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地下二階はまだ煙も届いていないらしく、整然としていた。ヘンゼルには地下二階全体の清掃を頼んでいたため、彼が現在どこにいるのかヴィクトールにははっきりとわからなかった。もしかしたらドールの脱走の騒ぎに混じって既に脱出した可能性だってある。それでも一応フロア全体を確認しておかなければ、不安は拭えない。
階段を降りると、まずは道具を奥倉庫や休憩室などが並び、続いてドールの収容室、そして一番奥にドクターのいる研究室がある。念のため全ての扉を開けていくが、中には誰もいない。次々と人の有無を確認し、ヴィクトールはドールの収容室まで辿り着く。
「……」
やはり、とは思っていたが全ての扉が鍵をはずされ開いていた。これはドールの犯行で決まりだとヴィクトールはため息をつく。「A」の部屋から順番に中を覗いていき、誰もいないことを確認すると足早に研究室にむかって歩く。ドクターもできれば火事に気づき既に逃げていてくれたら嬉しい、そんなことを思いながら最後の「C」の部屋を覗いていたとき。ヴィクトールの脚がとまる。
「……!」
中に、人がいる。まず、ひとつのベッドに、一人「C」の少年が座っている。そして、部屋の真ん中に、何かの液体まみれになった裸の青年が倒れている。うつ伏せになっているため、顔は見えない。
「……いらっしゃい、ヴィクトール。くると思っていたよ」
抑揚のない声に、ヴィクトールは唾を呑む。恐る恐る部屋に足を踏み入れると、異臭が鼻をつく。いつもこの「C」の部屋だけはなにかツンと嫌な臭いがしたのだが、今この部屋に充満している臭いはそれとは違う。生臭い……。
「油断していたでしょう。ドールが脱走するとは夢にも思わなかったみたいだね」
「……君たちは鎖で拘束していたはずだけど……どうやって」
「鎖に毎日尿をかけて、腐らせていた。全員の鎖が脆くなったところで、タイミングを合わせて破壊して、今日に至ったんだよ」
「……この部屋からした異臭はそれが原因か」
ちぎられた鎖をみて、ヴィクトールは舌打ちをする。が、ドールの脱走方法は知ったところで正直どうでもいい。気がかりなのは、部屋の中心に倒れている青年。見るからに複数人に強姦された様子の彼の背中に、見覚えがある。しかし、「彼」だと信じたくない。「彼」であると知りたくなくて、確認ができない。
「何そんなところに突っ立っているの、ヴィクトール。はやく「彼」を抱き上げてやらなくていいの?」
「……まさか、」
「ヘンゼルくん……犯されているとき、ずっとヴィクトールの名前呼んでいたよ?」
「――!」
くらりと視界が歪む。疑惑が確信へと変わった瞬間、頭のなかが真っ白になった。ヴィクトールは慌てて青年のもとへ駆け寄り、服が汚れるのも省みずに抱き寄せる。
「……ヘンゼル……くん……?」
青年は、間違いなく――ヴィクトールの愛する人、ヘンゼルだった。目を泣き腫らし、ぐったりと意識を失っている。
「ヴィクトール、ねえ、ヘンゼルくんのお腹とお尻の穴、みてみてよ」
「……」
少年の声に、思わず視線は動いてしまう。下腹部がどこか膨らんでいて、そして内ももに白濁液が伝っている。ヘンゼルがここで何をされたのか、その痕が、はっきりと示されている。
「ここにいたドール17人……全員の精液をそのお腹にぶちこんじゃった。もうお腹ぱんぱんでさァ……チンコぬくとすぐに穴から精液飛び出してくんのね。女だったら確実に孕んでいたねぇ、これ。よかったね、ヘンゼルくんが男で」
17人……その全員にヘンゼルは犯されたのか。もはや嘘としか思えないような人数に、ヴィクトールは信じることができなかった。いや、信じたくなかった。輪姦されているヘンゼルのことを考えると、あまりの悔しさと哀しみに、吐き気すらも覚える。
「なんで……ヘンゼルくんを、こんな……」
「……なんで? なんでって言った? ブッハ、笑わせないでよ! おまえのせいだよヴィクトール!」
「……え」
「自分がやってきたこと、わかるよね? 何人の命と、何人の尊厳を奪ってきた? おまえの罪は深い、ただ死ぬだけでその罪が拭えるなんて思うなよ。俺たちが味わってきた哀しみの一部だけでも思い知れ。おまえが愛するそのヘンゼルを辱めたなら、おまえが嘆き悲しむだろうと思ってやったまでさ!」
「……ッ」
「――因果応報だ、ヴィクトール。罪もないそのヘンゼルがそんな目にあったのは、おまえという悪人に愛されたからさ。運が悪かったんだ、彼は。……おまえみたいな人の魂をもっていない悪魔に、人を愛する資格なんてなかったんだよ、この外道が!」
――何も、言い返せなかった。ヘンゼルを辱めた目の前の少年に殴りかかることもできない。少年の言っている言葉は、何一つ、間違っていないのだ。自分は人に恨まれて当然のことをやってきた。それの報いが、こうした形でかえってきた、それだけのことだ。
「……ヘンゼルくん」
悪人と恋に堕ちることが怖いと言ったヘンゼルを、強引に自分のもとへ引きずり込んだのは自分。きっと、自分に出逢わなければ――そうだ、ヘンゼルは弟・グレーテルと添い遂げることができたんじゃないか。こんな目に合わなかった、苦しまなかった。幸せになれたかもしれない。
大切な、大切なヘンゼルがこんな酷い目にあって、それが自分のせいで。ヴィクトールは絶望に打ちひしがれることしかできなかった。
「ははは、たまんない、その表情最高だよヴィクトール……! ざまあみろ! いいか、おまえは「被害者」なんかじゃない、ただの「罪人」! 「罪人」が断罪されただけだ、恨みを抱くことすらも赦されない! 何かを怨みたいっていうなら、自分を恨め、自分が生まれたことを後悔しろ!……ここから生きてでられると思うなよ、 大切な恋人を傷つけた哀しみを抱きながら、死ね!」
「……ッ」
がくりと項垂れるヴィクトールに、少年は罵声を浴びせかける。それでもヴィクトールはただヘンゼルを抱いて黙っていることしかできなかった。腫れて赤くなったヘンゼルの瞳に、胸が張り裂けそうになるくらいの悲しみを覚えた。
「……ああ、スッキリした。もう思い残すことはないや。もう火もだいぶまわっているんじゃない? 俺も外に出られる気はしないから。お先に逝っていようかな。おまえのその顔がみれて嬉しかったよ、ヴィクトール。じゃあね」
少年は静かに嗚咽をあげはじめたヴィクトールの前まで歩みよる。恐る恐るヴィクトールが顔をあげると、少年は手にメスを持っていた。研究室にあるものだ、どうやって手に入れたのか――それをヴィクトールが考える前に、少年はそれを自分の首元にもっていき……迷いなく、喉笛を掻っ切った。
すさまじい量の鮮血が、ヴィクトールとヘンゼルに振りかかる。ヴィクトールはヘンゼルが穢れないように覆いかぶさって、その血を一身に浴びた。血の雨だ。おまえの罪はこんなにも穢いのだと、そう言われているようだった。肉体が倒れる、重く鈍い音。気付けば少年は息をひきとっていた。
残されたヴィクトールは、一人涙を流し自分の罪の重さを思い知る。たしかに自分はいつの間にかトロイメライの団長という地位についていた。ヘンゼルの言葉も併せて考えると、もしかしたら自分の意思なんて関係なくて、勝手に決められた「役割」なのかもしれない。それでも、自分は間違いなくトロイメライの団長という役割をこなしていた。たくさんの人々の命と尊厳を奪ってきた。それに罪悪感を覚えることもなく。
自分のせいでヘンゼルはこんなにつらい目にあった。彼の側にいる権利なんて、もうないだろう。これ以上彼に辛い想いをしてほしくない。
「ごめんね……ごめんね、ヘンゼルくん」
せめて、彼を生きてここから出してあげなくては。ヴィクトールは、周囲に散る破かれたヘンゼルの服で彼の身体にこびりついた精液を拭きとってやり、そして、死んだ少年の服を剥いでヘンゼルに着せてやる。脱出の準備だ、はやくここを出て、彼に別れを告げるんだ。
ヴィクトールはヘンゼルを抱きかかえて、立ち上がろうとする――そのとき。
「……ヴィク、トール……?」
「……!?」
弱々しく、消え入りそうな声が、ヴィクトールの耳を掠める。慌ててヘンゼルへ目を向ければ、彼はぼんやりと目を開きヴィクトールを見上げていた。
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