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第13話

 シオンの屋敷に滞在して数日経過したころには、アオは落ち着かない気持ちになっていた。ただの客人であるという立場に、甘えていていいのだろうか。  リコは、たまっていた感情を吐き出した後は、まるで憑き物が落ちたようにすっきりとした顔をしていた。ときおりカイルとふたりでいるところを見かけることがあった。そんなとき、リコがすっかりカイルに心を許しているのがアオにはわかった。 「アオ! 見て、これ、カイルがくれたんだ!」  扉が勢いよく開く音がして、リコとカイルが部屋に入ってくる。少し前からその姿が見えないな、と思っていたリコが手にしているのは、何かの書物のようだ。 「カイルがね、昔使っていた教科書だって。時間があるときに、俺に勉強を教えてくれるって」  瞳をきらきらさせ、無邪気に笑うリコは本当にうれしそうで、アオは温かい気持ちになった。 「そうか、よかったな」  くしゃりと弟の髪をかき混ぜてやると、リコがアオの腰にしがみついてきた。 「・・・・・・リコ?」  ぎゅうぎゅうとしがみついてくるリコを不思議に思いながら、アオは少し離れた場所から自分たちのようすを見守っている背の高い男を見上げた。 「カイル。リコによくしてくれて本当に感謝している。ありがとう」 「いえ」  カイルがほほ笑む。リコはアオから身体を離すと、照れたようにえへへと笑った。それからカイルを振り向き、 「カイル、いまからでもいい? 忙しい?」  と訊ねた。 「大丈夫ですよ。それでは温室へ移動しましょうか。いまの時間は過ごしやすいはずですよ。ついでに調理場へ寄って、こないだリコがおいしいと言っていた焼き菓子をいただいてきましょうか」 「やったあ! それじゃあアオ、ちょっといってくるね」 「ああ」  再びアオがひとりになると、急に部屋の中はがらんと広くなった気がした。  リコとカイルの仲がいいのは喜ばしいことだ。会ってまだ間もないふたりだけれど、互いに心を許し合っているのがわかる。よかった、と思うのはアオの本心だ。リコが幸せになれて、本当によかった。  それなのになぜだろう、ほんの少しだけ寂しさを感じる。リコの幸せはアオにとって一番の願いであったはずなのに、まるで自分の役割は終わったのだと告げられるような、取り残されたような気持ちになった。  アオは頭を振った。これもきっと部屋に閉じこもっているせいだ。  カイルがちゃんと言い含めてくれているのか、以前のときのように使用人たちから露骨な嫌がらせをされることはなかった。けれど、アオたちが招かれざる客であることには変わりない。まるで腫れ物に触るように遠巻きにされるだけで、必要がない限りはただ空気のように扱われる。それは、この屋敷の当主、シオンの意志であることに他ならない。 「よしっ」  アオは部屋を出ると、各部屋のタオルやシーツなどを交換しているメイドに声をかけた。何か自分にもできることはないかと訊ねたが、メイドは困惑した顔をするだけで、逃げるようにアオの前から立ち去ってしまった。  次にアオが顔を出したのは、調理場だ。ここではコックたちが忙しそうに立ち働いていて、声をかける隙さえなかった。どこへいっても、使用人たちは皆アオが声をかける前に、逃げるようにいなくなってしまう。  やっぱり一度シオンとちゃんと話さなきゃだめだ。  アオは、カイルにシオンと会うことができないかを訊ねた。最初は玄関ホールなどで待ち伏せをすることも考えたのだが、すぐにそれが簡単でないことに気がついた。ただでさえ多忙なシオンはつかまえることが難しい上、彼のほうは反対にアオを避けている節さえあったからだ。 「シオンにですか? それはあまりよい考えだとは思えませんが・・・・・・」  案の定、アオの言葉にカイルはよい顔をしなかった。それでもアオがしつこく粘ると、渋々とその日のシオンのスケジュールを教えてくれた。  その夜。アオは念のためカイルに教えてもらった時間よりも早く、玄関ホールのソファに陣取ってシオンの帰りを待った。途中、通りがかりの使用人に不審そうにされたけれど、アオは気にしなかった。  玄関の前に、黒塗りの高級車がすっと止まる。運転手が下りてきて後ろに回ったら、後部ドアからシオンが出てきた。 「シオン!」  シオンはアオに気がつくと、明らかに嫌そうな顔になった。そのまま無視してアオの横を通り過ぎようとする。アオはシオンの腕をつかんだ。 「シオン! 待てよ! 俺、あんたに話があるんだ」  シオンが足を止める。射るような青い瞳に見据えられて、胸がツキン、と痛んだ。それでも負けまいとアオが視線をそらさずにいると、シオンは諦めたようにため息を吐いた。 「何の用だ」  アオは、ぱっと目を瞠った。シオンが話を聞いてくれる。そのことが無性にうれしかった。 「あの、俺、ここで世話になっている間、何か仕事がしたいんだ。あんたたちに助けてもらったのは感謝している。リコがカイルのつがいの相手だっていうのも、正直びっくりした。でもさ、それだけじゃ俺たちがここにいていい理由にならないだろ?」  いつシオンの気が変わっていってしまうかわからない。勢い込んで告げるアオに、シオンは怪訝な顔をした。 「どういう意味だ」  気のせいか、さっきよりもシオンの表情に不機嫌さが増している気がする。  アオはどきどきした。アオは普段、自分の気持ちを伝えることに慣れてはいない。リコ以外、これまで自分の話を聞いてくれる人などいなかったからだ。なんて説明したら伝わるだろう。焦れば焦るほど頭の中は真っ白になり、じっと見つめられて、顔がかあっと熱くなった。 「ほんとになんでもいいんだよ。俺、学歴もないし、頭もあんまよくないからさ、言ってもできることなんて限られてるかもしれない。でも、汚れ仕事なら慣れてる。俺が言ってもきっとだめだ。できればあんたから言ってもらえないかな・・・・・・?」  アオは、さっきから無言でいるシオンが気になった。アオが顔色を窺うようにちらっと見ると、じっと何かを考えていたらしいシオンは小さく呼吸を吐いた。 「仕事がないと居づらいというわけか」 「う、うん。そうなんだよ!」  自分の言っていることがシオンに伝わって、アオはほっとした。  だけど、わかった、とシオンから短い返答が返ってきたとき、アオはきょとんとした。 「えっ?」  いま何て・・・・・・?  すでに歩き始めていたシオンが足を止め、振り返る。 「だからわかったと言ったんだ。お前に何か仕事を与えるよう、カイルに言っておく」  まだ何か? というシオンの瞳に、アオはぶんぶんと頭を振った。 「あっ、ありがとう!」  すでに歩き始めているシオンの背中を眺めながら、アオは胸が沸き立つような、切ないような、自分でもどうしていいかわからない気持ちになった。

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