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「ヘンゼルくん……!」
「……ヴィクトール……なんで、ここ、いんの……」
「……建物に火がつけられた、早くここを脱出しないと」
「……火? そう、じゃあ、俺も自分で立てる、から……」
声が震えた。ヘンゼルは、自分がなぜこんな目にあったのか知っているのだろうか。自分を抱く男のせいで輪姦されたと知っているのだろうか。
まるでなんでもないという風にヘンゼルがヴィクトールの腕から起き上がり、自らの力で立とうとする。ぼんやりとその様子を見ていたヴィクトールは、次の瞬間ヘンゼルが倒れこむのをみて、慌てて彼を抱きとめる。
「ヘンゼルくん……無理しないで、僕が連れて行くから……!」
「……」
「ヘンゼルくん……?」
「……う、」
ヴィクトールの腕に収まったヘンゼルは、ぽろりと一筋の涙を流すと、ヴィクトールの胸に顔をうずめて泣きだした。ヴィクトールに心配させたくなくて、気丈に振舞っていたのだろう。しかし、身体へのダメージは深刻なものだった。まともに立ち上がることすらできないほどに。ガラガラに枯れたその泣き声に、身が裂かれそうになった。
「……ヴィクトール、……ヴィクトール」
「……」
「……ありがとう、来てくれて……」
「――ッ」
ああ、やめてくれ。これ以上自分を信用しないでくれ。こんな悪党に心を許さないでくれ……!
誰のせいでこんなことになったと思っているんだ、ありがとうなんて……言わないでくれ。
「……ヘンゼルくん、ここを出たら、もう僕とは関わらないで」
ヴィクトールに抱かれ安心したとそんな表情をみせたヘンゼルに、ヴィクトールは酷く罪悪感を覚えた。きっと、彼は自分のせいでこんな目にあったと知らないんだ、だからこんな表情をできるに違いない。ヴィクトールはその想いから、冷たく言い放つ。
「……え」
当然のように、ヘンゼルはショックを受けたようで、顔をあげて目を瞠る。今までで見たことのないくらいに、絶望にその目は満ちていた。小さくあげていたしゃくりまで止まり、ヴィクトールの言葉がどれほどヘンゼルに衝撃を与えたのか――ヘンゼルは取り乱したように、ヴィクトールに掴みかかる。
「なんで……なんでそんなこと……! 俺が違う男に犯されたから!? 抵抗もできなかったから!? 違う男を相手に感じたから……!? ヴィクトール、なんで……なんで、」
「……ちがう、ヘンゼルくんは悪くない」
「ごめん、ヴィクトール、ごめんなさい……許して、本当にごめんなさい……お願いだから、俺を捨てないで……これからも、一緒にいたいから……」
「違う! 僕に君と一緒にいる資格がないからだよ!」
泣いて、何も悪いことをしていないのに謝って、それでも一緒にいさせてと請うヘンゼル。今のヴィクトールには、怨みつらみを吐かれるよりも苦しかった。これ以上ヘンゼルの口からその言葉を聞きたくなくて、今言うべきではないと思っていた言葉を叫んでしまう。
「……資格?」
「……ヘンゼルくん……君は、ここで酷いことをされたけど……それ、僕のせいなんだよ」
「……」
「僕が罪を犯してきたから……その恨みをはらすために、彼らが僕の大切な人である君を犯したんだ。きっと僕と一緒にいたら、君はまた同じ目にあうだろう。……もっと早く気付くべきだったんだ、僕みたいな男が君を愛する資格なんてないって」
なるべく辛いという気持ちを悟られないように、ヴィクトールは淡々と言葉を連ねた。ヘンゼルはそれをぽかんとした顔で聞いている。
ああ、驚いただろう。自分の苦しみの原因が、目の前にいる男だなんて。もういいから、愛想をつかしてくれ、これ以上君をつらい目に合わせたくない――
「……ああ、そんなこと」
「え?」
「知ってるよ、それは。あいつらが自分で言っていたから。その上で俺はおまえと一緒にいたいって言っているんだけど」
「……ヘンゼルくん……あのね、」
「っていうか、それなら尚更俺はおまえの側を離れるつもりはないよ。……俺がいたから、おまえが直接傷つかないですんだんでしょ。おまえの罪を、俺が被れるなら……嬉しい」
ヴィクトールは唖然と口を開く。涙を零しながらそう言って笑うヘンゼルに、ヴィクトールは心底驚いた。ヘンゼルは固まって何も言えなくなってしまったヴィクトールの頬に手を添えて、かすれ声で囁く。
「もしも罪を償うつもりがあるなら、尚更俺のこと、離すなよ。ここまで一緒にきた俺はもう、おまえからは離れられないから……一緒にこれからを生きていこう、一緒に罪を償っていこう」
「……ヘン、ゼル」
「ヴィクトール」
ヘンゼルの瞳が、真っ直ぐにヴィクトールをとらえる。引力にひかれるようにヴィクトールはその瞳から目を逸らせない。
「……俺のこと、好き?」
――ああ。
自分はなんて愚かなんだろう。こんなにも純粋に自分を愛してくれる彼を、突き放そうとしたのか。側にいたいという彼の想いを無碍にしようとしたのか。もしもこれから彼に災難が降り注ぐなら、自分が盾になればいいのだ。罪を自覚するなら、彼を守りぬけばいいのだ。
「好き……好きだよ、ヘンゼルくん、愛している、この世界を敵にまわそうと君を離さない、……愛している」
「……うん」
ヘンゼルが手を伸ばし、ヴィクトールの頭を撫でる。へへ、と心の底から嬉しそうに、はにかむように笑った。
「じゃあ、もう俺とは離れられないな」
狂おしい。一瞬でも彼と離れようとした自分を憎んだ。もう二度と出逢うことのできないような、全てを捨ててでも愛したいとおもう彼を、なぜ自分は見捨てようとしたのか。きっと、ただ自分の罪から逃げようとしただけだった。莫迦だ、自分は本当に莫迦だ。
情けないほどに溢れるヴィクトールの涙を、ヘンゼルの指が拭う。ヴィクトールは力いっぱいにヘンゼルを抱きしめ、何度も何度も愛を囁いた。溢れそうになる想いをすべて、余すことなく彼に伝えたい。もう絶対に君を離さない。
「……ヴィクトール」
「……ん、」
ヴィクトールの腕のなかで、ヘンゼルが身動ぐ。少しだけ腕の力をゆるめてやれば、ヘンゼルは顔をあげ、再びヴィクトールと目を合わせる。
「……ヴィクトール、俺も……俺も、おまえのこと――」
そのとき。激しい物音が頭上から響いてきた。そして漂ってくる煙の臭い。炎が一つ上の階を侵食したらしい。二人は一刻もはやくここを脱出しなければいけないということを思い出す。
「……ヴィクトール、あとで、言う」
「……、」
「ここを生きて出て、俺の想いも受け取って」
「……うん」
ヘンゼルの言葉が聞けなかったのがヴィクトールは残念でならなかったが、ここを生きてでるという強い想いへの糧となる。ここを二人で脱出して、一緒に生きるんだ。
ヴィクトールはヘンゼルを抱えて立ち上がる。自分で歩けると渋ったヘンゼルを抑えこんで、そのまま走りだした。目指すは研究室。ドクターも連れだして、ここを無事に脱出するのだ。
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