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ほんとわけわかんねぇ。
ヘンゼルは眉をひそめ、椛を見下ろした。潤んだ瞳、朱に染まる頬。唇から発せられた望みは本物だと、その表情が示している。
「兄さん……はやく……」
「……はいはい」
ぐずぐずと泣きながら請われて、なんというか情を動かされて。まるで苛めているかのような心地に陥って、ヘンゼルはそれが嫌で、やれやれと椛に口付けた。
「んっ……んん……!」
椛が、嬉しそうに鼻から抜けるような声をだす。ヘンゼルの首に腕を回して、そっと抱きしめてきた。
「……」
ぎゅうっ、と指がなかで締め付けられる。びくびくとしなった身体、腕に込められた力。ようやく、椛がイったようだった。
「はぁ、……、っ、あ」
椛がヘンゼルのシャツを掴みながら荒く呼吸する。そのあまりにも苦しそうな様子に思わず抱きしめてやったものの、彼への疑惑が解けたわけではない。彼が突然態度を変えてきた理由は、いくらヘンゼルが思案したところでわかるわけもなかったのだ。
「……おまえさぁ……何考えてるの? 俺のことなんだと思っているわけ?」
「……兄さん……兄さんも、僕と、一緒だなって……そう思うんだ」
「はい?」
「僕が仕方なく体を売るのと同じ。兄さんも、好きで盗んだりしているわけじゃない」
椛がヘンゼルの手をとって、するりと指を重ねる。そして、ナイフや銃を使っているわりには綺麗なその指を、そっと頬にすり寄せた。
「……こんなに、優しく触れることができるんだもん」
「……あのですね、さっきも言いましたけど、」
「僕は兄さんが他の人を傷つけて生きていることが嫌で、兄さんのことが嫌いだったから……ちょっとからかってやろうって思って、誘ったんだ。……でも、こんなに優しくされてびっくりした。兄さんは僕に触りたくないからだって、そう言うでしょう。それでも……兄さんは優しい人。そうじゃなければ、あんなふうに人を触れない」
「……」
何を、分かった風に。そうは思ったが、その穏やかな表情に文句は口からでてこない。椛は安心しきったようにヘンゼルに身を任せ、背に腕を回してくる。
「……兄さんのやっていることに賛同したわけじゃないよ。僕は人を傷つけなくない。……でもちょっと、兄さんのことを誤解していたかなって」
「今まさに誤解してるだろ、俺は別におまえに優しくした覚えもないし、自分の行いが間違っていることくらいわかっている。俺がやっていることは避けようと思えば避けられること、ただ俺が自分が傷つくのが怖くてそれを選んでいるだけ」
「……じゃあ、聞いていい? 兄さんは、誰かを傷つける時、辛い?」
椛がヘンゼルを見上げて、聞いてくる。純粋な黒い瞳はきらきらとしていて、本当にこの少年が淫売をしているのかと疑いたくなるほど。
「……昔は……怖かった。でももう慣れた」
「……僕といっしょだね」
「は?」
「……汚い男に身体を触られるのがいやでいやで仕方なかったのにもう、この身体が淫乱になって……誰に触られてもよがるようになった僕と」
「……」
「……兄さん、僕たちは兄弟だ。……やっぱり、似ている。そして、離れることなんて、きっとできない」
違う、そう言えなかったのはなぜだろう。あまりにも椛が淡々として言ったからだろうか。似ているなんて、こじつけじゃないか。根本的な理念からして違うというのに。
「……ねろ!」
「……わ」
怖い、と思った。このまま椛の言葉を聞いていたら飲み込まれそうになったのだ。反射的にヘンゼルは椛を突き飛ばしていた。
ぼふ、とまぬけな音をたてて椛が布団の上にたたきつけられる。びっくりした顔で見つめられて、ヘンゼルはふいっと顔を逸らす。
「そうだよ俺達は兄弟だ、縁をきることなんてできやしない。だから、今までどおり距離をおくのがいいと思う、俺とおまえはどうしたって分かり合えないんだから」
「……兄さん、」
「もうこういうことはコレっきりだ、ヤりたいならいくらでも相手いるんだろ、俺にあたらないでくれ」
ヘンゼルは椛に背を向けて布団をかぶった。後ろから、小さく「兄さん」と呼ばれたような気がしたが、それは無視した。やがて、椛も諦めたように布団に入ってくる。
「……!」
後ろから、そっと抱きしめられる。どくりと鳴った心臓の音は聞かなかったことにした。目を閉じ、夢の世界にいけと自分に言い聞かせる。
「……、」
しずかな、寝息が聞こえてきた。人をここまで動揺させておいて勝手な、とイラッとしたが、その安心したような寝息にどこかほっとする。さっきは一人で泣いていたから。彼の中の苦しみとか、辛さとか、そういったものが少しでもなくなったのかと思うと、素直に嬉しい。
「……おやすみ、椛」
きゅ、とシャツを胸元で握られる。その手を、軽く撫でてやった。
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