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今日も変わらず雑用、ヘンゼルはそろそろ文句も覚えなくなってきた。本日は施設内の清掃という、いかにも雑用といった作業だ。これくらいのほうが気が楽でいい、この施設の人達はどこか頭のネジが飛んでいて、関わりたくないというのがヘンゼルの本音である。
施設の地下にある、ドールの収容部屋の廊下。どことなく埃臭いそこを、ヘンゼルは黙々とモップがけする。しかし、あまり集中はできなかった。廊下に面してずらりと部屋の扉が並んでいて、そのどこかに椛がいる(日中、ドールたちが部屋にいるのかは定かではないが)と考えるとどうしても気になってしまう。ただ、気になったところで、外からかけるタイプの鍵がかけてある扉は鍵を持っていないため開けられないし、絶対に開けるなと命じられている。ショーのときに出会った「C」のような危ない者もいるのかと思うと、やはりここには触れないでおこう、そんな気になる。
「はぁ……」
一人で単調な作業をしていると、どうしても考え事をしてしまう。ヘンゼルの頭の中は、先日椛に抱かれたことでいっぱいだった。あんな風にみっともなく感じている姿を見せてしまったあとでは、兄として恥ずかしくて顔を合わせられないし……なにより、あんなに感じてしまったことが不思議でしょうがない。
神様はやっぱりいるのか……悪事をはたらく男よりも弟のことだけを考えろと啓示をくれたのかもしれない。それとも、この世界自体がつくりもので全部筋書きが決まっていて。それに逆らおうとしたからあんな無理矢理な軌道修正を……
「くっだらねぇ……」
随分と自分も妄想が達者になったな、と思ってヘンゼルは苦笑した。そのとき。
「……?」
なにか、物音が聞こえる。それは廊下の奥からのようだ。ヘンゼルは恐る恐る音が聞こえるところまで近付いてゆく。
「……!」
音は、「C」と書いてある扉から聞こえているようだった。あの危ないドールのことを思い出し、さっと血の気が引いたのを覚える。扉の内側から、ドン、ドン、と勢い良く扉を叩くような音がする。何かがヤバイ、そんな気がして急に怖くなったが、なぜだかヘンゼルは動けなかった。様子がおかしいと誰かに報告しにいかなければいけないのに、今ここでこの扉に背を向けることのほうが恐ろしいと感じるほどに、その音は狂気染みている。
やがて、ミシ、と扉が軋む音がして、そして……
「――ッ!?」
激しい音と共に扉が破壊され、中から数人の少年が飛び出てきた。
バタバタと勢い余って折り重なるように数人の少年が倒れこむ。恐らく彼らが数人がかりでこの外から鍵をかける扉に内側から突進して破壊したのだろう。騒然とした光景に固まるヘンゼルを、少年達が目に留め、慌てたように言う。
「やばい、団員……!?」
「なんでこの時間に!?」
脱走でもしようとしたのだろうか、首と手足についた拘束具に付いている鎖は途中から千切れている。ヘンゼルはどうしたものかとたじろぐしかなかった。彼らが脱走すれば大騒ぎになることは間違いないため報告したほうがいい、かといって別に自分はトロイメライの見方というわけでもない。
「……あれ、きみヘンゼルくんじゃない?」
「え……」
ヘンゼルが迷っているところに、一人の少年が話しかけてきた。恐る恐る声のした先を見遣れば――部屋の奥に、一人の少年。あの、ショーで出会った危なっかしい少年がいた。
「奇遇だね、こんなところで……探す手間が省けたよ」
「……手間?」
少年はヘンゼルをみつめ、ふふ、と笑う。そして、パンパンと手を叩いて、部屋にいる全ての少年達に仰々しく演技かかった口調で言う。
「やあやあキミたち! 喜べ、そこにいるのは我らが仇敵――ヴィクトールの「大切な恋人」、ヘンゼルだ」
――全身が粟立つとはこのことを言うのか。
少年がそう言うやいなや、部屋にいた十数名の少年たちが、一斉にヘンゼルを見つめたのだ。その瞳はまるで眼窩のように表情はなく、ただ少年たちはじっとヘンゼルを見つめる。空気が張り詰めている。ヘンゼルの鼓動はなぜかバクバクと高鳴ってゆく。
「……ヘンゼル」
誰かが、ぼそりとヘンゼルの名を発した。そうすると、ピアノ線がプツンと切れ全体の空気が弛んだように、少年たちが口々にヘンゼルの名を口にし始める。
「ヴィクトールの」
「大切な人」
「にっくいヴィクトールの」
「――ヘンゼル」
「――ッ!」
あまりの恐怖に腰が抜ける。少年たちが急に立ち上がったかと思うと、ヘンゼルに掴みかかってきたのだった。何が起こっているのかわからない、頭が真っ白になって「逃げろ」と体に信号を出すことすらできない、脚が固まって動くこともできず、ヘンゼルはあっさりと少年たちに捕まってしまう。捕まってから意識が覚醒してももう遅い、少年たちがいくら矮躯であろうと力がなかろうと、数人がかりで拘束されてしまえば抵抗はできない。ヘンゼルはそのままずるずると部屋に連れ込まれ、破壊された扉は半ば無理やり閉められた。
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