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第16話

 雨がざあざあと降っている。  夕食をすませ、ここ数日と同じように一日を終えたアオは、皆が寝静まったころ、むっくりとベッドから起き上がった。  空気がしんと冷えている。アオはクローゼットから厚手のセーターを引っ張り出して、パジャマの上から着込んだ。かすかな物音がしてびくりとなったが、慎重にリコの気配を窺うと起きたようすはなかったのでほっとした。  もし自分が雑誌の切り抜きを盗った犯人ならどうするだろうか? 相手を脅す? でもいったい何て? 切り抜いたページ自体はシオンが写っているだけにすぎない。いやらしくも、ショッキングでも何でもない、ただの切り抜きだ。  切り抜きを盗んだ人物は、アオがこれを大事にしていたことに気づいているはずだ。でなければわざわざこんなものを財布にしまっておくはずはない。そして、アオが盗まれたと騒ぎ立てられないことも見通しているのだろう。  アオはぎゅっと唇を噛みしめた。  もう手遅れかもしれない。切り抜きは、見つからないかもしれない。  頭の片隅の冷静な部分では、そんなもの捜してどうなる? という思いもあった。でもーー。  アオは部屋を抜け出すと、普段使用人たちが使う場所のゴミ箱を当たってみた。当然だが一日のゴミはすでに回収済みで、塵ひとつ残っていない。がっくりと肩を落とし、部屋に戻ろうとした足を止める。  ひょっとしたら・・・・・・。  アオはくるりと身を翻した。気が逸るうちに、アオはいつの間にか小走りになっていた。従業員用の裏口から外に出ると、冷気が襲ってきた。冷たい氷のような雨粒が襟元に落ちて、アオは「ひゃっ」と肩を竦めた。  心を決め、一気に外へ駆け出す。 「うわっ、冷てっ。冷てっ」  バシャバシャと水たまりを跳ね上げながら、容赦なく降り注ぐ雨を腕で庇う。  屋根のあるところへ駆け込むと、全身をぶるりと震わせた。雨粒を払うこともそこそこに、未回収のゴミ袋の口を開ける。  俺はいったい何をしているんだろう。こんなことしたっていったい何になる。こんな思いをしてまで捜したって、見つかるわけないじゃないか。  そう思うのに、アオは手を止めることはできなかった。  ひとつのゴミが終わると、口を縛り、次のゴミ袋にかかった。それでも見つからなかったらまた次のゴミを。気がつけばアオは全身びしょ濡れの泥だらけになっていた。 「あった・・・・・・っ!」  ゴミの中からそれを見つけたとき、アオは震える手でそれを胸に抱いた。  ぼろぼろになった雑誌の切り抜きを大事そうに抱きしめて、「あった・・・・・・! あった・・・・・・!」と呟く。  カタリ、と物音が聞こえた。  振り向いたアオの目の前に、シオンが立っていた。その髪から雨粒を滴らせている。 「シオン・・・・・・?」  どうしてここにいるのだろう? 自分は何か都合のいい夢を見ているのではないだろうか?  苛立ちを滲ませたようすでアオを見つめるシオンの身体から、まるで見えない炎が立ち上っているようだった。  そんなに俺のことが嫌いなのか。そんな憎むような目で見られなければならないほど。そんなーー・・・・・・。  アオはぐしゃりと顔を歪めた。そのとき、シオンはアオが握りしめているものに目を留めた。 「あっ、これは・・・・・・っ」  アオは慌てて雑誌の切り抜きを背後に隠した。けれど驚いたように大きく見開かれたシオンの瞳から、アオは手遅れであることを知る。  いくらでもあると思っていた言い訳は、けれど肝心なときにひとつも出てこなかった。 「お前・・・・・・」  困惑を滲ませたその表情から、アオは自分の気持ちがシオンに知られてしまったことに気がついた。 「ちが・・・・・・っ!」  シオンが気まずそうに視線をそらす。見てはいけないものを目にしてしまったみたいに。その瞬間、アオの中で何かが音をたてて壊れた。 「う・・・・・・っく!」  どうして俺はオメガなんかに生まれてきてしまったんだろう。両親は、アオたち兄弟を残して逝ってしまったのだろう。どうしてどうして・・・・・・!  涙がぼろぼろと零れ落ちる。これまで我慢してきたすべてのものが一気に溢れ出たようだった。 「うぅ~・・・・・・あ~・・・・・・っ!」  こんな気持ち、知りたくなかった。こいつを好きになんかならなければよかった。最初から、自分なんかを好きになってくれるはずなんてないのに。こんなに苦しい思いをどうして・・・・・・。  噛みしめた歯の隙間から、嗚咽が漏れる。  自分は何のために生まれてきたのだろう、というこれまで端に追いやってきた気持ちが、じくじくと膿を持つ。  苦しむためだろうか。この世にはアルファがすべてで、それ以外はおまけみたいなもの。オメガの存在など、数にすら入らない。そのことを証明するためだろうか? 誰か見知らぬ者の優越感を満足させるため?  世の中の人間は平等であれなんて、そんなものはきれいごとだ。だって、そうじゃなければどうして俺たちオメガはこんなにも苦しい思いをしなければいけないのだろう?  ーー誰も俺なんか必要としない。  ふいに落ちてきたその思いが、アオの胸を深く抉る。 「うあ~~・・・・・・っ!」  アオは声を上げて泣き叫んだ。それは、不慮の事故で両親を亡くして以来、これまで必死に我慢を重ね、がんばってきたアオの心の叫びでもあった。 「あぁ・・・・・・っ!」  リコだって、アオのことが一番好きだって言っていたのに、いま弟の一番近くにいるのはカイルだ。アオなんて、もう必要ない。誰にも、必要となんかされていない。誰にもーー・・・・・・。 「アオ・・・・・・ッ!」  ぴしゃりと頬を打たれて、涙に濡れた目をぼんやりと向けると、シオンがこれまで見たこともない必死な表情でアオを見ていた。 「・・・・・・ない」 「え?」  アオの口からぽろりと言葉が零れ落ちる。何を言っているのか聞き取れなかったのか、シオンが眉を顰めた。 「・・・・・・俺なんかいらない。誰も俺なんて必要としない。リコだって、俺なんかもういらない。なんのために生きなきゃいけないの・・・・・・? まだがんばらなきゃいけない? いったいいつまで・・・・・・?」  苦しいのは、もう嫌だ・・・・・・。  こんなこと、シオンに言ったって仕方ないことはわかっている。いまだって、きっと迷惑に思っている。でも、止まらない。  涙が盛り上がり、ぶわりと視界が歪んだ。頬を、つ・・・・・・と涙が伝い落ちる。  ふいに、その身体を包まれた。自分はいまシオンに抱きしめられているのだと思ったら、驚きで涙が止まった。 「お前はいい子だ」  やさしく触れられて、ドキッとした。 「お前は不必要な人間なんかじゃない。リコだってお前を必要としている。本当はお前もわかっているのだろう?」  ーーいままでひとりでよくがんばったな。   ぽんぽん、と背中を撫でられ、その言葉が耳元に落ちてきたとき、アオの中で最後の砦が崩れ落ちた。 「うあーー・・・・・・っ」  アオは泣いた。シオンの高級なスーツが皺になるほどしがみついて、声が嗄れるまで泣いた。シオンはアオが泣き止むまで、その身体をやさしく抱き止めていてくれた。

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