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収容室から少し離れた研究室。冷たい空気が漂うここは、ドクターが普段入り浸っている場所だ。扉を入るとまずは実験器具の並ぶ部屋。よくわからないものがたくさん置いてあり、何やら異常に散らかっている。ヴィクトールは頻繁にここに通うわけでもなく、いつもこの部屋がここまで散らかっているのかはわからない。ドクターの性分を考えればおかしなことでもないので気にせず彼を探す。
「……俺あの人苦手なんだけど……ヴィクトールを相手にしてもあんな感じなのか?」
「あんな感じ? まあ変わった人ではあるね。何を考えているのかわからない。変なものに興奮する」
「……でもいつも一緒にいるな」
「ここでは彼が一番近い存在だったからね。団員はどちらかと言うと僕を頭として見てくれているから、対等な関係とは言い切れなかったし……でもドクターは特殊なポジションについていたから結構僕と同じ目線で話してくれた。敬語は使うけどね。僕としても気が楽だったから一緒にいることが多かったかなあ」
「……ふうん。仲いいんだ」
「仲いいっていうとなんか気持ち悪いけど……まあ、大切な仲間だね」
書類が山積みになった机、実験用の機械のようなもの……色んなところを隅々まで探してみるが、ドクターは見つからない。もしかしたら奥にある、実験部屋か。改造人間を収容する檻もあるそこは、ドクターがいる可能性が非常に高い。二人は部屋の奥にある重い扉を、ゆっくりと開ける。
「……えっ」
目の前に広がる光景に、二人は唖然とした。あまりこの部屋を見慣れないヘンゼルでも、その異常さには気付いた。改造人間をいれる檻の扉は全て開かれ、そこには一切の生物がいない。床にはおびただしい量の血がこびりついている。そして。二人が入ってきた出入口へ、まるで助けを求めるように手を伸ばし倒れているのは――ドクター「だった」人。
「……ドクター……?」
ソレがドクターであるというのは、髪型とメガネだけで判断できた。判断材料がそれしかないというほどに……彼の姿は変わり果てていた。背骨に沿うように歪な形の大きな刺が生え、数本の人間のものではない腕が脇腹に取り付けられ、腰からは鳥の脚が生えている。さらにはドクター本人の腕と脚の表面には大量の目玉が取り付けられていて、目と口からは蛇が飛び出している。
「――やっぱり見よう見まねじゃあできなかった。どうやってコイツは改造人間の命を一ヶ月ももたせたんだろう。僕がやってみたらあっという間に……死んじゃった」
奥から、ぺたりぺたりと足音が聞こえてくる。恐る恐るヴィクトールとヘンゼルが顔をあげると、そこにはドールと思われる少年が一匹の改造人間を連れて立っていた。
「いつもあんたたちがやってきたことさ。罪もない人間を捕らえて、こんな風に歪な生物につくりかえる。あんたたちに僕を非難する資格はないよ」
「……ッ」
「改造される間際のこいつの無様さといったら。助けて許してくれって……きっと何人もの犠牲者がこいつに言ってきただろうことを言った。今までどんなにこの行為が悍ましいことを知らなかったのかな、こいつは。好奇心に人の心も潰された、マッドサイエンティストが」
淡々と言葉を紡ぐ少年の瞳は、たしかな憎悪に燃えていた。そうだ、ドールたちの目的は、復讐。自分たちを虐げたトロイメライへの報復だ。どんなに残酷な制裁を受けようとも、トロイメライには何も言う資格がないのだ。それを思い知っているヴィクトールは、ドクターを殺害した少年を糾弾することもできなかった。見るも無残な姿になってしまったドクターを瞳に映し、涙を流すことしかできなかった。
「……おまえ……それが人のやることか!」
何も言わないヴィクトールの腕から抜けだして、ヘンゼルは叫ぶ。冷たく自分を見つめる少年を、ヘンゼルは泣きながら睨みつけた。ドクターは、たしかに苦手な男だった。しかし、何度か会話を交わし、ときにはしょうもない話をし、たしかに今まで共に過ごしてきた人なのだ。彼の非道な行いも知っていたが、それでも彼には情がうつっていた。嘆くように手を伸ばし息絶えているドクターをみて、胸が張り裂けそうになってしまった。
「何? 間違っていることなんてしていない。僕たちはこの腐った組織に、今まで苦しんできた人たちの代行として復讐しているだけだ」
「復讐なんてして何になる! 復讐が何を生むっていうんだよ! 苦しみを知っている人間だったら……どうして同じことができるんだ!」
「ヘンゼルくん……すっかり君はトロイメライに毒されているね。じゃあ聞くけど、君は自分を犯した僕に恨みを抱いていないの?」
「……ッ」
そう、目の前の少年は「C」の少年、あの部屋にいた少年だ。嗤いながら自分を強姦した人。
「そうだ、殴らせてあげてもいいよ。ほら、どうぞ。遠慮なく。罪がない君は、僕を殴る資格がある」
少年はハッ、と吐き出すように笑う。ヘンゼルは唇を噛み締め、少年を睨みつけた。体はだいぶ回復した、殴ろうと思えば殴ることができる。本音を言えば、彼のことは恨めしくて仕方がない。穢い目で自分を見つめ、欲望をすりつけてきたときの気持ち悪さは思い出すだけで吐き気がする。……しかし、ヘンゼルは動かない。
「……殴らない」
「はぁ~? 善人ぶってる? それこそ、何になるのさ。誰もみていないよ? 言っておくけど神様なんて存在しない、どんな善行に及ぼうが、君は幸せになんてなれやしない。神様なんていたなら、そもそも君はこんな地獄にはいないからね」
「……偽善者とでもなんでも言えばいい。あれは俺がヴィクトールの代わりに罰を受けただけだ。だから、俺におまえを殴ることはできない」
「……まるで君は聖人のような人だね。そんなクズのためにここまで体をはれるなんて、見上げた精神だ。僕は君のことは嫌いってわけじゃないから一応助言してあげるけど……そんなことしていると、人生損するよ?」
「別に……損得で俺は動いているわけじゃない。俺は……ヴィクトールのためだったら、自分がどんなにつらい目にあってもいい」
「……うっざ。君本当にバカだね。恋は盲目とはよく言ったもんだ、そんな男にそこまで君がいれこむ価値はないよ。まあ……僕は君がどうしようとどうでもいいし……。だからさ、……いっそその男と一緒に死んでみる?」
ずる、と少年の傍の改造人間が蠢く。巨体を引きずるように身じろぐそれは、裂けた口に鋭い牙をもつ、三つ首のバケモノだった。
「改造された人間ってショックで頭が退化するから命令とかあんまりきかないんだってね。でも生物としての根本的な本能を失ったわけではないでしょ」
「……」
「……コレ、ヴィクトールへの恨みは忘れていないよ」
三つ首の瞳が六つ、ヴィクトールをとらえる。そのバケモノは、本来はヘンゼルや少年と同じように、どこかから捕らえられてきた人間だ。運悪く改造人間として見世物となってしまった「彼」はきっと、トロイメライの団長であるヴィクトールに憎悪を抱いているに違いない。ヴィクトールを見つめる瞳は、人間らしさを失いながらも確かな殺意にあふれていた。
本能的な恐怖に固まる二人にバケモノは狙いを定め、大きな体を引きずりながらにじり寄ってくる。そのバケモノは決して動きが遅いわけではないだろう、二人が走りだせば急に動いた獲物に頭が刺激され、一気に襲い掛かってくる。そう判断した二人は走りださず、ゆっくりと後退し、部屋からの脱出を試みる。
「そこの扉は鋼鉄製だ、閉めて鍵をかければそう簡単には出られない」
部屋の出入口となる扉を示し、ヴィクトールが囁く。要はそこまでこの調子でたどり着いて脱出し、扉を閉めればいい。死は免れる、そう二人が思ったとき。
「……ッ!」
少年が、ポケットから鍵のようなものを取り出す。恐らくこの部屋にある檻の鍵と思われるが、彼の狙いは――
「ま、待て……」
――鍵を床に落とす音でバケモノを刺激し、二人を襲わせること。
「逃すわけないでしょう……ふたりとも、ここで死ね!」
少年が手を振り上げ、鍵を床に叩きつけようとした、そのとき――
「……兄さん」
「――ッ!?」
背後から、聞き慣れた声が。驚いた二人が振り向いたその先にいたのは――椛だった。開け放たれた扉から、こちらをまっすぐにみつめている。
「……椛」
(ヘンゼルくんの弟……!)
「C」によって全てのドールが脱走したということを知ったヴィクトールは、椛もてっきり逃げ出したのかと思っていた。よくよく考えてみれば、あそこまで兄を溺愛するこの少年が……一人で逃げ出すはずがない。椛はヘンゼルを探し、一人、お菓子の家を歩き回っていたのである。
椛の姿をみたヴィクトールは、ひとつの考えを頭に思い描く。
「……ヘンゼルくん」
「え……?」
「弟を連れて逃げるんだ」
「……ヴィクトールは?」
「……僕はここで囮になるよ」
「……は?」
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