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過去の想い:愛をするということ5

 どうにも恥ずかしくてしどろもどろに答えてしまった自分を、まじまじと石川さんが見つめながら、そんなの普通だよと呟く。 「男なんだから性欲があって当たり前だし、適度にヌかないとつらいしさ」 「はあ。そうですね」 「教えてあげようか、男同士のアレ」  世間話から一転した誘い文句に、頭が一気に混乱した。興味がないと言えば嘘になる。だけど好きでもないヤツと、そんなことをいたしていいのだろうか。 「や、でも……」 「はるくん、手を出して」  困惑していたところに、ぽんと投げかけられた意味不明なお願い。首を傾げながら右手を差し出したら、自分よりも若干小さい石川さんの両手がそっと包み込んだ。 「とても綺麗な手をしているね」  言うなり躊躇なく親指を口に咥えた。まるでタバコを吸うような自然な動作に、呆気にとられるしかない。 「ちょっ!?」  突然の奇行に、慌てて周囲を見渡した。  喫茶店の店内はほのかに薄暗く、座席も観葉植物で仕切られているため、わざわざ腰を上げて覗かない限り、俺たちのことは見られないけれど――  狼狽えまくる自分を尻目に柔らかい舌をねっとりと絡ませ、音を立てて親指を吸われてしまった。BGMで流れているジャズが遠のき、ちゅっとリズミカルに吸い上げる水音が耳について離れない。 「いっ石川さん、止めてください」  手を奪取したいのに感じてしまって、うまく力が入らなかった。時折見え隠れする舌がやけに煽情的に見えるせいで、下半身が妙に疼いてしまう。 「これよりも気持ちのいいコト、俺なら教えてあげられるよ」 「これよりもって……」 「するかしないかは、はるくん次第。どうする?」  選択権を委ねられたと同時に、テーブルに戻された右手。それを慌てて引っ込めて、膝の上に置く。握りしめた手のひらに感じる、濡れそぼった親指が熱を持っていた。そこから熱がじわじわと全身に染み渡っていく。  自分ではどうにもならない火照った躰を何とかしたくて、静かに頷くしかなかった。それを確認すると石川さんは席を立ち、肩にそっと手を回してくる。 「はるくん、行こうか」  促されるままに、ちょっとだけ離れた場所にあるホテルまで歩いた。  ホテルの部屋に付いた途端にいきなり抱きすくめられ、小さな悲鳴を上げてしまったのは、今思い出しても笑いが出てしまうものだった。  喫茶店を出てからずっと口から心臓が飛び出そうなほどドキドキして、身の置き場がなかったっけ。下から見上げてくる石川さんの目がギラついていたのも、緊張につながっていたと思う。 「ごめんなさいっ、先にシャワー浴びてきます!」  渾身の力を振り絞り、小柄な石川さんを突き飛ばして風呂場らしき場所に向かってダッシュした。  どこでもいい、とりあえずひとりになれる場所で何としてでも落ち着きたかった。  扉を開けると目に飛び込んできたのは、真っ白な浴槽だった。急いで鍵をかけて、がくがく震える膝を抱えながらしゃがみ込んだ。  同じような扉がもうひとつあったので、きっとあっちはトイレだろうと関係ないことを考えた。そう――こんなくだらないことでも考えないと、あの状況にまんまと流されて、ほいほいホテルに来てしまったことを激しく後悔しそうだった。  石川さんは兄貴のような存在で、とてもいい人。そんな彼と簡単に関係を持ってしまっていいものだろうか……。  コンコン!  ぐちぐち考えあぐねているところになされた扉のノック音に驚いて、心臓がぎゅっと竦んだ。 「は、はい?」 「ラブホテルの休憩時間は永遠じゃないよ。さっさとしないとこの扉をぶち破って、はるくんの躰の隅々を洗いに行くかもね」  風呂場に閉じこもってまだ1分もたっていないというのに、早くしろと促す言葉には激しく焦るしかない。 「なるべく早く済ましますっ。すみません!!」  怖気づいても仕方ないと気持ちを切り替え、素早くシャワーを浴びてから下着を履いてバスローブを身に着け、恐るおそる風呂場から出た。 「やっと出てきた。随分と念入りに洗ったんだね」  ベッドに腰かけていた石川さんが自分に向かって歩いてきたんだけど、既に真っ裸だった。その姿にぎょっとして目のやり場をどこにしたらいいか分からず、あちこちに彷徨わせる。 「テーブルに冷たいサイダーを用意しておいたから、それ飲んで待っていて」  たじろぐ自分を見やり、すれ違いざま頬にちゅっとしてから、颯爽と風呂場に行く背中を呆然としなら見送る。  怖気づいた自分とは違って、大人の余裕を見せつけられた気がした。それは間違いなく、経験の差なんだろうけど。  とぼとぼ歩いて備えつけのソファに座り、目の前にあるコップに手を伸ばした。耳に聞こえてくるシャワーの音を聞きながら、一口だけサイダーを飲む。  緊張しまくっているせいか、炭酸特有のシュワシュワした感じすら舌が感知しないなんてどうかしてると思った。  舌が不感症なんておかしな話だけど、自分の躰が他人のものに感じたのは、このときがはじめてだった。そんな違和感のせいで感じなかったらどうしようかとまたしても不安に苛まれていたら、シャワーの音が鳴り止んだ。 (ここまできて恥ずかしいとか、つらいことがあったらなんていう恐怖心に打ちのめされても、どうにもならないだろ。諦めるんだ……)  怖気づいた自分を奮い起こそうと気合いを入れるべく、コップに残っていたサイダーをすべて飲み干した。 「待たせたね。はじめようか」  石川さんはバスタオルを腰に巻いた姿で風呂場から出てくると、すぐさま自分の腕を掴んで、ベッドに連れて行こうとする。手にしていたコップを慌ててテーブルに戻したら、早く来いと言わんばかりに引きずるようにベッドに連れられた。 「その顔、すごく緊張してるでしょ?」 「はあ、そうですね」 「大丈夫だよ。そのうち薬が効いて落ち着くから」 「薬っ!?」  あまりの事実に、足がピタリと止まってしまった。そんな俺の顔を意味深な笑みで見つめながら強く腕を引っ張り、ベッドの上へと押し倒す。  ベッドのスプリングの衝撃を背中に感じた刹那、重さのある何かが躰に跨ってきた。目に映った天井が、すぐさま石川さんの顔に変わる。 「はるくんが落ち着けるように、安定剤をちょっとね。俺としてもスムーズに、いろんなコトを教えてあげたいし。それに――」 (……さっき飲んだサイダーに、薬を仕込んでいたってことか) 「綺麗な君の顔が、快感で歪んでいくのを見たかったんだ。はじめてだと恥ずかしさやいろんなものが相まって、ブレーキがかかるから。それを外してあげただけだよ」  悪魔のようなそれでいて子供のような無邪気な笑みを浮かべる石川さんに、なす術がなかった。

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