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***  とうとう、目的の島へたどり着いた。そこは港はあるが、あまり開けていない島で、港から少し離れた場所に高い崖がある。船員たちが町へ行っている間に、ウィルはオーランド、そして椛を誘って崖まで赴いた。 「どうした、ウィル……珍しい顔ぶれになったけど」 「この険しい道だ、オーランド一人じゃあ車椅子をひけないかと思って」 「今みたいにおまえがひいてくれるんじゃないのか」 「……帰りは、別」  ――この崖に来る前にウィルは椛に頼み事をした。椛は一緒に死ぬといったが、自分の死を見届けてからにしてほしいと。そして、オーランドを無事に船まで戻してあげてほしいと。 「こうやって見てみると、海ってすごく、青い」  ウィルは崖から海を覗くと、ふ、と笑う。危ないぞ、と焦ったように声をかけてきたオーランドを顧みると、泣き出しそうな笑顔をつくってみせた。 「何もかもを吸い込んでしまいそうなくらいに、青かった。ここで歌ったら……俺の声も、あそこに溶けるのかな」 「……ウィル、」 「オーランド、弾いて」  ウィルがオーランドに持ってきてもらったギターをみつめる。その微かに濡れて光った瞳に催促されるようにして、オーランドは指を弦にのせた。前奏を奏でると、ウィルが嬉しそうに微笑んで……海に向き直る。 『I melt into the blue in order to make you happy――』  つくった詞を、オーランドのギターにのせた。幼いころからずっと抱いていたウィルの夢、オーランドと一緒に歌うこと。それを、ウィルは今、叶えている。簡単に叶えることのできる夢で、すでに何度かやってきていることだというのに……海に向かって歌うウィルの背中は、幸福感に満ち溢れていた。でも、その姿は今にも壊れてしまいそうで。オーランドはギターを鳴らしながら、泣いていた。  強い風に吹かれてウィルの白いシャツがはためく。青い空に、ウィルの少し茶色がかった髪の一本一本ががきらきらと透き通っている。  ああ――綺麗だ。椛の頬に、一筋の涙が伝う。 「……あの地平線の向こうまで」  歌い終えたウィルは、振り向いた。涙を流していたオーランドをみて、おかしそうに笑う。 「自分の音が届くんだって、オーランドは言っていたな」 「……ああ、」 「今……すごく、それを実感した気がした。目の前に広がる真っ青に、すっと唄が溶けていった気がした」  ウィルは幸せそうに笑っていた。ぎゅっと心臓を掴まれるような感覚に、椛は唇を噛んだ。  ――貴方が幸せそうで……堪らなく嬉しい。嬉しくて、嬉しくて、切ない。 「……漣の音を聞いたら、俺の声だと思ってね。潮風に吹かれたら、俺の抱擁だと思って欲しい」 「――ウィル」  ガタ、と音を立ててオーランドが車椅子から転げ落ちる。立とうと思って、立てなかった、そんな風に。 「……椛、ありがとう」 「ウィル……まて、ウィル!」 「……オーランド」  ぽた、とウィルの瞳から落ちた涙の雫が光る。 「――愛してる」  ――その瞬間、ウィルの姿は、消えた。  オーランドが這うようにして、崖っ縁まで近づいた。衝撃に、涙も止まっていた。オーランドは呆然と、青い海を覗きこむ。 「……なあ」 「はい」  ふと、オーランドが椛に声をかけた。椛が近づいて隣にしゃがみこむと、気が抜けたような顔をして、呟く。 「……俺、なんでここにいるんだ。おまえが連れてきたのか」 「……あ」 (即死……だったんだ) 「なあ、」  オーランドから、ウィルの記憶が消えたのだ。それを悟った瞬間、椛は溢れ出る涙をこらえきれず、嗚咽をおさえるようにして口に手をあてた。 「……なんで、俺は泣いている。なんで……こんなに哀しいんだ」  地に伏せるようにして、オーランドは声をあげて泣き始めた。ウィルの記憶がなくなってしまった……彼の心に、ぽっかりと大きな穴が空いた。絶望的な喪失感、心に空いた風穴を吹き抜ける潮風。  椛は衝動的に、オーランドの体を抱いた。震える彼をきつく抱きしめて――叫ぶ。 「貴方が……愛されたからです、貴方が愛していたからです……!」 ――ウィル。  もしかしたら、貴方の愛は呪いに勝っていたのかもしれない。呪いはたしかにオーランドから記憶を消したけれど……彼の胸を満たしていた幸せは消せなかった。だから、彼はこんなに泣いているのでしょう。送り主と宛先のわからない愛が、泣いている。貴方が彼に与えた幸せは……消えなかった。  あとは、僕が貴方のあとを追いましょう。そうすれば、この悲劇は終わる。  どうか――オーランドが幸せになれますように。貴方が、願ったように。

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