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きらりと眩しい光が閉じたまぶたの間に差し込んできて、ウィルは目を覚ました。椛の車椅子により掛かるような形で寝ていたためか、少し体が痛い。
「ん……あれ、ウィル……おはようございます」
「……おはよう」
椛も朝日で目を覚ましたようだった。彼の少しぼんやりとした表情に、ウィルはおかしくなって笑う。
「……そういえば椛、ききたいことがあったんだけど」
「なんでしょう?」
「昨日、俺が死ぬなら一緒に死ぬって言っていたけど、おまえは怖くないの、死ぬこと。おまえも死んだら、ほかの人の記憶から消えるんだろ」
ウィルは少し、不思議に思っていた。こんなにも死ぬ決心をつけることに時間がかかった自分と比べて、椛はあっさりと死ぬと言い切った。椛は自分よりも少し若いのに達観していると、ここのところ思っていたのである。
「言ったじゃないですか。僕は貴方とふたりぼっちだったって。ウィルは自分はマーメイドであることを知らなかったから違う人と恋に落ちてしまったけれど、僕はそうじゃなかった。ずっと、僕の世界にはウィルしかいなかったから……ウィルが幸せになることが僕の全て。だから、あなたのために死ぬことは、怖くない」
「……あの、さ」
「責めてないですよ。ウィルは船長さんのこと、想っていてください。それがあなたの幸せならば。……まあ、はじめ知ったときは少しは嫉妬しましたけどね」
「……ごめん、椛」
「いいえ……最後には僕が唯一貴方を知る人になる。世界でたった一人、貴方を救える人になれる。それだけで僕は幸せです」
穏やかに、椛は答えた。強いな、と思った。自分がマーメイドであることを知っている時間の長さの違いを考えても、椛は自分よりもずっと強いと……ウィルは朝日に照らされた彼の横顔を、ぼんやりと眺めていた。
「……?」
ふと、波と風の音に混じって何かの音が聞こえてきた。よく耳をすませてみれば、ギターの音のようだ。
「……オーランド」
きっと、少し離れた場所でオーランドがギターを弾いている。軽快でどこか甘いメロディーはウィルが聴いたことのない類のもので、強く心が惹きつけられた。
「あ、僕はここにいます。ウィル、行ってきてください」
「いや……一緒にいこう」
「でも……」
遠慮する椛の手を、ウィルは軽く引いてゆく。もう朝が来たために立って歩ける椛は、おずおずと立ち上がってウィルに着いていった。
オーランドは二人とは反対側の場所に、一人で座ってギターを弾いていた。二人の足音に気付いてか、オーランドは顔をあげる。
「……なんだ、二人でいたのか」
「浮気じゃないよ」
「浮気とかしてたら怒るだけじゃすまねえよ」
二人でオーランドの隣に座ると、オーランドが再びギターを弾き出した。しばらくそれを聞きながら、ウィルはふと口を開く。
「……それ、なに」
「どれ?」
「珍しい曲調の曲だけど…」
「ああ……これは、ラテンの曲を真似たもんだよ。スパニッシュの」
「え、スパニッシュ?」
ウィルはオーランドの言葉に驚いた。というのも、この海賊が蔓延る時代、ウィルとオーランドの故郷・イングランドとスペインの関係はあまり良いものではなかった。そんななか、スペインの音楽を嗜むというのは、ウィルの目には奇怪に映ったのである。
「俺の船に、スパニッシュがいるんだ。降伏させた海賊団から俺たちに寝返ったやつ。そいつがさ、こういう音楽演奏してて」
「……受け入れられるものなのか?」
「音楽に国なんて関係ねぇよ」
当然のようにオーランドはそう言って、再び弦を弾いた。耳触りの良い音楽だ。ウィルはそっと瞼を閉じて、音を感じる。
「……かっこいい曲だな」
「お、そうか、良かった。これ、おまえと作ろうって言っていた曲なんだよ」
「え……」
昨日、オーランドに言った「二人で曲をつくろう」という言葉。オーランドはそれを覚えていたらしい。ウィルは嬉しくなって泣きそうになってしまった。
「じゃあ、歌詞は俺がつけるよ」
「おう、そうしてくれ」
「あとで、楽譜に書き起こせる? 形に残したい」
「うん、大丈夫」
へへ、とウィルは笑った。ああ、幸せそうに笑うなあと隣で椛はみていた。少しでも自分の生きた証を残したい、オーランドに覚えていてほしい。ウィルのオーランドへの健気な恋心が、いやというほどに伝わってくる。
「昔、言ったっけ。俺の鳴らした音が、どこまでも届いてゆく。地平線のあの向こうまで、ずっと」
「……うん」
「ウィル、おまえは最近ずっと俺に「忘れないで」って言っていたけれど……大丈夫、忘れない、消えない。この曲ができたなら……この海のどこまでも、二人でつくった曲が響いていくさ。ずっと……世界に、残るんだ」
「うん……」
ウィルがそっとオーランドに寄り添った。微笑みながら、泣いていた。椛はこの場所にいてもいいのかと少し思ったが、ウィルのそんな表情をみることができたのを、嬉しく思った。
ギターの音と、漣の囁きが溶け合ってゆく。たしかに、彼の音は世界とひとつになっている。――穏やかな朝を、柔らかい音が包んでいた。
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