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第62話 大切な人
家に戻ってから、初めて心隠さんが訪ねて来た。
俺は、来訪者があった事にほっとする。
どうしてかわからないけど、一ノ瀬さんが実家から戻って来てから、いつも何か言いたげに俺をじっと見てくる。だから、2人だけでこの家にいるのは、少し気まずかったんだ。
俺が玄関に向かうと、一ノ瀬さんも部屋から出て来た。
心隠さんと挨拶を交わしている俺の横に、一ノ瀬さんが並ぶ。
一ノ瀬さんに気付いた心隠さんが挨拶をして、そこから2人が話しを始めた。2人は元から知り合いだったのか、俺にはよくわからない話をしている。
2人の会話から『天狗』や『鬼』とかの単語が聞こえてきた。よく聞いてみると、一ノ瀬さんが天狗で、心隠さんが鬼らしい。しかも、俺に術をかけたとか言ってる。
ーー天狗?鬼?それに術って一体何のこと⁉︎
驚いてる俺に気付いて、一ノ瀬さんがそっと頭を撫でて「大丈夫だ」と笑った。
彼の笑顔に、俺の胸がきゅうと苦しくなる。
俺が、胸に手を当てて目を伏せていると、バサリと大きな音がして顔を上げた。
そこには、背中に大きな銀色の翼が生えた一ノ瀬さんの姿があった。俺は思わず感嘆の声を上げる。こんなに綺麗なものは見た事がない。
そこである事に気付き、慌てて自分の部屋へ行った。大事に引き出しに仕舞っていたそれを掴むと、再び玄関へと駆け戻る。
俺は手に持つそれを、一ノ瀬さんの翼に当てた。そして思わず「同じだ」と呟いた。俺が大事に持っていた羽根は、天狗だという一ノ瀬さんの翼だったんだ。
俺が翼に見惚れてる間に、2人が話してると思ったら、おもむろに一ノ瀬さんが翼を掴んだ。『めりっ…』と恐ろしい音が聞こえて、俺は慌てて彼の腕にしがみ付いて叫ぶ。
「俺にかけた術って何?よくわからないけど、俺は、別に困ってないよ。そんな事の為に、自分の身体を傷付けないでよっ」
そう言うと、一ノ瀬さんがとても傷付いた顔をして、俺を強く抱きしめてきた。
「そんな事じゃない、大事な事だっ。頼むから、思い出してくれ。どうか、おまえだけの呼び方で俺を呼んでくれ…っ」
俺の耳の傍で絞り出す彼の悲痛な声に、俺を抱きしめる力強い腕と温もりに、彼の匂いに、俺は恍惚となって目を閉じた。
俺を抱き留める胸から響く心音に混じって、どこか遠くから、微かな泣き声が聞こえてきた。脳裏に浮かんだ泣いている小さい子供の姿………あれは、俺?
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