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第134話 壊れる心
綺麗な人は扇子を取り出して、とんとんと自身の掌を叩く。
「さて、おまえと天狗族との中を取り持ってやりたい所だが、妖狐ならまだしも、天狗族には介入出来ぬ。だが、私はおまえに興味があるし何とかしてやりたいとも思う。…おまえが天狗と交わしたという契約の印、愛する天狗が戻らぬ時は、その呪印がおまえを苦しめるだろう。もしも、どうにもならぬ時は私の所へ来い。呪印を消してやる」
「え…、これは消せないって聞いたんですけど…」
「私を何だと思っておる。神の使いだぞ。私は滅多に人に姿を見せぬが、どうしてもの時は来い。もう一度、姿を見せてやる。だが、出来れば天狗との愛を全うする所を見たい。なんとか乗り越えてみせろ。ふふ、久々に楽しみが出来たわ。じゃあの」
そう言った瞬間、ふっと綺麗な人の姿が消えた。
ーーほんとに神使なんだ…。てか、あの人…いやあの神様、すごい自己中じゃなかった?まあでも…ただの暇潰しなのかもしれないけど、ちょっとだけ勇気をもらった気がする。
俺はすぐに、人に見つからないようにそっと社を出る。もう倉橋に会う気は無くなって、帰る事にした。鳥居を出る時に振り向いて深くお辞儀をすると、柔らかい風が吹いて、ふわりと俺の頰を撫でた。
3学期が始まった。
俺は何もする気力がなかったけど、学校を休むわけにはいかないから、怠い身体を動かして家を出る。
俺を心配した清忠が、家の前まで迎えに来ていた。
「おはよう凛ちゃん。大丈夫?」
「…おはよ…。大丈夫だよ…」
俺の肩に手を置き、顔を覗き込む清忠に笑ってみせる。
きっと、上手く笑えてはいないだろうけど、俺は元気なふりをして、すたすたと歩き出した。
短い睡眠を繰り返すだけの夜。朝になると、怠い身体を無理に動かして学校へ行く。学校では、顔に笑顔を貼り付けて友達と接する。そして、家まで送ってくれた清忠に「大丈夫だよ、ありがと」と手を振って別れる。
そんな日を1週間繰り返した週末、清忠が宗忠さんを連れて家に来た。
清忠の声に警戒もせず玄関扉を開けた。宗忠さんの姿を目にした俺は、心臓を大きく跳ねさせて固まってしまう。
「あ……」
「凛ちゃん、突然ごめんね…。兄さんが直接話したいって言うから。あっ、大丈夫だよっ。兄さん、前の事、すごく反省してて、その事も謝りたいからって」
「そうだ…、あの時はすまなかった。俺はどうかしてたんだ。もう絶対にひどい事はしない。許せとは言わないが、少し、話をさせてもらえないだろうか…?」
宗忠さんが、まっすぐ俺を見た後に、深く頭を下げた。
去年のあの時とは別人のような柔らかい雰囲気に、俺の警戒心が少しだけ緩む。
それに、わざわざ俺の所にまで来て話したい事って何なのか気になって、俺は2人を家に上げた。
「あの…話ってなんですか…?」
居間のコタツに座り、俺はまだ少し怯えながら小さく声を出す。
清忠が俺の隣に座って、なだめるように背中を撫でた。
「ああ…、清忠から聞いたのだが、あの天狗が帰って来ないんだろ?俺はね、本当に君にした事を反省してるんだよ。その償いではないけど、俺の知り合いの天狗に、今、天狗の郷では何が起こってるのか聞いてみたんだが…」
そこで言葉を切り、宗忠さんは目線を落とした。
隣では、清忠が俺の肩を強く抱いてくる。
2人の様子に、俺の心臓がどきどきと早鐘を打ち始めた。
「な、何があるんですか?早くっ、教えて下さい…っ」
「天狗の郷では…次期当主の、花嫁が決まったらしい…。春には、婚儀を行うそうだ。次期当主とは、あいつの事だろ?」
「は、はなよめ?」
「凛ちゃん…」
俺の心臓がばくばくとうるさい。このまま、早く動き過ぎて、壊れてしまうんじゃないだろうか。
頭の中では『はなよめ』という言葉がぐるぐると回っていた。
ーーえ?はなよめ?はなよめって、何だっけ…。はなよめって…。『凛、俺の花嫁になれ』って、銀ちゃんが俺に言ってくれた…。銀ちゃんの…お嫁さん?
俺はひゅっと強く息を吸い込む。
心臓が、一瞬、止まった気がした。
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