぇことしやがって……」 「酷いのはそっちだろ。邪な目で、俺を見ていたくせにさ」  邪な目か――そう思われて当然なんだな、俺様の気持ちってヤツは。 「江藤ちんがゲイだってことは、誰にも言わない。1番仲が良かった俺まで疑われたら、たまったもんじゃないし」  己の保身を優先するために隠す。それは賢明な判断だろう。 「その代わり大学で俺の姿を見ても、絶対に話しかけるなよ。これ以上、関わり合いたくない」  足元に落ちている花びらを蹴散らしながら目の前から消えたソイツを、追いかけることはおろか見ることすらできなかった。ショックが大きすぎて涙も流れなかったことが、記憶に強く残っている。  ゲイである以上、普通の恋愛ができないことをこの初恋で思い知った。誰かを好きになっても、こうして自分が深く傷ついていく――  今回の失敗を元に、大学では女子とも話すようにしなければと『俺様』という言葉を連呼して自己紹介した。ついでにバカ騒ぎしたらいろんなヤツが寄ってきて、自然と仲良くなった。  どんなに仲良くなっても、自分の本性がバレないように隙を作らず生活した。本当の姿を見られたら、確実に嫌われるのが分かっていたから。  その一方でネットでゲイ専門の出会い系の掲示板の存在を知り、顔の知らない相手のいろんな悩みを閲覧していた。ゲイであることの悩みを抱えて生活しているのは自分だけじゃないと知り、ホッとしたところもある。これのお蔭で、うまくバランスがとれていたのかもしれない。  そんなやり取りを眺めていたら、掲示板に書かれた悩みを鮮やかに解決するコメントをしているユーザーに、何となく興味がわいた。  20代後半だという彼にアクセスし、コメントのやり取りをしてその人柄を窺った。  女性に嫌悪を抱いてしまうことや友達との付き合い方など、いろいろ相談に乗ってもらったのだが、年上らしい的確な返答にその都度心を打たれた。  感動ついでに逢いたいと思いきって提案してみたら、偶然にも自分の住んでいる場所から電車1本で逢える距離だと知り、とんとん拍子に彼の住む町の駅前で待ち合わせすることになった。 「あの、石川さんですか?」 「はるくん、かな?」  分かりやすいように駅前にある噴水前で待ち合わせしたので、互いのハンドルネームで話しかけた。  実際に逢った彼の印象は、どこか頼りなさげに見えてしまった。  リーマンらしいスーツ姿に、整髪料で整えられた少しだけ茶色い髪の下にある切れ長の一重瞼は自分を見上げて、どこかおどおどしていた。身長が10センチくらい低い小柄な体格が怯えた様子を、なおさら誇張しているみたいに感じた。  ネットでのやり取りから自分が勝手に想像した人柄との違いに、内心苦笑するしかない。  見つめ合うこと5秒くらいだったろうか、いきなり吹き出しながら大笑いしたのは石川さんだった。自分よりもうんと年上なのに大口を開けて子どものように笑う姿は、初対面なのに懐きそうになるもので、同時に安心感を誘うものでもあった。 「はるくん、想像以上にすっごくイケメンで驚いてしまったよ。コメントはいつも思い詰めていて、死にそうな感じの文字の羅列だったから、もっさりとした根暗なイメージを抱いていたんだけど、これほど真逆だとは思わなかった」 「石川さんのコメントには、すっげぇ助けられました。悩んでいるのが、バカらしくなるくらい」  石川さんに抱いていたイメージの違いを口にせずに、まずは素直な気持ちを述べてみた。彼には本当に、お世話になりっぱなしだったから。 「ははっ。掲示板では偉そうなことを言ってるけど、実際はこんな小さいオッサンが書き込みしたのを知って失望しただろ?」 「20代後半は、オッサンじゃないと思います。それに石川さんがとてもいい人なのは、今までのやり取りで分かっていますから。失望なんてしません」  自分の告げた言葉にちょっとだけ頬を染めて、うれしさを滲ませる表情が可愛いなと思った。 「コーヒーがうまい店を知ってるんだ。そこに行こうか」  石川さんの提案でその店に移動し、コーヒーをお代わりして話し込んだ。掲示板のメッセージでお互いの心の内を書き込みしたりと、親密にやり取りしていた経緯もあったから遠慮なく会話を楽しんだのも事実だけど、話し上手な石川さんにすっかり乗せられていたのかもしれない。  一人っ子の自分にとって彼は、親身に話を聞いてくれる兄貴のような存在に思えた。 「ねぇはるくんは、アッチのことには興味がないの?」  切れ長の一重瞼を意味深に細めながら流暢な口調で訊ねられた言葉にビックリして、目を瞬かせてしまった。 「そのことについては……ちょっとくらい、なら」

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