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椛を救えたと、そう思った瞬間にヘンゼルの体は急激に動かなくなってしまった。一気に足の力が抜けて、その場に崩れ落ちてしまう。椛を救わなければ――その張り詰めた想いが体を動かしていたため、目的を達成した瞬間、糸が切れたように動かなくなってしまったのだ。
椛を救った瞬間に倒れてしまった自分に、ヘンゼルは乾いたような笑みを送る。本当に自分が椛のために生まれてきたみたいじゃないか。椛を救えたなら、用済みか。
「……」
椛を幸せにするためだけに生まれてきたなら、心なんてもって生まれなくてよかったのに。人形のようにただ動いていたならば、こんな哀しみを知ることもなかっただろう。
「……ヴィクトール、」
自分の存在意義はなにか――この状況ではっきりと、ヘンゼルは悟る。しかし、せっかく人間として生を受け、心をもち、自分の幸せを手に入れる力をもっているなら……できるなら、自分の幸せだって叶えてみせたい。残された時間はほとんどないだろう、体も、建物も、すぐに壊れてしまうだろう。それならせめて――せめて。
ヘンゼルは震える手で体を起こし、立ち上がる。気力さえあれば、なんとか体は動かせそうだ。一歩踏み出すたびにガタガタと体が崩れ落ちてしまいそうな激痛がはしるが、歩けないことはない。
燃え盛る炎のなか――ヘンゼルは来た道を戻る。
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