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第189話 幸福

倉橋が清忠の背中を押して、強引に歩かせて進む後ろを俺は付いて行った。 先に2人が鳥居をくぐり、長い階段をゆっくりと降りて行く。俺も鳥居をくぐろうとした所で、神使に声をかけられた。 「人の子…いや、椹木と言ったか。おまえの愛しい天狗に触れた事、まことに悪かったな。それと、おまえに関して一つ、気になる事がある。初めはただのおまえの体臭かと思って気にはしていなかったのだが…。おまえ、天狗や他の妖らに、何か甘い匂いがすると言われた事はないか?」 「匂い…?…あ、そういえば、何度か言われました。俺、甘い物が好きだからその匂いかなぁと思ってたんですけど…」 「いや、そうではない。確かにおまえの身体から甘い匂いがする。私には、ただの匂いとしか思えぬが、妖らには、もしかすると何か意味があるのかも知れぬ。天狗は何も言ってはいないのか?」 「はい。ただ、いい匂いだ、って言うだけです」 「そうか…。私は結構長い間ここにいるが、おまえみたいな匂いがする人間は初めて見た。特別な理由があると思うのだが…。この先、用心した方が良いぞ。天狗にも注意するように言っておけ」 「わかりました…。気に掛けて頂いて、ありがとうございます」 「ふふ、良い。私はおまえに興味があると言っただろう。それに、蒼の友達でもあるしな。気をつけて帰れ」 それだけ言うと、ふっと姿を消す。俺は一度深くお辞儀をしてから、2人を追い掛けて階段を駆け下りていった。 あの後、口数の少ない清忠と駅で別れて家に帰った。 晩ご飯とお風呂を済ませてから、俺は銀ちゃんの膝の上で寛いでいた。 銀ちゃんが背後から俺を抱きしめて、いつものように首筋に顔を寄せてすんすんと嗅ぐ。「甘い…」と呟いたので、昼間に神使に言われた事を思い出して聞いてみる。 「銀ちゃん…、俺ってなんか匂いがするの?」 「ん?ああ、とても甘くいい匂いがする…」 「それって、他の人も匂う?」 「いや…、おまえ以外の人間から、こんな甘い匂いはした事ないな」 「そう…。あのさ…、今日、神使様に言われたんだけど、神使様も俺以外にこんな匂いがする人間は知らないって。何か理由があるのかも知れないから気をつけろ、って…」 「ふむ…、確かに。凛だけが匂うというのも、気になるな。それに、俺の両親も浅葱も鉄も、おまえから甘くいい匂いがすると言っていた。清忠もそうだろう」 「うん…。あ、あと、心隠さんにも言われたことある。やっぱり何かあるのかなぁ。俺、どうしたらいい?」 不安になって、眉尻を下げて銀ちゃんを見上げる。 銀ちゃんは、俺の頰をするりと撫でて、ちゅっと口付けた。 「心配するな。何があっても俺が守る。それに、ただ単に、おまえが甘い体臭をしてるだけかもしれない。ほら、源氏物語にもそういう奴がいただろう?」 「え〜…。それって、作り話だし…」 「まあそうだけどな。何にしろ、俺はおまえの匂いも大好きなんだ。他の奴らも嗅いだ事があるっていうのが気に入らないが…」 「俺も銀ちゃんの匂い大好きだよ」 「ふふ、そうだな。可愛いやつ…」 顎をすくわれて激しく唇を貪られる。キスをしながら抱き抱えられて銀ちゃんの部屋へ行き、布団にそっと降ろされた。 ーーもう…、神使様が脅かすから心配し過ぎちゃったじゃん…。きっと俺の体臭が、たまたま甘い匂いに似てるだけだよ。それか、ほんとに甘い物の食べ過ぎて、そんな匂いが出てるのかなぁ? 身体中に銀ちゃんのキスと愛撫を受けながら、俺は昼間の不安を打ち消すように、銀ちゃんとの愛しい行為に没頭していった。

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