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「……ッ」  息が止まったかと思った――ヴィクトールは一瞬思考が停止する。視界いっぱいに広がるヘンゼルの悩ましげな顔、唇に灯る仄かな熱。しゃくりをあげながら触れるだけのキスを繰り返すヘンゼルは、なにか間違いを起こしているのではないだろうか。それくらいに、ヴィクトールにとってヘンゼルからのキスは衝撃的だった。  ヘンゼルが自分の悪へ抱いている嫌悪感は十分に理解している、だからヴィクトールはこれ以上ヘンゼルへ言葉を強要はできなかった。むしろこんなにも秘めやかで狂おしい想いを、キスという形でぶつけてきたことにとてつもない歓びを覚えた。彼にとって、この恋心を認めてしまうことは破滅への一歩となるのだろう。それでも彼はここへ堕ちてきた。ヴィクトールのなかでヘンゼルへの愛おしさは沸々と募っていき、恋情の炎は胸の内を焼きつくす。 「んんっ……」  ヘンゼルの後頭部を掴みキスを深めると、ヘンゼルは嘆くような歓ぶような、そんな声をあげる。止まらない嗚咽のために荒い呼吸がヴィクトールをさらに煽る。このまま食らってしまうかのような勢いで、唾液が伝い落ちるのも気にせず舌を絡め激しくまぐわらせ、求め合う。お互いの熱が蒸気のようになって、顔全体が熱くてたまらない。ヘンゼルの瞳から落ちる涙、肌から吹き出る汗、唇から溢れる唾液、生々しいほどに湿っぽいキスにひどく長い間夢中になっていた。 「あっ……!」  唇を重ねながらヘンゼルのシャツの中に手を差し入れ背中を撫でると、その身体がびくんと撓る。理性と純潔という白い羽が折れたそこは、いったいどんな心地なのだろう。堕天した天使は地獄へ堕ちて、闇を糧として生きてゆく。羽のもげた痕のような肩甲骨が性感帯だった彼は、きっとこの運命を歩むと啓示を受けていたのかもしれない。 「はっ……ぁ、」 「あッ……!」  背中を撫でられ快楽に喘ぎながら、ヘンゼルはヴィクトールの下腹部へ手をのばす。それは予想外の攻撃で、全く構えていなかったヴィクトールは思わず声を漏らしてしまった。まさか、ヘンゼルからそうしたことをしてくるとは思っていなかった。驚きに息をつまらせてヘンゼルの手を凝視するヴィクトールを、ヘンゼルはどろりとした眼差しで睨み上げる。 「手、休めんなよ……」 「えっ……」 「もっと、俺の身体、触れ……」  切羽詰まったように発せられたその言葉にヴィクトールはくらりと目眩を覚える。自分をどんどん暗がりへ追い詰めてゆくように積極的に誘いかけるヘンゼルは、どこか危うく、それでいて妖艶。もう戻れないのだと罪悪感に貫かれた心が、ヘンゼルをそうしているのだった。ヴィクトールのものをジッパーを下げて掴み、ゆるゆると手の平を上下させ刺激する。未だに涙を流しながらそうして男根をその手に掴んでいる姿は、倒錯的な卑猥さと美しさをもっていた。ヴィクトールはヘンゼルの言葉と色香に逆らうことができず、その背中をいやらしくなであげる。そうすればヘンゼルの身体は肌をヴィクトールに擦りつけるようにゆらゆらと揺れる。 「あっ……ヴィクトール……、ん、ぁッ……」 「ヘンゼルくん……」  自分から責めてくるということがなかったヘンゼルの奉仕に、ヴィクトールのものは情けなくもあっさりと勃ってしまった。うつむき、伏し目がちにそれを確認するヘンゼルの睫毛は汗と涙に濡れ月光に反射しきらきらと光っている。上気した頬と濡れ額に張り付いた前髪の相乗効果でそれは壮絶な色気を放ち、ヴィクトールは目を白黒させヘンゼルの身体を撫でる手が止まってしまう。 「……早いじゃん、ヴィクトール」 「……おかげさまで」 「大して触ってもいないのに……ヴィクトール、そんなに俺のこと、好き?」 「……ヘンゼル、くん」  はあ、とヘンゼルが熱い吐息を吐く。そして身体を起こすと、じっとヴィクトールを見下ろした。答えを煽るように静かに笑う。初めてみたその表情に、ヴィクトールは陥落した。全てを諦めたような、喪失感に満ちたその笑みは、砕け散った硝子のように綺麗だった。 「……好き、だよ……おかしくなっちゃうくらい」 「……そっか」  引きずられるように出てきた告白に、ヘンゼルはヘラっと微笑む。そして、ゆっくりと自らの手を口元にもってきて、指を舐め、ぽろりと一言、言う。 「……悪党のくせに」  おまえも一緒に堕ちていこうじゃないか、そんな口説き文句のようだった。蔑みのようでいて、そうじゃない。切なげに絶望的に、嬉しそうに言ったその言葉の歪みが、ヴィクトールにはひどく甘く感じた。  口に含んだ指に、唾液を絡ませる。くちゅ、と響いた水音がやけに大きくきこえる。ヘンゼルの全ての動作が、ヴィクトールを魅了してやまなかった。 「……俺は、弟をここから連れだすよ。そのために、ここにいる」 「……」 「すべてが血に濡れて、真っ黒な、悪夢みたいなここから……弟は絶対に救い出す。たったひとりの家族なんだ、大切な弟だ……でも」  あっ、と小さな声がヘンゼルの唇から漏れる。眉を寄せて、目を閉じて……ヘンゼルは自らの指を後孔へ挿入した。 「ここにいる間は……(トロイメライ)をみせてくれよ。世間を忘れて、おまえに、堕ちていきたい」

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