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第35話 天狗の郷

荷物を部屋に置かせてもらい、ここで使えるのかわからないけど、スマホだけジーンズのポケットに突っ込む。 織部さんは、いつの間にかいなくなっていた。 俺は、鉄さんと2人で銀ちゃんの家へ向かう。風情のある街を歩いていると、どこかに旅行に来たような気分になり、楽しくなってきた。 街中をそんなに人(天狗)は歩いていなくて、たまにすれ違う人は皆、鉄さんにお辞儀をしていく。特に俺を不審がる様子もなかった。 「人間がいても怪しがられないんですか?」 「大丈夫だよ。結構、人間と結婚してる天狗もいるんだ。そういう天狗は、普段、人間の世界で暮らしてるけど、時々ここへ連れ合いの人間を連れて来るから、人間がいても変な目で見られたりしないんだよ」 「へぇ〜、そうなんだ…」 「それに凛くんは僕のお客さんだからね。誰も君には手出しさせない。安心して」 「…ありがとうございます」 先程、空から見えた川や花を眺めながら進んで行くと、ある大きな屋敷の前で、鉄さんが止まった。 「ここがしろの家だよ。さあ、行こっか」 緊張で、どきどきと心臓が煩く鳴り始める。鉄さんに背中を押されて小さく頷いた。 一歩、足を踏み出そうとした時、門の中から話し声が聞こえてきた。聞き覚えのある声に、俺の胸の鼓動がますます激しくなる。門から姿を現したのは、深い緑色の着物を着た銀ちゃんだった。 「銀ちゃ…」 「凛⁉︎なぜ、ここにいるんだっ!」 笑顔で近寄ろうとした俺の瞳に、怖い顔の銀ちゃんが映る。全く予想もしていなかった反応に、俺は固まってしまい動けなくなった。 「ちょっと、いきなりそんな大きな声を出さないでよ。せっかく凛くんが遠い所から来てくれたのに。僕が誘って僕が連れて来たお客さんだから、邪険に扱わないでくれる?」 鉄さんが俺を庇ってくれるけど、銀ちゃんに怒られた事で、会いたかった気持ちが一気に萎んでしまった。 ーー銀ちゃんが俺に優しいからって、自惚れてたんだ、何しても大丈夫だって。やっぱり、こんな所まで来られたら迷惑だよね…。はは、俺ってストーカーみたい…っ。 「…ごめん、銀ちゃん…。帰る日が伸びそうだって聞いて、どうしても会いたくなって…。勝手な事してごめん。すぐ帰る…」 溢れ出そうになる涙を堪えて早口でまくし立てると、身体を翻して走り出した。 身体を返す時に、銀ちゃんの隣に立つ女の人がちらりと見えた。紺色のワンピースを着て、長い髪の毛がさらさらと揺れていた。とても綺麗だった。 ーーああ……、もしかして、あの人がちゃんとした花嫁なのかもしれない。そんな人といる所にのこのこと現れて、俺ってバカだ……。 もう、涙を堪えることなんて出来ない。俺はせめて声が漏れないように唇を強く噛み締めて、涙を流しながらただひたすら走り続けた。

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