157 / 353
8
***
「――椛」
群青が部屋の中に入ると、椛は布団をすっぽりとかぶっていた。起きているのか寝ているのか……判断はつかなかったが、群青は一歩足を部屋の中に踏み入れて、声をかける。
「降りてこい。紅が待ってるぞ」
「……いい。誰にも会いたくない」
「んなこと言ってんな。せっかく紅が……」
「……紅だって……どうせ、この家の召使だから僕に気を使っているだけだろ! 放っておいてよ、本当は僕のことなんかどうでもいいくせに!」
「……あ?」
椛は背負わされた宇都木家の跡取りという使命のせいで、自分をみてもらえないことを、悩んでいる。だから、その苦しさを隠すために強がっている――それはわかっていた、しかし……群青のなかの「宇都木」への嫌悪感はその理解すらも壊していた。紅の想いを無下にする椛の言葉にカッとなって、つかつかと椛のそばまで歩み寄り、無理やり布団を剥ぎとってしまう。
「な、なにする……」
「……おまえこそ、紅のことをちゃんとみてねえだろ。人を突っぱねといて自分だけかわいがってくださいってか、随分と都合のいいこった」
「……っ、うるさい、僕のことをわかったように……! 群青は僕のことを嫌いなんだろ、近付くな、話しかけるな、関わるなよ!」
「……関わらなくていいなら関わってねえよ、そうだよ俺はおまえのことが大嫌いだ。……でも、おまえのことを見てくれる人のことまで、傷つけるようなことはするなよ。見てるこっちが不愉快だ」
「……いない。いないよ、僕のことを見てくれる人なんて」
強い、雨の音がする。湿っぽい部屋のなかでは、臭いが強くなる。
これ以上、二人で話していてはお互いが嫌な想いをするだけだ。余計なことを口にして、椛の心を抉るようなことを言ってしまうかもしれない。群青はその予感に、立ち上がる。強くなってきた椛から漂う「宇都木」の臭いにも耐えられなかった。
群青は無言のままに、部屋をあとにする。雨が屋根を叩く音だけが、部屋のなかに響く。
ともだちにシェアしよう!