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「おかえりなさいませ、椛様!」
馬車のなかでは群青とほとんど会話もなく、家に到着する。玄関には紅が出迎えてくれていた。
「突然の雨大変でしたね。お体は冷えていませんか?」
「……大丈夫」
「早く着替えていらっしゃいな! 温かいお茶とお饅頭を用意しています。椛様のお好きな桜餡のものですよ!」
「……僕の好きな?」
「ええ、椛様、以前好きだっておっしゃっていたでしょう? 私ちゃんと覚えていますよ!」
紅はにこにことしながら、濡れた椛の体を拭いていた。彼女の笑顔がまぶしい。今の鬱屈とした心には、少し痛い。
「……いらない」
「えっ、椛様……あ、待ってください……!」
椛は紅の手を払って、そのまま一人で自室まで早足でいってしまった。残された紅は、その背中をみつめ不安そうな顔をして群青に言う。
「かえって椛様には鬱陶しかったかな……そっとしておいたほうがよかったのかもしれない」
「……は、あんな奴のこと放っておけばいいんだよ。おまえの好意も無下にするような奴なんだからよ」
「そ、そんなこと言わないで! 椛様、ちょっと悩んでいるのよ。だからああいう態度になっちゃうのも仕方ないの 」
「……どこまでもお人好しだな、紅は。俺はあんなわけのわかんない奴の御守りなんざごめんだね」
群青も家にあがろうと、紅を横切ろうとする。しかし、紅がその腕を掴んで群青を引き止めた。
「あんたもあんたよ! ちょっとくらい椛様のことをみてあげなさい! いつも椛様に冷たい態度ばっかり……」
「……無理だ。あいつからする宇都木の臭いを嗅ぐと腸が煮えくり返る。俺はあいつが嫌いだ」
「だからそれがだめだって言っているんでしょう! 椛様は宇都木家の人間だからって言われるのが嫌で……あっ」
紅が慌てて自分の口を手で塞ぐ。まずいことを言ってしまった、そんな風に。
「……へえ、それがおまえの「真実の目」でみた椛の気持ち?」
「……聞かなかったことにして……椛様も知られたくなんてなかったことだと思うし……ごめん口が滑って、」
「……どうでもいい、あいつが何に苦しんでいようと……俺には関係ない。でも、少し気になることがあるんだけど」
紅は、人の深層を見抜く力を持っている。それゆえに人が隠し通そうとしている想い等を全て読み取ってしまうため、言葉は選ばなければならない。うっかり誰かが秘密としていたいと思っていたものを口にしてしまうこともある。今紅が群青に零してしまった椛の悩みも、その力によって読み取ったものだった。
ただ、群青は紅の口からそんなことを聞かなくても、先ほどの椛の言葉でなんとなくそれは察している。「もしかして」が「確信」に変わったくらい。そのため、群青は特に驚くということはなかった。椛について気になっているのは、別のこと。
「……おまえの「真実の目」は、どこまで見抜ける」
「え……?」
「人の心だけ? それとも……魂が誰のものなのか、までわかるか」
「……群青? ちょっと言っていることの意味がわからない」
微かに濡れた群青の髪の毛から、雫が落ちる。静かな群青の瞳の光の揺らめきが、紅の心を撫ぜた。
「……椛から、宇都木の臭いに混じって……ほんの少しだけ、あの人の匂いがする」
「……!」
は、とした紅を見ることもなく、群青は歩を進めてしまった。紅が慌てて振り向いて群青を追いかけようと一歩、足を踏み出したところで群青がちらりと紅を顧みる。
「……饅頭、準備しておけ。おまえがつくったんだろ。食わなきゃ勿体無い。……もう一度俺が、一応あいつに声をかけてくる。それでもダメなら俺があいつの分も食う」
「群青、ちょっと……」
そのまま小さくなってゆく背中を、紅は黙って見つめていた。見えなくなった頃に、ぼそりと、呟く。
「群青……貴方、本当に――哀しいひと」
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