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*** 「……兄さん、おかえりなさい」 「……おう」  先ほどホルストと情を交わした部屋とは違う寝室で、少年は眠りに就こうとしていた。そのとき、部屋に一人の青年が入ってくる。彼は少し荷物を抱えていて、着ている服は少量の血で汚れている。 「おまえ飯食ったの」 「……うん、食べたよ」 「……何食った」 「……パン」 「どんくらい」 「……一個……小さいやつ」 「……ッチ」  青年の名前は、ヘンゼル。少年の兄だ。ヘンゼルは少年の言葉を聞いて舌打ちをしたかと思うと、荷物の中から小さな包をとりだして少年に投げる。少年が慌ててそれを受け取って袋をあけると、中には燻製肉(くんせいにく)が入っていた。 「……兄さん、これ、どうしたの」 「……あー……まあ、町で」 「……盗んだの?」 「……そうだけど」 「……じゃあ、いいよ、これ……食べれない」  少年はどこか物憂げにそれを突き返す。腹が空いているのは確かなのだが、盗んだものとわかるとそれは受け取れない。包を突き返されてヘンゼルはあからさまに不機嫌そうな顔をした。奪うように乱暴に少年の手から包をとって、再び荷物のなかにしまう。 「おまえさぁ、そのうち死ぬんじゃねーの」 「死なないよ……こうして今までちゃんと生きてこれたんだし」 「そーやってキモいジジィに身体売って? おまえが稼いだ金なんてほんのちょっとしかおまえに回ってこないんだぜ? 殆どあいつらが使っちまう」  あいつら、と言いながらヘンゼルは父親と母親のいる寝室の方向をちらりと見た。  少年とヘンゼルの両親は貧困に喘いでいた。二人とも働いてはいるのだが、父親のほうがギャンブラーなこともありなかなか今の状況を脱することができない。そのため、少年に身体を売らせて金を稼ぎ始めた。  ヘンゼルも一度強要されたが、やらなかった。男を相手に売春するなど、彼のプライドが許さない。そうやって言うことを聞かなかったためかヘンゼルと両親はほぼ絶縁状態で、口も聞かなければ顔も合わせない。日中ヘンゼルは街へ出て、両親が床に就いた頃に返ってくる。 「理解できねーわ。あんな奴らのためによく身体を売れるよな」 「……べつに、二人のためにそういうことしてるんじゃないよ」 「あ?」 「……僕自身が生きるため。こうやっていれば二人は最低限の世話をしてくれるでしょう」 「……生きたいなら俺についてこいよ。身体なんか売らなくたって生きる方法を教えてやる」 「それはいい」  少年は血に濡れたヘンゼルの服を見つめる。彼が言わんとしていることはすぐにわかった。彼が言う「生きる方法」とは、他人を踏みつけて生きていく方法だ。食料も金も盗んで、時には暴力をふるうことも辞さない。 「僕は……兄さんのようにするくらいなら、身体を売ったほうがマシだから」 「……おまえ、前に言ってたっけ。他人を傷つけて生きるくらいなら、自分が傷ついて生きるほうがいい、みたいなこと」 「……わかっているならいいでしょう。僕は兄さんにはついていかない」 「……ますますわかんねぇ。そんな辛い想いするくらいなら生きる意味あんのかよ。生きるために辛い想いなんてしたくない。おまえなんのために生きてるんだよ、ジジィ共にケツふるためか」 「……五月蝿い。兄さんこそ他人を押しのけて生きてなにが残るっていうんだ。僕だって兄さんの考えが理解できない」 「ハッ……そうやって自己犠牲に耽ってればいいよお前は。俺はぜってぇやだね、男に股開くなんて……気持ちワリィ」  ヘンゼルはジャケットを脱ぎハンガーに掛ける。ホルダーから銃やナイフを抜いて棚に置き、盗んできたものが入っているだろう荷物を床に置いた。 「……シャワー浴びてくる」 「……うん」  ヘンゼルと少年は同じ部屋、同じベッドで寝ている。理由は単純で二人分の部屋もベッドも用意できなかったから、なのだが、このとおり仲の悪い兄弟はそのせいで就寝の時間までも十分に休むことができなかった。顔を合わせれば口喧嘩、布団に入れば何が何でも背中合わせ。はっきり言ってお互いがお互いを、嫌いだった。

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