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第154話 鉄side
明け方の薄暗闇の中、凛の家の庭に降り立った。耳をすますと、しろが使っていた部屋から静かな寝息が聞こえてきた。とりあえず、凛が無事なことにほっと胸を撫で下ろす。僕は、そっと屋根に飛び乗って、しばらく凛の寝息を聞いていた。
20分ほど経った頃に、凛の起き出す気配に気が付いて、屋根から窓を覗いた。ゆっくりとカーテンが引かれて凛の顔が現れる。小さく窓を開けて、外の雪景色を見ている。
久しぶりに見た凛は、少し、顔まわりがほっそりとして痩せた気がする。しかも、顔色も青白くてとても悪い。その姿に、僕の胸がじくじくと痛んだ。
とりあえず気になっていた凛の姿を見れたことだし、帰ろうと静かに翼を開いた…つもりだった。思った以上に大きな音を立ててしまい、慌ててその場から飛び去る。振り向くと、凛が薄着のまま家から飛び出していた。
ーーまさかあいつ、あのまま追いかけて来ないよな…。
そのまさかと思った通り、凛が必死で追いかけて来た。薄着な上に裸足で靴を履いている。でも、そのうち寒くて帰るだろうと思い、後ろを気にしつつも飛び続けた。
だけど、凛はどこまでも付いて来る。早く諦めて帰ればいいのに、凛は結界を越えて天狗の領域内にまで入って来た。
全身びしょ濡れで、鼻や頰を赤く染めて、はあはあと肩で息を切らせて、凛はどこまでも付いて来る。そこまでするのはたぶん、ただただ、しろに会いたい一心だろう。
僕は『もうやめろ』と言いたかった。『もうしろは諦めて、僕を見てくれ』と。
そう……僕は、やっとわかった。僕が好きなのは、しろではなく、凛だったんだ。いつから?と聞かれれば、きっと、初めて凛に会ったその時から。しろしか見てない凛が、憎らしかった。凛に愛されてるしろが、羨ましかった。僕は、自分の気持ちを履き違えてたんだ。
凛に会うまでは、確かにしろが好きだった。ずっとしろの傍にいて、誰よりも一番力になりたいと思っていた。でも、しろへのそれは、決して僕が手にする事の出来ない圧倒的な力を持つ者への、強い憧れだったんだ。だって、僕はしろを抱きしめたいと思った事は、一度もない。
でも、凛は違う。僕はずっと凛の事ばかり考えて、胸がむかむかして、しろを慕う凛を虐めたくなって、でもそれは、ただ憎いからだと思っていた。だけど、違った。僕は、憎い気持ちの裏側に愛おしい気持ちが潜んでいる事に気付いてなかった。
好きだと認めてしまうと、凛に触れたくなった。抱きしめたくなった。胸が苦しくなるような愛おしさが溢れて堪らなくなった。
はっきりと自分の気持ちを認めた所で、凛を見る。もうそんな辛い顔をさせたくない。凍える身体を温めてあげたい。震える身体を強く抱きしめたい。
だけど、僕にそんな事をする資格はない。凛をここまで追い詰めたのは、僕自身なのだから。
でも、一度認めてしまったら、もう溢れる気持ちを抑える事なんて出来そうになかった。
僕が、凛を止めようと降下しかけた瞬間、凛が雪に足を滑らせて斜面を滑り落ち、崖から放り出された。
僕は素早く飛んで凛の身体を抱き留める。凛の身体がとても華奢であまりにも軽いのに驚いた。そして、腕の中に凛がいる事が嬉しくて、抱きしめる腕に力を込めた。
凛が腕の中で「ぎ、んちゃん…?」と震える声を絞り出す。
今からきっと、僕は絶望する凛の顔を見る事になるのだろう。
地面に降り立ち、ゆっくりと振り向いた凛は、僕を見て悲痛な叫びを上げた。
ーーああ…、そんな顔をさせたくないのに…。ごめん。僕は今からもっとひどい事を告げなければならない…。
僕の胸にしがみ付き、荒い息を吐いて、凛がとても苦しそうにしろの結婚の話を聞いてきた。
僕は、事実であると伝える。
それを聞いた凛の顔は青ざめ、呼吸も早くなって意識を失ってしまった。
僕は、凛が不憫で、可哀想で、そして愛しくて、力を失った身体を強く抱きしめた。
ーーああ…愛しい人を抱きしめるのは、こんなにも満たされた気持ちになるものなのか…。
凛を胸にかき抱き、首筋に顔を埋める。凛からは、とても甘くいい匂いがした。
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